秋季審査補習稽古追加審査会(昇級・昇段)
お疲れ様です。
いつもお世話になり、誠にありがとうございます。^ ^
写メ日程にて秋季審査補習稽古追加審査会(昇級・昇段)を執り行わせて頂きます。
(先着20名様までとなります。)
受審希望者は道場にて(石黒より)、申込み書を受け取って頂けたら大変助かります。
何卒宜しくお願い申し上げます。
押忍^ ^
いつもお世話になり、誠にありがとうございます。^ ^
写メ日程にて秋季審査補習稽古追加審査会(昇級・昇段)を執り行わせて頂きます。
(先着20名様までとなります。)
受審希望者は道場にて(石黒より)、申込み書を受け取って頂けたら大変助かります。
何卒宜しくお願い申し上げます。
押忍^ ^
秋季昇級審査会のお知らせ
お疲れ様です。
いつもお世話になり、誠にありがとうございます。^ ^
写メ日程にて秋季昇級審査会を執り行わせて頂きます。
(各日程、先着20名様までとなります。)
受審希望者は道場にて(石黒より)、申込み書を受け取って頂けたら大変助かります。
何卒宜しくお願い申し上げます。
押忍^ ^
いつもお世話になり、誠にありがとうございます。^ ^
写メ日程にて秋季昇級審査会を執り行わせて頂きます。
(各日程、先着20名様までとなります。)
受審希望者は道場にて(石黒より)、申込み書を受け取って頂けたら大変助かります。
何卒宜しくお願い申し上げます。
押忍^ ^
【私たちの魂は、肉体という衣を着ているにすぎない】
小林正観さんの心に響く言葉より…
死ぬことを心配し、怖がっている人に一言。
"生きているときは、まだ死んでいないのだから、死を恐れる必要はない"
"死んだら、もう死んでしまったのだから、死を恐れる必要はない"
死ぬことは、今私たちが住んでいる三次元の世界から単に引っ越しをするだけです。
私たちの魂は、肉体という衣を着ているにすぎません。
ですから、今、この三次元の世界で肉体という「貸衣装」を着てお付き合いをしている人たちとは、握手したり、抱き合ったりできるならば、しておいたほうがいいのです。
最後に会ったときに眉間にシワを寄せて口が「への字」だったというのは、悔いが残るでしょう。
いつ最期になるかわからないのですから、つねに悔いが残らないような触れ合いをしていくことをお勧めします。
この世界で神様と呼ばれている存在とは、肉体という「貸衣装」のレンタル会社の社長のようなものです。
私たちの魂は、肉体という衣を着ているにすぎません。
ですから、私たちは最期に、神様にその貸衣装をボロボロにして返却したら申しわけないと思います。
神様だって「この人は、せっかく高級品を貸してあげてもこんなにボロボロにしてしまうのだったら、次は高級な衣装を貸すのはやめよう」と思うのではないでしょうか。
酒、タバコ、暴飲暴食に加えて「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言い続けて『貸衣装』をボロボロにしてしまった」と思う人は、これから死ぬまでの間に、肯定的な言葉や「ありがとう」という言葉をたくさん言ってみること。
「ありがとう」を言うことで、この衣装は修復されるらしい、という法則を知った瞬間から、ひたすら実践してみることをお勧めします。
そうしてボロボロのままではなく、ちゃんと修復して返せば、「この人は貸衣装を大事にしてくれるから、次は安心して上等な衣を貸してあげようかな」と、レンタル会社の社長(神様)はニッコリ笑ってくれるのではないでしょうか。
『この世の悩みがゼロになる』大和書房
我々人類は今もって、生命体をゼロから作り出すことはできない。
大腸菌ひとつ、つくり出すことはできない。
人間の肉体など論外だ。
つまり、それだけ精緻で細部にわたりきめこまかくできている肉体は、神様からの贈り物と考えるしかない。
しかしながら、自分の肉体は自分のもの、と思っている人は多い。
自分のもの、と思う人は、乱暴だったり、ぞんざいに扱ったりする。
もし、神様からお借りしているのだ、と思うなら一瞬たりとも粗末に扱うことはできない。
借りて住んでいる家でさえ、出ていくときは、部屋をよごしたり、傷つけたりしたら修復を要求される。
お借りしている我々の肉体も同じ。
肉体を一番傷つけるのは、我々が日頃使う言葉。
「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」は、人に言っているつもりでも、実は自分が一番影響を受ける。
なぜなら、自分が一番聞いているからだ。
神様からお借りしている自分の体を大切にしたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより❗
シェアさせて頂きました。
小林正観さんの心に響く言葉より…
死ぬことを心配し、怖がっている人に一言。
"生きているときは、まだ死んでいないのだから、死を恐れる必要はない"
"死んだら、もう死んでしまったのだから、死を恐れる必要はない"
死ぬことは、今私たちが住んでいる三次元の世界から単に引っ越しをするだけです。
私たちの魂は、肉体という衣を着ているにすぎません。
ですから、今、この三次元の世界で肉体という「貸衣装」を着てお付き合いをしている人たちとは、握手したり、抱き合ったりできるならば、しておいたほうがいいのです。
