プロフィール

2015年6月21日日曜日

今日の言葉2

本日、二つ目の今日の言葉です。


どうか宜しくお願い致します。



☆☆☆

落語家、俳優、タレントと様々な顔を持ち、
 ワイドショーの司会や映画など
 幅広く活躍された桂小金治さん。

 残念ながら昨年11月に88歳で亡くなられましたが、
 生前『致知』にご登場いただいた際のインタビューでは
 心温まるエピソードをお話くださいました。

 桂さんを生涯支え続けた、お父様の言葉とは
 どのようなものだったのでしょうか。

 父の日にちなんで、感動の実話を
 特別にご紹介させていただきます。 


───────────────────────
 一日一言 平成27年6月21日(日)
───────────────────────

     『致知』2003年10月号 

  「努力の上に辛抱という棒を立てろ」

       桂 小金治(落語家)



 僕は大正15年、東京・杉並の
「天勇」という小さな魚屋の長男として生まれました。

 下に妹が3人生まれたんですが、
 中の2人は赤ん坊の頃に死んだので、
 9つ違いの妹と2人きょうだいです。
 10歳になった時、親父から言われました。

「おまえ、年が二桁になったんだよ。
 いつまでも親に食わしてもらえると思ったら大間違い。

 自分の力で生きていかなきゃならない時が来る。
 その支度をいまのうちからしておくんだ」

 と。

 
 それからは毎日店に出て
 手伝いをするようになったんです。
 ちょっとでも怠けようものなら、こっぴどく怒鳴られる。

 とにかく一所懸命に働きました。
 かといって、ただ真面目に働いているだけでも駄目。
 何しろ

「人に用事を言いつけられて仕事をするやつは半人前、
 自分で仕事を見つけて働いてこそ一人前」

 というのが親父の考えでしたから。
 
 親父は僕がどんなに頑張って働いても、
 滅多におもちゃなど買ってくれたことはありません。

「欲しけりゃ自分で作れ。
 作れないなら諦めろ」

 と取り合ってくれない。

 しょうがないから子どもなりに蒲鉾の板を削って
 自動車や船を作ったりしたものです。
 
 ところで、この頃、僕にとって
 忘れられない出来事があります。
 
 ある日、友達の家に行ったらハーモニカがあって、
 吹いてみたらすごく上手に演奏できたんです。

 無理だと知りつつも、家に帰って
 ハーモニカを買ってくれと親父にせがんでみた。


 すると親父は、

「いい音ならこれで出せ」

 と神棚の榊の葉を一枚取って、
 それで「ふるさと」を吹いたんです。
 あまりの音色のよさに
 僕は思わず聞き惚れてしまった。
 
 もちろん、親父は吹き方など
 教えてはくれません。


「俺にできておまえにできないわけがない」


 そう言われて学校の行き帰り、
 葉っぱをむしっては一人で草笛を練習しました。

 だけど、どんなに頑張ってみても
 一向に音は出ない。
 諦めて数日でやめてしまいました。

 
 これを知った親父がある日、

「おまえ悔しくないのか。
 俺は吹けるがおまえは吹けない。
 おまえは俺に負けたんだぞ」

 と僕を一喝しました。
 続けて

「一念発起は誰でもする。
 実行、努力までならみんなする。
 そこでやめたらドングリの背比べで終わりなんだ。

 一歩抜きん出るには
 努力の上の辛抱という棒を立てるんだよ。
 この棒に花が咲くんだ」

 と。


 その言葉に触発されて僕は来る日も来る日も
 練習を続けました。

 そうやって何とかメロディーが
 奏でられるようになったんです。
 草笛が吹けるようになった日、
 さっそく親父の前で披露しました。

 得意満面の僕を見て親父は言いました。


「偉そうな顔するなよ。
 何か一つのことができるようになった時、
 自分一人の手柄と思うな。
 
 世間の皆様のお力添えと感謝しなさい。
 錐だってそうじゃないか。
 片手で錐は揉めぬ」


 努力することに加えて、
 人様への感謝の気持ちが生きていく上で
 どれだけ大切かということを、
 この時、親父に気づかせてもらったんです。
 
 翌朝、目を覚ましたら枕元に
 新聞紙に包んだ細長いものがある。
 開けて見たらハーモニカでした。
 喜び勇んで親父のところに駆けつけると、


「努力の上の辛抱を立てたんだろう。
 花が咲くのは当たりめえだよ」。

 
 子ども心にこんなに嬉しい言葉はありません。

 あまりに嬉しいものだから、お袋にも話したんです。
 するとお袋は

「ハーモニカは3日も前に買ってあったんだよ。
 お父ちゃんが言っていた。

 あの子はきっと草笛が
 吹けるようになるからってね」
 
 僕の目から大粒の涙が流れ落ちました。

 いまでもこの時の
 心の震えるような感動は、
 色あせることなく心に鮮明に焼きついています。

 かつての日本にはこのような親子の心の触れ合いが
 息づいていたんです。

☆☆☆


致知より



押忍 石黒康之

0 件のコメント:

コメントを投稿