プロフィール

2013年12月21日土曜日

涙がとまりませぬ

以下の文章は、致知出版社様から昨日頂いたメルマガの一部であります。


教育者、森信三先生の御言葉であります。


読んでいて、何故だか、朝から涙がとまらなくなってしまいました。


是非とも御一読の程をお勧め致します。(特に若者達には必読であると実感致します。)





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すべて我々は、自分のたどった運命を、
あるがままに感謝することが大切です。
これが自己にとって最善だとして、
安んじて努力することが肝要です。

この道理を理屈としてでなく、
実感として味わえば、それだけでも実に大したものです。
随って諸君らの中に、高等学校(旧制高校)へ行けずに、
この学校へ来た人があるなら、
それがその人にとって実は最善だというわけです。

私にしても高等学校へ行ったらよいのに、
それが出来なくて高等師範へ入った為に、
友人たちが24才位で大学を卒業したのに、
こちらは30で卒業したのですが、
しかもそれが私にとっては最善だったと思います。

しかしこれは諸君らにしても同様なはずです。
高等師範に行きたいと考えたのが行けなくても、
人間には男一匹、生きる道があるのです。
たとえ世間的な地位は低くても、その存在が、
他の何物を以ってしても換え難いものであれば、
そこに「一天地」を拓いたと云うわけです。

高師を出るということは、単に世間的な約束事に過ぎません。
たとえ多少の肩書がついたとしても、
お互に一教師たることに変わりはありません。

世間のことは、最大の人物が、
常に最高の地位に就いているとは限らないのです。
ですから諸君等も、
そうした単なる世間的な約束事に囚われぬようにありたいものです。

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18、40才は人生の峠
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人間は最低40才までは、勉強しなくてはなりません。
そして勉強するとは、月に最低1冊の書物を必ず読むということです。
そしてこの場合、必ずということが大切なのです。

必ずとは、いやしくも男一匹、一旦決心した以上は、
たとえ如何なることがあろうとも、必ずやり抜くということです。

この場合、さし当たって40才以後のことは一応考えないことに致します。
それは40才は、古来「不惑」と言って、人生の峠であります。

人は峠に立てば、自分の現在置かれている位置が見え出すと共に、
真実の世の中が見え始めるものです。
同時にまた自己の帰りゆくべき世界も見えて来るのです。
その自己の帰りゆくべき世界とは、結局死ということですが、
それは丁度、山の頂に立てば、降り行くべきわが家が見え出すようなものです。
 
ところが何時までも夢を見ているように、
うかうかと日を送って来た人々には、
我が身の降りてゆくべき先が見えないばかりか、
現在自分の立っている地点が、
人生の何の辺に当たるかということさえ、弁え得ない有様です。

かくして我々が書物を読むということは、
実はこのような人生の行き方を求めることに外ならぬわけであります。

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以上であります。


一空手道場(武道場)の先生として、

本日も明るく、楽しく、元気に頑張りたいと思います。


そして、死を迎えるまで、

一空手道場(武道場)の先生を貫き通したいと思います。




押忍! 石黒康之

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