最後に会ったときに眉間にシワを寄せて口が「への字」だったというのは、悔いが残るでしょう。
いつ最期になるかわからないのですから、つねに悔いが残らないような触れ合いをしていくことをお勧めします。
この世界で神様と呼ばれている存在とは、肉体という「貸衣装」のレンタル会社の社長のようなものです。
私たちの魂は、肉体という衣を着ているにすぎません。
ですから、私たちは最期に、神様にその貸衣装をボロボロにして返却したら申しわけないと思います。
神様だって「この人は、せっかく高級品を貸してあげてもこんなにボロボロにしてしまうのだったら、次は高級な衣装を貸すのはやめよう」と思うのではないでしょうか。
酒、タバコ、暴飲暴食に加えて「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句を言い続けて『貸衣装』をボロボロにしてしまった」と思う人は、これから死ぬまでの間に、肯定的な言葉や「ありがとう」という言葉をたくさん言ってみること。
「ありがとう」を言うことで、この衣装は修復されるらしい、という法則を知った瞬間から、ひたすら実践してみることをお勧めします。
そうしてボロボロのままではなく、ちゃんと修復して返せば、「この人は貸衣装を大事にしてくれるから、次は安心して上等な衣を貸してあげようかな」と、レンタル会社の社長(神様)はニッコリ笑ってくれるのではないでしょうか。
『この世の悩みがゼロになる』大和書房
我々人類は今もって、生命体をゼロから作り出すことはできない。
大腸菌ひとつ、つくり出すことはできない。
人間の肉体など論外だ。
つまり、それだけ精緻で細部にわたりきめこまかくできている肉体は、神様からの贈り物と考えるしかない。
しかしながら、自分の肉体は自分のもの、と思っている人は多い。
自分のもの、と思う人は、乱暴だったり、ぞんざいに扱ったりする。
もし、神様からお借りしているのだ、と思うなら一瞬たりとも粗末に扱うことはできない。
借りて住んでいる家でさえ、出ていくときは、部屋をよごしたり、傷つけたりしたら修復を要求される。
お借りしている我々の肉体も同じ。
肉体を一番傷つけるのは、我々が日頃使う言葉。
「不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句」は、人に言っているつもりでも、実は自分が一番影響を受ける。
なぜなら、自分が一番聞いているからだ。
神様からお借りしている自分の体を大切にしたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより❗
シェアさせて頂きました。
夏の想い出
本日、下のちび坊2人の夏休み最後の想い出作りに、浜松の市営プールに行って参りました。^ ^
密にならない人数制限や体調チェックなどが厳密になされており、浜松市には感謝の言葉しか御座いません、本当にありがとうございました。
私思うに、、、
コロナによって各施設やイベント事を感染症対策を施しながら継続していく事も、、、「○正解」
コロナによって各施設やイベント事を安全を最優先させて閉館、中止にしていく事も、、、「○正解」
であると思うのです。
すなわち、コロナ対策やワクチン接種議論に関しては、
見解の相違こそあれ、全てが「○正解」であり間違いは無いと思うのです。
一番いけないのは、自分と違う考え、価値観の違う他人を、あたかも敵の如く、責め立て、誹謗中傷し、差別し、攻撃し、罵り合い、分断してしまう事であると思うのです。
各々のコロナ対策は、全てが正解であり、全てが間違いではないのだと思うのです。
おそらく、このコロナによって、人間社会はまだまだ、ギスギスし合い、分断の極地まで行き着いてしまう様な気が致します。
そして、いく着くところまで行き着いた果てに、やっと反省し、その分断や誹謗中傷、差別が本当の意味で間違いであったと気付き、各々を認め合いながら生きていける世界を築きあげる事が出来た時にはじめて、、、
このコロナウイルス(コロちゃん)は、自分達の役割を終えたと認識して、この地球上から、人類から、姿を消していく様な気がしてならないのです。
追伸
実は、このコロナウイルス「騒動」は、我々人類の思考が勝手に作り出している産物なのではないのでしょうか、、
#夏の想い出
#浜松市
#極真空手
密にならない人数制限や体調チェックなどが厳密になされており、浜松市には感謝の言葉しか御座いません、本当にありがとうございました。
私思うに、、、
コロナによって各施設やイベント事を感染症対策を施しながら継続していく事も、、、「○正解」
コロナによって各施設やイベント事を安全を最優先させて閉館、中止にしていく事も、、、「○正解」
であると思うのです。
すなわち、コロナ対策やワクチン接種議論に関しては、
見解の相違こそあれ、全てが「○正解」であり間違いは無いと思うのです。
一番いけないのは、自分と違う考え、価値観の違う他人を、あたかも敵の如く、責め立て、誹謗中傷し、差別し、攻撃し、罵り合い、分断してしまう事であると思うのです。
各々のコロナ対策は、全てが正解であり、全てが間違いではないのだと思うのです。
おそらく、このコロナによって、人間社会はまだまだ、ギスギスし合い、分断の極地まで行き着いてしまう様な気が致します。
