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2018年12月7日金曜日

「生まれ変わり」あってもなくてもどっちでも良いが、あると思って生きた方が得であり、人生が楽しくなり深みが出る。

【なぜ私たちはこの世に生まれてきたか】

江原啓之氏の心に響く言葉より…

なぜ私たちはこの世に生まれてきたか。

それは前世でやり残した課題をクリアするため。

今までのたましいの歴史において、自分の短きところである短所は補い、長きところである長所は伸ばし、たましいをより磨こうと決意して生まれてきています。

そのための課題となるカリキュラムを自分でちゃんと決めているのです。

そして、私たちはカリキュラムを一番よく学べる学校として家系や家族を、自らで選びます。

例えば、自分に何かしら学ぶべき課題があって、そのために酒乱の父親がいる家庭を選んでくるといったこともあるでしょう。

前世の因果に、家系の因縁もあって、現世に生まれてきているのが、今の私たちです。

そして今の自分の運は、「前世の因果」「家系の因縁」という成分を含んで、因果果として運ばれてくる運というわけ。

ですから、学ぶべき課題として自分を成長させるような運が運ばれてくることもあるのです。

私たちがこの世に生まれてきた理由を考えてもわかるように、その多くは自分の短所を見つめる運と言えるでしょう。

だからといって、それが単純に不運ばかりだと言えないのが難しいところ。

例えば、宝くじに当たるということを例に考えてみましょう。

多くの人は、宝くじに当たることを良運だと思うでしょう。

しかし大金が当たってその後の人生が不幸になった人の話は枚挙にいとまがありません。

これが、身勝手なことをインスタントに選んでしまうという課題をクリアするために、運ばれてきた運だとしたら?

単純に良運だとは言えないのではないでしょうか。

また、離婚する夫婦は、最初から離婚など予想せずに結婚するはずです。

結婚したときは、「いい人と出会えて運がよかった」と思っても、結果的に離婚となれば、「その相手との出会いは不運だった」となるのでしょうか?

結婚というものに憧れて相手をよく見ていなかった幼稚さや、妄想で結婚してしまった安易さがあったとしたら、その短所は前世からやり残した課題。

それが離婚という形で浮き彫りになっただけのこと。

しかし自分の短所を知り、改善することで自分が成長したなら、結婚も離婚もたましいの視点から見れば運がよかったと解釈できるのではないでしょうか。

前世というたましいにおける過去のよい行い、悪い行い、それらを清算するために運がやってくるとしたら、幸運と見せかけた不運、不運と見せかけた幸運、様々にあることでしょう。

ですから、現世だけでなく霊的世界の視点も持たなければ、本当の意味での運は読み解けないのです。

『運命を知る』PARCO出版

経営学者で福島大学元教授の飯田史彦氏は、経営学の見方から、「生まれ変わり」について述べている。

「生まれ変わり」など絶対にない、怪しい考え方だと固く信じている人が、亡くなったあともし「あの世があった」としたら、がっかりして、絶望的な気持ちになる。

数字的に言えば、-1。

反対に、「生まれ変わり」があったら楽しいなと思っている人が、亡くなってあの世に行ったときに「あの世があった」としたら、思った通りだとうれしくなり、幸せな気持ちになる。

これは、+1。

そして仮に、「あの世がなかった」としても、何もないのだからプラスもマイナスもない、「ゼロ」。

つまり、「生まれ変わり」を信じた方が+1で、得だということ。

あの世があるかどうかは誰もわからない。

しかし、あると思って努力した方が確率的に言っても得。

我々が生まれてきた意味は、生まれたときよりも、少しでもましな人間になってこの世を去ること。

自分に起こるすべてのことがらは、自分の成長のために「自らが選んだこと」と深く得心すれば、どんなことも乗り越えられる。

毎日、自らのたましいを磨きたい。


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http://ameblo.jp/hiroo117/

シェアさせていただきました。


押忍

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