2020年8月11日火曜日

お盆オンライン稽古合同部 2日目

お盆オンライン稽古合同部 2日目

押忍^ ^

コロナ騒動

コロナ騒動が、私自身の弱い心、嫌な心、いい加減な心、私自身の本性を炙り出してくれる、、、


内弟子時代、人間が追い詰められると、その人間の本性が炙り出されてくるのを嫌というほど観てまいりました。
(勿論、自分自身も含めてです。)


また、支部長となり、調子が良い時には様々な人たちが寄り集まって来て、悪くなると波が引く様に人が去っていく経験、、、人間の怖さも自分なりに経験致しました。



どうやら、相当な長期戦となりそうなこのコロナ騒動、、、


コロナ自体の実体がどうのこうのなのではなく、
社会全体に与える影響は相当大きなものとなりそうです。


この機会を活かし、弱い、嫌な、いい加減な自分自身の本性としっかりと向き合い、受け入れ、今一度、内弟子時代を思い出し、大山総裁のご指導を思い出し、己自身の向上に努めて参ります。


押忍              石黒康之

ほとんどの人が途中でやめる。

《誤解されているときには、これからの「生きざま」を見せることで誤解を解く。「いつかはわかってくれる」と信じられれば、弁解や言い訳がずいぶん減っていく。》

『心を軽くする言葉』イースト・プレス

江戸時代の名僧、白隠禅師の逸話がある(『君の霊格を高めよ』無能唱元)より

『松蔭寺の門前に住む財産家の娘が身ごもってしまい、父親から、だれの子かと激しく責めたてられ、つい、白隠禅師の子だといってしまう。

激怒した父親はその赤ん坊を抱いて松蔭寺にやってきて、「今まで尊敬していたが、人の娘に手をつけるとはとんだ生ぐさ坊主だ。さあ、この赤ん坊を引きとってくれ」と大声ののしって帰って行ってしまった。

禅師は別に怒る風もなく、その赤ん坊をそだて始めた。

それで禅師の信用はすっかりなくなり、信者も弟子も去って、松蔭寺はすっかりさびれてしまった。

禅師は赤ん坊をとてもかわいがり、村々を托鉢して行く。

村人の中には禅師の姿を見ると嘲笑し、石を投げたり、塩をまいたりする者もあった。

ある雪の日、赤ん坊を抱いて托鉢をしている禅師の姿を見ていたその娘は、ついに耐えきれなくなって、ワッと泣き出すと、父親に真実を打ちあけ、あれは白隠さんの子ではない、と言った。

仰天した父親は、禅師のもとへ走り、平あやまりにあやまった。

禅師は、初めと同じように、別に怒る風もなく、「ああそうか、父がいたか。よかったな」といって、その赤ん坊をかえした。

このことがあってから、以前にも増して信者や弟子が松蔭寺に集まるようになったという』

「駿河には過ぎたるものが二つあり、富士のお山に原の白隠」とまでうたわれ、500年に一度の天才と称されたのが白隠禅師。

生涯を墨染(すみぞ)めの衣で過ごしたといわれる。

誤解を受けても、一切言い訳をしない。

そして、誤解は行動で解く。

しかしながら、凡人にはこのことがなかなかできない。

ついつい、言い訳をしたり、大声で自分の正当性を主張してしまう。

「いつかはわかってくれるだろう」と信じ…

「生きざま」を見せることで誤解を解きたい。


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押忍

2020年8月10日月曜日

お盆オンライン稽古合同部一日目

お盆期間中、オンライン稽古合同部一日目

極真空手の稽古に於いて、最低限必要だと思われる石黒流ストレッチ法を稽古しました。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。

押忍^ ^

【君は演劇の俳優である】



奴隷の哲学者、エピクテトスの心に響く言葉より…


《記憶しておくがよい。君は演劇の俳優である》(エピクテトス)

記憶しておくがよい。

君は演劇の俳優である。

劇作家が望んでいる通りに、短編であれば短く、長編であれば長い劇を演じる俳優だ。

作家が君に物乞いの役を演じてもらいたければ、そんな端役でさえも君はごく自然に演じるように。

足が悪い人でも、殿様でも、庶民でも同じこと。

君の仕事は、与えられた役を立派に演じることだ。

その役を誰に割り振るかは、また別の人の仕事である。


ギリシャ・ローマの古典劇では、円形の平土間に12~15人からなる歌舞隊が登場し、二手に分かれて交互に歌を歌い、踊り、その合間に仮面をつけて高下駄を履いた3人の俳優が舞台上で正面の客席を向いて台詞(せりふ)を交わす。