そして、いく着くところまで行き着いた果てに、やっと反省し、その分断や誹謗中傷、差別が本当の意味で間違いであったと気付き、各々を認め合いながら生きていける世界を築きあげる事が出来た時にはじめて、、、
このコロナウイルス(コロちゃん)は、自分達の役割を終えたと認識して、この地球上から、人類から、姿を消していく様な気がしてならないのです。
追伸
実は、このコロナウイルス「騒動」は、我々人類の思考が勝手に作り出している産物なのではないのでしょうか、、
#夏の想い出
#浜松市
#極真空手
2021年8月28日土曜日
2021年8月27日金曜日
クレーム
クレームの電話の吉と凶とを分けるもの
…………………………………………………
企業活動にたとえてみれば、
一本のクレームの電話があったとすると、
これは一つの兆しなのです。
その後の三、四回までのクレームの電話は
吉でもなく凶でもありません。
この段階ではまだ吉か凶かはわからず、
易経にはそれは「小疵(しょうし)」と書かれていて、
小さな傷にすぎないというのです。
吉と凶を分けるのはクレームの電話があった際の、
企業の姿勢、すなわち「悔か吝か」で決まるのです。
たとえば、材料の牛乳や卵の残り物を捨てるのは
もったいないからといって、
三日間ぐらい賞味期限を延ばし、
その分の経費を節約して儲けようとする
食品会社があったとします。
そこに消費者から腹をこわしたという
クレームの電話が来た時には、
その原因はすでに企業側は知っていることで、
これが公になったらクレームどころではなく
スキャンダルになります。
そのスキャンダルによって社会問題となり、
企業倫理や企業体質が問われて
老舗でさえも潰れてしまうかもしれません。
クレームもなく儲かっている間は
不正をなかなか止めることができません。
しかし観る力のある人は、
数本のクレーム電話が来た時に原因に思い当たり、
ゾッとして身体も心も震えます。
しかし観る力のない人は
「腹をこわしたといっても、死ぬわけではないのだから」
と軽い判断をして、クレーム処理ばかりを
指示するだけになってしまいます。
その兆しを観る力のある人は、
クレームという天の声が恐ろしくなり、
怯えて後悔します。
それを易経では「悔(かい)」といいます。
やってはいけないことをやってしまったという後悔は、
このままでは会社が崩壊しかねないので、
今までのやり方を改めようと
すぐにシステムを変えるように動きます。
後悔して改めると「吉」に向かいます。
しかしすぐに「吉」という結果が
得られないところに難しさがあります。
これまで不正で経費を節約していたものを
改めるのですから、あらたな経費がかかってしまうし、
新しくシステムを導入しようとすれば
その分の投資が必要になります。
また社員の教育が必要ですし、
その他にもいろいろと手を打たなければなりません。
要するにお金がかかることが多いし、
手間暇がかかります。
すると今までの利益が減ってしまうことになるので、
しばらくは吉に転じているとは
見えにくい期間が続きます。
実はこれが膿出しの期間です。
今までの膿を全部出し切ると、
「窮まれば変ず」となって企業の地道な努力が実り、
変化し始めるのです。
それが底力となり、
「あの会社はよくなった」とか
「味もサービスもよくなった」という声が
聞かれるようになります。
ゆるぎない信用を、
従来よりも得ることになっていきます。
自動車でも時々リコール問題があります。
リコールにはお金がかかりますが、
それを惜しんで隠蔽してしまうと、
後々に大きな問題となって取り返しが
つかないことにもなります。
しかし誠実にリコールをすれば、
もっと大きな信用が回復することになるでしょう。
とことん膿を出し切ると「窮まれば変ず」となり、
ここから吉になっていきます。
………………………………………………………………
『経営に生かす易経』(致知出版社) 竹村亞希子 著
以下、致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
…………………………………………………
企業活動にたとえてみれば、
一本のクレームの電話があったとすると、
これは一つの兆しなのです。
その後の三、四回までのクレームの電話は
吉でもなく凶でもありません。
この段階ではまだ吉か凶かはわからず、
易経にはそれは「小疵(しょうし)」と書かれていて、
小さな傷にすぎないというのです。
吉と凶を分けるのはクレームの電話があった際の、
企業の姿勢、すなわち「悔か吝か」で決まるのです。
たとえば、材料の牛乳や卵の残り物を捨てるのは
もったいないからといって、
三日間ぐらい賞味期限を延ばし、
その分の経費を節約して儲けようとする
食品会社があったとします。
そこに消費者から腹をこわしたという
クレームの電話が来た時には、
その原因はすでに企業側は知っていることで、
これが公になったらクレームどころではなく
スキャンダルになります。
そのスキャンダルによって社会問題となり、
企業倫理や企業体質が問われて
老舗でさえも潰れてしまうかもしれません。
クレームもなく儲かっている間は
不正をなかなか止めることができません。
しかし観る力のある人は、
