プロフィール

2017年8月26日土曜日

宇宙は広がり続ける=人間も死ぬまで修養し続ける

吉田松陰に、
こういう逸話があります。

安政元年3月27日
松陰は金子重輔と共に
伊豆下田に停泊していた
アメリカの軍艦に
乗り込もうとして失敗し、
下田の牢につながれます。

一夜明け、松陰は牢番に


「昨夜、行李が流されてしまって、
 手元に本がないから、
 何かお手元の本を
 貸してくれませんか」


と頼みます。

牢番はびっくりして


「あなたたちは
 大それた密航を企み、
 こうして捕らえられて
 獄の中にいるのだ。

 どうせ重いおしおきを
 受けるのだから、
 こんな時に勉強しなくても
 いいのではないか」


この牢番の言葉に
松陰はこう言うのです。


「凡およそ人一日この世にあれば、
 一日の食を喰らい、
 一日の衣を着、
 一日の家に居る。
 なんぞ一日の学問、
 一日の事業を励まざらんや」


(ごもっともです。
 それは覚悟しているが、
 自分がおしおきになる
 まではまだ時間がある。
 それまではやはり一日の
 仕事をしなければならない。
 人間というものは一日
 この世に生きていれば、
 一日の食物を食らい、
 一日の衣を着、
 一日の家に住む。
 それであるなら、
 一日の学問、
 一日の事業を励んで、
 天地万物への御恩に
 報いなければならない。
 この儀が納得できたら、
 ぜひ本を貸してもらいたい)


この言葉に感心して、
牢番は松陰に本を貸します。

松陰は牢の中で金子重輔に
向かってこう言ったといいます。


「金子君、今日このときの
 読書こそ本当の学問である」


渡部昇一著『人生を創る言葉』の
中に出ている話です。

渡部先生もこの話に感動されたらしく、
こう付記しています。


「牢に入って刑に処せられる
 前になっても、松陰は自己修養、
 勉強を止めなかった。

 無駄といえば無駄なのだが、
 これは非常に重要なこと
 だと思うのである。

 人間はどうせ死ぬものである。

 いくら成長しても
 最後には死んでしまう
 ことに変わりはない。

 この〈どうせ死ぬのだ〉という
 わかりきった結論を前にして、
 どう考えるのか。

 松陰は、どうせ死ぬにしても
 最後の一瞬まで
 最善を尽くそうとした。

 ……これは尊い生き方であると思う」


腹中に書をもって生きた松陰の
面目躍如たる話です。

私たちもかく生きたいものです。


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