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2015年1月6日火曜日

武士道と武道、格闘技とスポーツ

☆以下の文章は致知出版社様から頂いたメルマガの一部であります。(☆以下であります。)



武士道というと相変わらず右翼思想、または、軍国主義と顔色を変えられる方々がまだまだ多い世の中、日本であると思いますが、

少し正しい武士道精神を学べば、それが大変な勉強不足であるということは直ぐに気付きます。



今現在の日本の世の中では「士」、

いわゆる「侍(サムライ)」階級という位は存在致しません。


よって、武士道からこの「士」を取り除き、

武道という形で侍(サムライ)階級が目に見えない精神、心の部分で、

現代日本社会に残っているのであると確信致します。




大山総裁は内弟子である自分達に、

毎朝毎朝の朝礼、

また、毎日毎日の稽古、

また、顔を合わせればいつも、

「君たちは、侍(サムライ)だ!

極真を志す人間は全てサムライでなくてはならない!


君たち、今に日本が日本で無くなってしまうよ、

その時、

君たちがその日本を取り戻せ!


侍(サムライ)がその時必要になるよ!


わかった〜〜〜! 」


と口を酸っぱく言われ続けました。

(少なくとも若獅子寮本部内弟子第19期生の時代には本当に毎日言われ続けました。)



ところで「武士道、武道」と「格闘技、スポーツ」は、

一見すると大変似ておりますが、

生まれた経緯や、

その思想、ものの考え方、稽古体系、練習体系などの全てが全く異なるものであると、わしは断言出来ると考えます。


簡単に言うと、

「スポーツ、格闘技」とは己が楽しむモノ。

(西洋から入って来たいわゆる興行などが成り立つモノ。)


「武士道、武道」とは己に厳しくするモノ。

(日本、東洋で生まれ、己と向き合うモノ。どちらかというとお寺や神社、教会などに近いモノ。)


もっと簡単に言えば、

「スポーツ、格闘技」は、人に勝つ事が最優先され、金銭的名誉が付いて回る唯物論的なモノ。


「武士道、武道」は、己に克つ(勝つ)、精神論が非常に強い、いわゆる観念論的。

なモノであると、わしは考えます。



簡単な一例でも直ぐに分かります。

人間におけるところの、一番大切な呼吸法が全く違います。


詳しくは道場の指導で伝えておりますが、

「シュシュシュ」と「エイシャー(気合い)」の違いであります。



もう話しにならないぐらい、全く違うのです……





前置きが大変長くなってしまいましたが、

以下文章の御一読の程を是非ともお勧め致します。





☆☆☆
作家で武士道研究家として知られる
石川真理子さん。


厳格な武家の娘として躾を受けた
明治生まれの祖母と、
12歳までともに暮らしました。


明治から昭和にかけて激動の時代を
逞しく生きた祖母の生き方、言葉を思い出すにつけ、
戦後日本の女性が忘れてしまった
「人としての心得」「女性としてのあり方」が
散りばめられていることに気づいたと言います。


武士の娘だった祖母の55の言葉は
厳しくも温かく、人生の滋味に溢れています——。


┌───────今日の注目の人─────────┐



 「逆境こそがおのれに与えられた宝と心得るのです」


      石川真理子(文筆家)

      
     ※『女子の武士道』より


└───────────────────────┘

人生というのは思いがけない出来事に
満ちているものです。


祖母は「なぜこんなときにこんなことが」と
思わずにはいられない事態に見舞われても、
必ず「これこそが宝だと心得るように」と教えました。


もっとも、「あの苦労があったから今の自分がいるのだ」と
思えるのはずっと先のことです。


苦しみの渦中にいるときは、
とてもではありませんが「困難は宝もの」などと
思えるはずもありません。


すると祖母は


「それでは安楽なときにこれでもかと
 歯を食いしばって上を目指すことができるかどうか、
 苦労して乗り越えることができるかどうか考えてごらん」


と微笑むのでした。


「ぬくぬくと心地よい布団にくるまっているときに、
 さあ努力しておのれを磨きなされといわれてできますか?
 ちょうどいい湯加減の温泉に浸かって
 歯を食いしばることができますかのう」


言われてみればまさにその通りです。


すべて順調な時には努力の「ど」の字も
思い出すことはありません。


もし賢くも努力の大切さを思ったとしても、
逆境のさなかにいるときと同じ程度のがんばりを
発揮できるとは思えません。


考えれば考えるほど、
満たされているときに努力することは、
逆境の中で歯を食いしばることよりも難しいのです。


人は逆境を与えられるからこそ、
よりよい自分になることができ、
その精神を磨くことができるのです。


やはりつらくとも逆境は宝なのです。


昭和13年から15年にかけて、
家族にさまざまなことが起きました。


大東亜戦争が始まると間もなく長男が徴兵され、
騎兵隊として中国へ進軍しました。


幕末から昭和初期まで生きた祖母の母が、
その長い生涯の幕を下ろしました。


なんといっても祖母を悲しませたのは、
昭和15年に起きた、長女の夫の死でした。


当時、結核で亡くなる人が非常に多く、
闘病の甲斐なく妻と数え三歳の息子を遺して
この世を去ったのです。


わずか4年にも満たない結婚生活のすえ、
妻とかわいい盛りの長男を残しての死は、
本人にとってもどれほど無念だったことでしょう。


それを歯を食いしばって耐えようとする
長女の姿もまたいたましく、
祖母は人知れず涙を流したのでした。


けれど長女の前ではみずからを励まして、
この逆境をともに受けとめて
乗り越えてみせようという姿勢を見せたのです。


「娘の逆境は母の逆境でもあります。
 私はこの逆境を得がたい宝として受けとめようと思います。
 負けるものかと心を定めようではありませぬか。
 勇気を出して、なんの、という心意気で乗り越えるのです」
 

彼ら(武士)は逆境にも屈することのない、
高邁な精神の厳粛なる化身であり、
あらゆる学問の目指すところの体現者であった。

別言するなら鍛錬に次ぐ鍛錬によって完成された、
克己に生きる模範であったのである。

この克己心こそすべてのサムライに求められた
武士の教育の根幹だったといえる。
(『武士道』より)


逆境こそがおのれを克服する力になる。
祖母はこの教えを子や孫に貫いたのです。
☆☆☆


以上であります。


押忍 石黒康之

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