数本のクレーム電話が来た時に原因に思い当たり、
ゾッとして身体も心も震えます。
しかし観る力のない人は
「腹をこわしたといっても、死ぬわけではないのだから」
と軽い判断をして、クレーム処理ばかりを
指示するだけになってしまいます。
その兆しを観る力のある人は、
クレームという天の声が恐ろしくなり、
怯えて後悔します。
それを易経では「悔(かい)」といいます。
やってはいけないことをやってしまったという後悔は、
このままでは会社が崩壊しかねないので、
今までのやり方を改めようと
すぐにシステムを変えるように動きます。
後悔して改めると「吉」に向かいます。
しかしすぐに「吉」という結果が
得られないところに難しさがあります。
これまで不正で経費を節約していたものを
改めるのですから、あらたな経費がかかってしまうし、
新しくシステムを導入しようとすれば
その分の投資が必要になります。
また社員の教育が必要ですし、
その他にもいろいろと手を打たなければなりません。
要するにお金がかかることが多いし、
手間暇がかかります。
すると今までの利益が減ってしまうことになるので、
しばらくは吉に転じているとは
見えにくい期間が続きます。
実はこれが膿出しの期間です。
今までの膿を全部出し切ると、
「窮まれば変ず」となって企業の地道な努力が実り、
変化し始めるのです。
それが底力となり、
「あの会社はよくなった」とか
「味もサービスもよくなった」という声が
聞かれるようになります。
ゆるぎない信用を、
従来よりも得ることになっていきます。
自動車でも時々リコール問題があります。
リコールにはお金がかかりますが、
それを惜しんで隠蔽してしまうと、
後々に大きな問題となって取り返しが
つかないことにもなります。
しかし誠実にリコールをすれば、
もっと大きな信用が回復することになるでしょう。
とことん膿を出し切ると「窮まれば変ず」となり、
ここから吉になっていきます。
………………………………………………………………
『経営に生かす易経』(致知出版社) 竹村亞希子 著
致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
押忍
2021年8月24日火曜日
筋力強化+有酸素運動は、がんの死亡リスクを減らす:世界の最新健康・栄養ニュース
【筋力強化+有酸素運動は、がんの死亡リスクを減らす】
「スクワット、ローイング、プランク、ウェイトトレーニングなどは、がんによる死亡リスクを13%減らすことができるという。そしてこれらの運動に有酸素運動を組み合わせると、効果はより高まり、死亡リスクは28%下げることができるという」
「筋力トレーニングは、腎臓がんの発症リスクを26%低下させたが、その他12種類のがんの発症リスクには影響がみられなかった」
「身体活動がいくつかの種類のがんのリスクを低減と関連づけられていたが、どのような種類の運動が最良の結果をもたらすかは不明確だった。我々の研究において、筋力トレーニングががんの発症リスクと死亡リスクを減らすだけでなく、ウォーキング、水泳、自転車のような有酸素運動との組み合わせでより良好な効果をもたらすことが明らかになった」
https://www.nibiohn.go.jp/eiken/linkdediet/news/FMPro%3F-db=NEWS.fp5&-Format=detail.htm&kibanID=75897&-lay=lay&-Find.html?fbclid=IwAR1S5gPx883ryu3dQritSQs6qf5_AYMdbc0rMPfZlyVapjCcWhEIeZ5j0FI
「スクワット、ローイング、プランク、ウェイトトレーニングなどは、がんによる死亡リスクを13%減らすことができるという。そしてこれらの運動に有酸素運動を組み合わせると、効果はより高まり、死亡リスクは28%下げることができるという」
「筋力トレーニングは、腎臓がんの発症リスクを26%低下させたが、その他12種類のがんの発症リスクには影響がみられなかった」
「身体活動がいくつかの種類のがんのリスクを低減と関連づけられていたが、どのような種類の運動が最良の結果をもたらすかは不明確だった。我々の研究において、筋力トレーニングががんの発症リスクと死亡リスクを減らすだけでなく、ウォーキング、水泳、自転車のような有酸素運動との組み合わせでより良好な効果をもたらすことが明らかになった」
https://www.nibiohn.go.jp/eiken/linkdediet/news/FMPro%3F-db=NEWS.fp5&-Format=detail.htm&kibanID=75897&-lay=lay&-Find.html?fbclid=IwAR1S5gPx883ryu3dQritSQs6qf5_AYMdbc0rMPfZlyVapjCcWhEIeZ5j0FI
2021年8月23日月曜日
2021年8月22日日曜日
朝から涙ぐんでしまいました。
「小学生の時、僕は」という話をご紹介します♪
小学生の時僕はイジメられていた。
無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのはとても辛かった。
イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。
ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。
先生はなんでもいいんだよ。
遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。
けど僕はなかなか書く事ができなかった。
クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。
結果から言うと作文は書いた。
書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。
あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。
でもそれしか書けなかった。
作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。
先生はそのまま教室を後にした。
その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。
「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」
今日は作文の発表会の日。
先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。
「僕のお父さんは・・・」
「私のパパはよくおならをします。」
クラスの子たちのおもしろい文章にみんな笑ったり、お父さんの仕事に驚いたりしていた。
でも僕は全然聞いていなかった。
ただひたすら「僕の作文は選らばませんように」ただ祈って下を向いているだけだった。
発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。
僕は少し安心していたのだがその期待は無駄だった。
「じゃあ最後に〇〇君に読んでもらいます」
頭の中は真っ白だった。
「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」
クラス中から非難の声が上がった。
バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ
様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。
もうどこにも逃げられなかった。
「静かにしなさいっ!」
突然の大声に教室は静まり返った。
「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」
「さあ読んでください」
「ぼくのお父さん」
「僕のお父さんはいません。
幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。
それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。
写真があるのでみましたがおぼえていないです。
だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。
お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。
朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。
いつもつかれたといってますが甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるのでとてもだいすきです。
おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。
お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。
みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど
でもとてもやさしいいいおばあちゃんです」
「だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。
お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。
お母さんはお父さんがいなくて
ゴメンねと言ったりするので早く僕が大人になって仕事をして
うちの家族のお父さん代わりになってお母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います
だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、
お母さんにはいつも肩をもんであげています。
二人とも泣いたりするのですこしこまるけど
そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」
一気に僕はしゃべった。
先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、
クラスの子達からはおまえお父さんがいないのか?
