プロフィール

2015年1月26日月曜日

女武士道

以下は、致知出版社様から頂いたメルマガの一部であります。


是非とも御一読の程をお勧め致します。



☆☆☆☆☆

文筆家で武士道研究家として知られる
石川真理子さん。


その人格形成の原点にあるのは
厳格な武家の娘として育った祖母の存在でした。


明治から昭和の激動の時代を
逞しく生きた祖母から直に学んだ
「凛とした女性の生き方」
そして、「本物の女子力」とは——。


┌──────今日の注目の人────────┐



    「厳寒の中で咲く梅の花ように」


      石川真理子(文筆家)

      
    ※『致知』2015年2月号
     特集「未来をひらく」より


└─────────────────────┘

祖母の人生は本当に苦難の連続でした。


そして日本が大東亜戦争に向かっていく中で、
最大の苦難が訪れるんです。


それは最愛の長男の死でした。


私にとっては伯父に当たる方で、
元々は証券会社に勤め、
将来を嘱望されておりましたが、
応召して南京で負傷をし、
傷痍軍人として帰ってまいりました。


その後札幌に転勤しましたが、
片手の指を失い、胸に銃弾を受けて
大怪我をしておりましたので、
もう戦いに行くこともないだろう。


年齢も28だし、お嫁さんを探して
結婚をさせようという話をしていました。


ところが終戦の年の3月に、
再び召集されて仙台から出征することになった
という電報が届いたんですね。


祖母は一目息子に会いたいと願って
夜汽車で仙台へ行き、特別に許されて
一晩だけお酒を酌み交わしてお別れをしました。


その翌日、息子を乗せた輸送船が出港していくのを、
祖母は仙台港から見送っていました。


ところがその最中に船は爆撃を受け、
祖母は目の前で最愛の息子を失ったんです。


それでも祖母は、泣きもせず
しっかりとそこに立っていたそうです……。


仙台でお葬式を終え、祖母は遺骨を抱えて
東京に帰ってきたんですけれども、
取り乱している祖父の傍らで、


祖母は蝋人形のように真っ白な顔をして、
それでも涙を流さず、遺骨を抱いて
静かにしていたそうなんです。


心の内の苦しみは
いかばかりだったでしょうか。


祖母は愛国婦人会の支部長をしていましたので、
身内を失った女性たちの面倒も見ておりました。


自分も苦しいんだけれども、
その苦しんでいる方々の辛さを
一身に背負っていたのだと思います。


自分の心の内はどうあれ、
決して動じないでいた祖母は、
本当に強い愛に溢れた人であったと思います。


祖母の言葉は、これほどの苦しみの中から
出てきたものだからこそ輝いているんですね。


祖母はよく、


「お天道様に見込まれていると思えば、
 辛いこともありがたい」


と申しておりました。


こんなにいろいろ辛いことがあるのは、
お天道様に見込まれているからだと。


辛いことを乗り越えさえすれば、
そこには必ず光があるということを
祖母は分かっていたんですね。


これは自分がより大きな幸福を得るため、
そして人間としてさらに大きくなるために与えられた、
神様からの、お天道様からのありがたいプレゼントなんだと
祖母は受け止めていました。


実家のお庭には梅の木がありまして、
冬になると祖母と一緒にそれを眺めるのを
私はいつも楽しみにしていました。


梅の花ってすごく綺麗ですよね。


何もないモノトーンの冬の景色の中で、
梅の枝にぽつん、ぽつんと花が咲き始めると、
とても高貴な香りが漂います。


祖母はまさに厳寒の中で咲く梅の花
のようであったと思います。


「腹をくくりなされ。
 何度だって、腹をくくって覚悟を改めなさい」


祖母は、夫を病で失って辛い生活を
余儀なくされていた長女にこう諭したそうですが、
恐らく祖母自身が、苦難の中で何度も何度も
腹をくくっていたのだろうと思います。


負けてなるものか、
何があっても動じるものか。


常々そう自分を戒めていたからこそ、
最愛の息子の死を目の当たりにしても、
静かにその事実を受け止め、
周囲の人たちを気遣うこともできたんですね。


辛い中でも花を咲かせる。
これが本物の女子力ではないかと思います・・・

☆☆☆☆☆

以上であります。


押忍! 石黒康之

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