プロフィール

2015年10月11日日曜日

無題

桜町領では、金次郎が行方不明ということで、
 大騒ぎになっていた。

 金次郎への反対者もいるのだが、
 しかし、なんといっても最近の桜町領の
 めざましい復興ぶりは見逃せない。
 大勢としては、金次郎への支持者、
 信奉者が多いのである。

 一同が八方手を尽くして調べると、
 成田山で修行していることがわかった。
 満願は四月六日だという。

 その日になると大勢の人が揃って、
 成田まで迎えに行った。

 四月六日に金次郎の祈願は、無事満願となり、
 金次郎の至誠はついに不動明王に通じたのである。
 そして金次郎は、

(一円観)

 という信念を、開眼することが出来たのである。
 その悟りとは、

(人には絶対の善人もないかわりに、絶対の悪人もいない。
 至誠をもって当たれば、復興事業を妨げる人々の心も
 動かすことができる)

 というものであった。
 すなわち、善や悪など、世の中のあらゆる対立するものを、
 一つの円の中に入れて観るのである。

 世の中には、善悪、強弱、遠近、貧富、男女、夫婦、
 老幼、苦楽、禍福、生死、寒暑など、
 互いに対立し、対照となっているものが無数にある。

 金次郎はこの対立するものを、一つの円の中に入れ、
 相対的に把握しようというのである。

 同じ店でも、買い物に行くときは遠くて不便だと思っても、
 その店が火事だと聞くと、遠くてよかったと思う。
 同じ刃物でも、気を削るときは切れなくて困ると思うが、
 指を怪我したときは、切れなくてよかったと思う。

 花見の舟に乗ろうとして、断られれば、花見舟を恨むが、
 花見舟が事故で沈むと、乗らなくてよかったと思う。

 このように、禍福、幸災など、互いに対立するものは、
 いずれもそれぞれ円の半分である。

 世の中のことは何事も、
 互いに対立する二つの半円を合わせて、
 一円となるのである。
 物事の相対性を、一円観として説いたものである。

 金次郎はこの一円観の悟りを開くまでは、
 復興事業を妨害する人は、悪人であると思っていた。
 だからその悪人には制裁を加える必要があると思っていた。

 しかし一円観を悟ってみると、
 そうではないことがわかった。
 反対者には反対の理由があり、反対者が出ることは、
 自分の誠意がまだ足らず、反対させる原因が
 自分の方にもあることがわかった。

  打つこころあれば打たるる世の中よ
  打たぬこころの打たるるはなし

 金次郎がこうした心境になったとき、
 桜町領復興事業の障害が、
 金次郎の心から霧が晴れるように消えた。
 そして、

(不動明王のごとく、たとえ火が燃えさかっても、
 決して桜町領から動くまい)

 という不動の決心が固まったのである。


 ◆「日本の最大の偉人」二宮金次郎に学ぶ!
 『親子で学びたい二宮金次郎伝』(三戸岡道夫・著)


☆☆☆

致知より




押忍                                  石黒康之

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