もしかして捨て子だったんじゃねえか?
とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。
顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。
先生は立ったまま泣いていた・・・
先生だけではなかった。
他の子たちもみんな泣いていた。
僕が始めて好きになった初恋の子は机にうずくまって泣いていた。
イジメていた子たちもみんな泣いていた。
でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。
どうして?
お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。
どうしてみんな泣いているのだろう?
「〇〇君・・・」
「はい・・・」
「先生は人の心が分からないダメな先生でした。
ゴメンなさい。
世の中には親御さんのいない子もいるのにね。
そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて、
あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」
先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。
それがその日起こった出来事だった。
次の日からなぜかイジメられなくなった。
相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなくイジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。
先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。
作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、
今は亡くなったばあちゃんもうれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。
僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど、
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。
「小学生の時、僕は」という話をご紹介します♪
小学生の時僕はイジメられていた。
無視されたり叩かれたり・・・死にたいとは思わなかったけど学校に行くのはとても辛かった。
イジメをするのは一部のクラスメートだけだったけど他の子たちは自分もイジメられるのが怖くて、誰も助けてはくれなった。
ある日授業で「自分のお父さん」の事について作文を書く授業があった。
先生はなんでもいいんだよ。
遊びにいった事とかお父さんの仕事の事とかでいいと言っていた。
けど僕はなかなか書く事ができなかった。
クラスの子達はみんな楽しそうに書いている中、僕一人教室のなかでひとりぼっちだった。
結果から言うと作文は書いた。
書いたのだが「自分のお父さん」というテーマとは違う事を書いた。
あとで先生に怒られるかも・・・またこれがきっかけでイジメられるのかなと子供心にとても不安だった。
でもそれしか書けなかった。
作文は授業の終わりと同時に集められ先生は「じゃあ来週発表会をします。」と言った。
先生はそのまま教室を後にした。
その後は頭を叩かれてイジメられているふだんの僕がいた。
「じゃあ今日は発表会をしてもらいます。」
今日は作文の発表会の日。
先生が選んだ中から順に書いた本人に読んでいってもらいますと先生は言った。
「僕のお父さんは・・・」
「私のパパはよくおならをします。」
クラスの子たちのおもしろい文章にみんな笑ったり、お父さんの仕事に驚いたりしていた。
でも僕は全然聞いていなかった。
ただひたすら「僕の作文は選らばませんように」ただ祈って下を向いているだけだった。
発表会は順調に進みあと10分で授業も終わるところまで来ていた。
僕は少し安心していたのだがその期待は無駄だった。
「じゃあ最後に〇〇君に読んでもらいます」
頭の中は真っ白だった。
「あの、先生・・・僕はお父さんの事書いてないです。」
クラス中から非難の声が上がった。
バカじゃねえの?廊下に立ってろよオマエ
様々な声が飛び交ったが非難の意見はみんな一緒だった。
もうどこにも逃げられなかった。
「静かにしなさいっ!」
突然の大声に教室は静まり返った。
「先生はどうしても読んでもらいたいの。だからみんな聞いてください」
「さあ読んでください」
「ぼくのお父さん」
「僕のお父さんはいません。
幼稚園の時に車にはねられて死んだからです。
だからお父さんと遊んだのもどこかへ行った事もあまりありません。
それにお父さんの事もあまりおぼえていないです。
写真があるのでみましたがおぼえていないです。
だからおばあちゃんとお母さんのことをかきます。
お母さんは昼間しごとにいってお父さんののかわりに働いています。
朝はやくから夜おそくまでいつも働いています。
いつもつかれたといってますが甘いおかしやたいやきを買ってきてくれるのでとてもだいすきです。
おばあちゃんはげんきで通学路のとちゅうまでいつもいっしょに歩いてきてくれます。
ごはんはみんなおばあちゃんが作ってくれてとてもおいしいです。
お母さんが働いているので父兄参観の時にはおばあちゃんが来てくれます。
みんなはおまえの母ちゃんババァなんだとからかってくるのではずかしったけど
でもとてもやさしいいいおばあちゃんです」
「だからお父さんがいなくても僕はあまりさびしくありません。
お母さんとおばあちゃんがいてくれるからです。
お母さんはお父さんがいなくて
ゴメンねと言ったりするので早く僕が大人になって仕事をして
うちの家族のお父さん代わりになってお母さんとおばあちゃんの生活を楽にしてあげたいと思います
だからおばあちゃんには長生きしてねといつもいっていて、
お母さんにはいつも肩をもんであげています。
二人とも泣いたりするのですこしこまるけど
そんなお母さんとおばあちゃんが僕は大好きです。」
一気に僕はしゃべった。
先生には死んだお父さんのことを書けばいいのにと言われると思ったし、
クラスの子達からはおまえお父さんがいないのか?
