2018年11月9日金曜日

教育道

「周りのみんなに優しさを配ってごらん」

(「死にたい」「手首を切った」、そんな相談に水谷さんはどのように答えているのですか、の質問に)

「水谷です。君が死ぬのは哀しいです」

それだけです。

すると大体

「ごめんね、先生を哀しませて。でも死にます」

と返ってくる。

これでこの子は死にません。

(なぜです?)

意識が外へ向きます。

彼らの意識構造は閉鎖的で内へ向いていますから、それを外に向けさせる。

それだけでとりあえずは助かります。

そして僕は一つのお願いをします。

「周りのみんなに優しさを配ってごらん。何でもいいんだよ。お父さんの靴磨きでもいいし、洗濯物を畳むのでもいい」

「そんなことして何になるの」

「いいから、まずやってごらん」と。

二、三日後には、心ある親なら子どもの変化に気づきます。

「先生、お父さんが靴を磨いていたのを気づいてくれて、ケーキ買ってくれた。ありがとう」

というようなメールや電話がくる。

そこで今度は親と話します。

お母さんに毎晩一緒に寝て、触れ合ってください、とお願いするのです。

日本の小児科医の父と呼ばれた内藤寿七郎先生は、「子どもは三歳までに決まる」と言いました。

三歳までにどれだけ触れ合って、抱っこしたかで人生が決まると。

いま、子どもを全然抱いていないでしょう。

保育園に預けても、数人の先生では子ども全員を十分に抱くことはできない。

車ではチャイルドシートなんかに乗せて、全然抱いていないですよ。

たとえ十代になっても二十代になっても遅くはないから、お母さんに彼らと触れ合って、抱き締めてほしいとお願いするのです。

抱き合えばいいんです。

触れ合えばいいんです。

言葉は要りません。

大人たちは頭を使い過ぎますよ。

子どもたちが待っているのは、考えてもらうことじゃない。

そばにいてくれることです。

それを頭で考えて、言葉でこね繰り回すから、むしろ言葉で子どもたちを傷つけて追い込んでいる。

いま世の中、ハリネズミだらけだ。

教員と生徒も、親と子も、社会全体がそうです。

愛し合って認め合いたいのに、針を出し合う。

例えば、娘が深夜一時頃帰宅した。

親はもう泣きたいくらい心配なんですよ。

玄関のドアが開いた瞬間、本当は、「やっと帰ってきた。心配していたんだぞ」

と言いたいのに、「何やっていたんだ、こんなに遅くまで!?」と言ってしまう。

一方、娘は家に帰ったら、「遅くなってごめんね」と言おうと思っていたのに、親に強く言われたものだから、「うざいんだよ!!」と言ってしまう。

「何だ、その口の利き方は。おまえなんか帰ってくるな!」

「分かったよ、出てけばいいんでしょ!!」……。

素直になればいいんです。

そして、言葉を捨てればいい。

教育に言葉は要らないのです。

水谷修(元高校教諭)


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押忍

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