合唱が入るから、演劇といってもオペラやミュージカルに近い。

俳優は同時に3人までしか登場しない決まりだったから、登場人物が多い劇の場合、1人の俳優が場面ごとに仮面を付け替えては登場し、別々の人物を演じることが普通だった。


改めて考えてみると、実人生でも、我々は「自立した一つの人格」という以前に、むしろその場と状況に応じ、いくつか複数の役を演じているのかもしれない。

会社や学校に行けば、その組織の中で自分の役割に応じた仕事をする。

家に帰れば親として、夫として妻として、あるいは息子・娘として振る舞う。

休日には趣味の仲間と一緒になって、普段とは違った顔を見せる。

服装だってその場に応じて取り替える。

学校の制服だったり、背広にネクタイだったり、カジュアルだったり盛装したり。


つまり意識すると否とにかかわらず、何を着るかに応じて自分の役割を周囲に発信している。

それは舞台の衣装と大差はないだろう。


エピクテトスは、ずばり「君は演劇の俳優である」と言う。

しかし、「誰もが主役」というわけにはいかない。

自分に与えられた役回りが、たとえ端役や悪役であったとしても喜んで受け入れ、監督や演出家の創作意図を正しく理解し、そのつどその役に相応(ふさわ)しく見事に演じ切ることが大切だ、と彼は伝えている。


他人を押しのけてでも自分から主役を願い出ることも、割り振られた役に不満を持つことも、正しくない。

自分の置かれた状況をよくわきまえたうえで、自分に振られた役は何なのか、何を自分は望まれているのかを見抜くことが求められる。

エピクテトス自身、足を悪くしていたが、彼にとっては自分の肢体不自由すら、演じるべき役柄として理解していた。

それは消極的な態度とも、驚くべき前向きな態度とも取れる。


我々は、なりたいものになれるわけではない。

生まれた場所、遺伝も含めた親からの影響、育った環境や文化など、様々な条件がかけあわされて今の自分がある。

舞台背景を無視して身勝手に演技する役者がいれば、大根役者のそしりを免れないだろう。

同様に、自分の境遇を無視して生きようとすれば、そこには必ず無理や歪(ひず)みが生じる。


むろん、役者として一挙手一投足すべての動きが台本に記されているわけではない。

とりわけ、心の働きだけは何にも束縛されることはない。


人生=舞台という一定の制約の中で、自分の手で変えることのできるものは何か、またその反対に受け入れなければならないものは何か。

その境界を正しく見極めることが、本当の意味で自分らしく生き抜くということなのだろう。


『奴隷の哲学者エピクテトス 人生の授業』(荻野弘之)ダイヤモンド社
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エピクテトスは、ローマ時代のストア派を代表する哲学者である。

彼が生きた時代は、紀元1世紀の後半から2世紀の前半にかけて、ネロ帝からハドリアヌス帝に至る帝政初期、ローマ帝国が最大の版図(はんと)に達し、繁栄を誇った時代に当たる。

ストア派の出発点はそれより400年前、開祖ゼノンとその門弟がアテネ市内の中心部にある彩色柱廊(ちゅうろう)(ストア・ポイキレー)を舞台にして教授活動をしたことから、この名で呼ばれるようになった。

自前のキャンパスや校舎をもたない、今でいえば「哲学カフェ」といったところだろう。

同時代のストア哲学といえば、キケロ、セネカ、マルクス・アウレリウスといった名前が浮かんでくるが、こうした系譜の中核にいるのが、エピクテトスという奴隷出身の哲学者なのである。

彼は、奴隷の両親から生まれた苦労人で、彼自身も若い頃は奴隷として過ごし、解放された後は私塾を開いて生計を立てた。

エピクテトスの一生は、いわゆる「学者」でも、ましてや「エリート」でもない。

奴隷としての出自、慢性的な肢体不自由、国外追放の辛酸(しんさん)、塾講師としての不安定な収入、といった多くの困難を抱えながら、当時の流行思想でもあったストア派の哲学を自分自身の「生き方」として学び取り、それを洗練させていった。

地位や財産や権力とは無縁な、ごく平凡な市井(しせい)の庶民が、いかにして真の自由を享受し、幸福な生活にあずかることができるのか。

そのためにいかなる知恵が大切なのか…。

「隷属と自由」という彼自身の課題は、そのまま現代人の生活の場面にまでつながっている。(以上、本書より)



エピクテトスは、年収や財産を自慢するなんて、勘違いも甚だしいという。

得意になって自分の所有しているものを自慢したとしたところで、そのモノがその人の価値を決めるわけではない。

大事なのは「心の働き」だという。

常に徳性を磨いているか、偏見にとらわれていないか、偉そうにしていないか、自分の欲をコントロールできているかという「心の働き」だ。


自分の与えられた役割をしっかりと認識し、生涯にわたり、しっかりと演じ切りたい。







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押忍

2020年8月9日日曜日

1990年 極真 若獅子寮

プール

本日、午後からは、コロナ対策を万全にし(自宅から水着で出かけ水着で帰るなど、、)浜松市内の公営プールで子供たちと涼を楽しんで来ました。^ ^

と、同時に室内25mプールで何本か泳ぎ息上げの稽古もして参りました。

コロナ禍で大変な中、公営プールを開いて頂いている浜松市に感謝申し上げます。


ありがとうございました!