もしかして捨て子だったんじゃねえか?
とまたイジメられるのかなと思ったりしていた。
顔をあげる事もできなかった僕は救いを求めるように先生の顔を見てみた。
先生は立ったまま泣いていた・・・
先生だけではなかった。
他の子たちもみんな泣いていた。
僕が始めて好きになった初恋の子は机にうずくまって泣いていた。
イジメていた子たちもみんな泣いていた。
でも僕にはなぜみんな泣いているのか分からずにいた。
どうして?
お父さんがいないからお母さんとおばあちゃんの事を仕方なく書いたのに。
どうしてみんな泣いているのだろう?
「〇〇君・・・」
「はい・・・」
「先生は人の心が分からないダメな先生でした。
ゴメンなさい。
世の中には親御さんのいない子もいるのにね。
そういう子たちの事も頭になくてお父さんの事を書いてだなんて、
あなたの事も知らなかったとはいえ本当にごめんなさいっ!」
先生は顔を覆ったまま泣き崩れていた。
それがその日起こった出来事だった。
次の日からなぜかイジメられなくなった。
相変わらず口悪くからかったりはされたけど殴られる事はなくイジメのリーダー格の子に遊びに連れていってもらえるようになった。
先生はその後の家庭訪問でその日の出来事をおばあちゃんに話して謝っていた。
作文の事は僕は話もしていなかったので少し怒られたけど話を聞いた母も、
今は亡くなったばあちゃんもうれし泣きみたいなくちゃくちゃの顔で叱ってくれた。
僕も立派な、人に誇れるような仕事はしていないけど、
家族のおかげで一人前の大人の男にはなれたとは思う。
2021年8月21日土曜日
2021年8月20日金曜日
お知らせ
毎週金曜日は支部オンライン稽古合同部
デルタ株コロナ(コロナ第5波)が猛威を振るう中、
約1年半の間、正規の支部稽古カリキュラムに取り入れ、ずっと継続してきたオンライン稽古の本領発揮、強みを痛感致します。
とはいえ、本日、今日の今の今(2021・8・20・20時)の段階では、感染症対策を今まで以上により再最強化して、通常の道場稽古を継続させて頂く所存であります。
勿論、状況は分単位で変化しておりますので、今後の状況の把握、判断を的確にし、何か、変化がありましたら、門下生の皆様には直ぐにご連絡させて頂きます。
デルタ株コロナ、、予断を許さぬ大変な状況となってしまいましたがお互いに最大限の注意を払って生活して参りましょう!
本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。
押忍 石黒康之
#極真空手
#オンライン
#リモート
デルタ株コロナ(コロナ第5波)が猛威を振るう中、
約1年半の間、正規の支部稽古カリキュラムに取り入れ、ずっと継続してきたオンライン稽古の本領発揮、強みを痛感致します。
とはいえ、本日、今日の今の今(2021・8・20・20時)の段階では、感染症対策を今まで以上により再最強化して、通常の道場稽古を継続させて頂く所存であります。
勿論、状況は分単位で変化しておりますので、今後の状況の把握、判断を的確にし、何か、変化がありましたら、門下生の皆様には直ぐにご連絡させて頂きます。
デルタ株コロナ、、予断を許さぬ大変な状況となってしまいましたがお互いに最大限の注意を払って生活して参りましょう!
本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。
押忍 石黒康之
#極真空手
#オンライン
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