押忍^ ^

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お付き合いを避けるべき運を奪う人

世の中には、人の運を上げてくれる人もいれば、人が持っている運を奪っていく人もいます。釈尊は吉祥経の中で運気を奪う人を愚かな人として交際を禁じる「愚かな人に近づかず、賢い人に親しむ」の句を残しています。では、人の運を奪う人とはどのような人なのでしょうか。

1.根暗 ネガティブで暗い話ばかり聞かせようとする

2.威張る 強引な態度で人と接し、相手を委縮させる

3.卑しい 人から与えてもらうことばかり考え、
自分では何も人に与えようとしない

4.不機嫌 常に不機嫌で、表情が乏しい

5. 心配性 いらない心配ばかりして、人を不安にさせる


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押忍

人生とは織物のようなもの

2020年8月7日金曜日

zoomオンライン稽古合同部

毎週金曜日、極真空手 静岡西遠・愛知東三河支部ではzoomを使ったオンライン稽古を行なっております。

なんといっても、オンライン稽古の醍醐味は支部内7カ所の道場の門下生が時間と距離的な問題をものともせず、
一堂に介して稽古が出来る事であります。

オンライン稽古にはオンライン稽古にしか出来ない良さがあり、
オフライン(道場現場)稽古にはオフライン稽古にしか出来ない良さがある、のだと思います。

特にオンライン稽古では技術的な事の統一、稽古意識の統一には最適であると実感しております。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。

押忍^ ^

「井の中の蛙、大海を知らず、されど天の青さ(深さ)を知る」

「井の中の蛙、大海を知らず、されど天の青さ(深さ)を知る」


少年部時代より、極真空手一本で歩んで参りました、、
そして、これからも極真空手一本で日々稽古に精進して参ります。

若い頃(20代、30代)は、石黒は世間を知らない、とよく揶揄われ、、、
悩んだ挙げ句、様々な経験もし、自分なりに苦く辛い思いも致しました。

40代の10年間、自分なりに暗中模索の状態を繰り返し、、、

50代に入り、やっと私にとって「極真空手一本」で生きていく、という覚悟、選択肢は間違いではなかった、と信念へと変わりました!


皆様、今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。

いつも本当にありがとうございます。


押忍          石黒康之

2020年8月6日木曜日

コロナガイドライン

本日の極真空手 蒲郡道場です。

夏本番のサウナ並の暑さと愛知県独自のコロナ緊急事態宣言発令中ではありますが、しっかりとコロナガイドラインと熱中症予防対策を万全にして稽古を無事に終了致しました。

稽古を終了してみて思うのですが、
極真空手の稽古は決して不要不急の外出なのではなく、門下生の皆様の身体と心と精神の健康維持にとって必要不可欠な事である、という確信です。

それらの事は前回の緊急事態宣言下で痛いほど痛感いたしました、、

これからも世間の皆様と歩調をしっかりと合わせながらも、コロナガイドラインと熱中症予防対策を万全に施し、日々稽古に精進させて頂きたいと思います。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。

押忍^ ^

極真空手 蒲郡道場 幼少年少女部

押忍^ ^

極真空手 蒲郡道場 師範稽古

押忍^ ^

一隅を照らす

2020年8月4日火曜日

パーソナル稽古

押忍^ ^

マスク

コロナ前(Beforeコロナ)は、普段、他人と話しをする時、相手の口元や表情全体を察知して会話をしておりました。

しかし、コロナ禍となり、マスク着用か常識?となってしまった今、相手の目を見ながら、会話をする事が非常に多くなりました。


「目は口ほどにものを言う」


極真空手の組手稽古の時でも、相手の目をしっかりと見ていれば、相手が次にどう動いて来るのかが手に取るようにわかる様に、、
マスク姿での会話も相手の真意がどこにあるのかが手にとる様に分かってくるものですね!

ある意味、これも、コロナの副産物かもしれません、、、(^^)

コロナ騒動がここまで来てしまった今となっては、
逆にコロナを活用して、全ての物事を良い方に良い方に変えてしまおうと考えております。

私にとって、このコロナ騒動からの「気付き」は色々な意味でかなり大きな気付きとなっております。


押忍^ ^

パーソナル稽古

押忍^ ^

極真空手 浜松大蒲道場 幼少年少女部

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極真空手 浜松大蒲道場 師範稽古

押忍^ ^

月次決算日

本日、月次決算日

より良い道場運営が出来るようがんばります!

押忍^ ^

2020年8月2日日曜日

本を正せば末はなる

押忍

静岡西遠支部 夏季昇級審査会

本日、浜松西伊場道場にて静岡西遠支部夏季昇級審査会を行いました。

梅雨も明け、夏本番の暑さの中、大変がんばりました、お疲れ様でした!

お互いに日々研鑽、切磋琢磨し合い、日々稽古に励んで参りましょう。

ありがとうございました。

押忍^ ^