2022・9・30・金曜日
極真空手 オンライン稽古合同部
押忍!
#極真空手
#オンライン道場
#オンライン稽古
2022年9月29日木曜日
2022年9月27日火曜日
【神様が応援したくなる「人格」とは】
小林正観さんの心に響く言葉より…
神様が応援したくなるような5つの人格があります。
1.《「うたし」な人》
人からうれしい、楽しい、幸せ、と喜ばれることが人生の目的であると考え、頼まれたことを喜んで引き受けている人。
2.《きれいな人》
見目形(みめかたち)や立ち居ふるまいがきれいな人。心がきれいな人。身のまわりをきれいに掃除している人。
3.《謙虚な人》
自分の人生はすべてまわりの人や神様たちのおかげで成り立っている、自分の力はゼロだと思い切れる人。
まわりのすべてに感謝している人。
4.《素直な人》
いい話を聞いたりアドバイスをされたりしたら、屁理屈を言わずに実行する人。
《5.誠実な人》
人との約束をきちんと守る人。
これらのうち、いくつでもいいから実践をしていくと、神様はほほ笑み、味方をしてくれるようです。
まわりの人たちから喜ばれ、愛され、信頼されて、お金や仕事にも困らず、病気の心配もなく、毎日を楽に楽しく過ごすことができます。
そして、自分の力ではどうにもならないような問題が起きたときに、その大きな力で助けてくれることにもなるのです。
『心がすーっと晴れていく言葉』主婦の友社
https://amzn.to/3dHeZPs
「頼まれごと」について、こんな文章がありました。
『中世ヨーロッパには、宮廷音楽家という人がいました。
ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ショパン、リストというような人です。
このような宮廷音楽家たちが、自分の好みや創作意欲でつくった音楽と、それから大家や王族たちから頼まれてつくった音楽と、どちらが今、クラシックとして残っているでしょうか。
答えは9対1で頼まれてつくった音楽。
それから、ルーベンス、ヴァン・ダイクというような宮廷画家がいました。
その人たちの絵は、やはり9対1で王家から頼まれて描いたものが残っています。
自分の意思、自分の創作意欲で描いたものは、数多くは残りませんでした。
おもしろいことに人間の業績というのは、頼まれごとによって全部決まってくる。
頼まれたことをやっていると、それが人生の非常に大きな部分を占めてきます。』
『達成目標を立てて、それをクリアしていくというのは、能力を磨くという世界ですが、頼まれごとをやっていくというのは、人格を磨くという世界です。』
『実は、頼みやすい人、頼まれやすい人というのは、もうひとつの別の言い方で言いますと「人徳」というのですが、「人徳」イコール「人格者」ですね。
結局、人が集まるような人格者になってしまえば、必ずそこで商売が成り立つわけですから、仕事というのはまさに人格の延長なんです。』
淡々と頼まれごとを引き受け…
人格を磨き続ける人でありたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
神様が応援したくなるような5つの人格があります。
1.《「うたし」な人》
人からうれしい、楽しい、幸せ、と喜ばれることが人生の目的であると考え、頼まれたことを喜んで引き受けている人。
2.《きれいな人》
見目形(みめかたち)や立ち居ふるまいがきれいな人。心がきれいな人。身のまわりをきれいに掃除している人。
3.《謙虚な人》
自分の人生はすべてまわりの人や神様たちのおかげで成り立っている、自分の力はゼロだと思い切れる人。
まわりのすべてに感謝している人。
4.《素直な人》
いい話を聞いたりアドバイスをされたりしたら、屁理屈を言わずに実行する人。
《5.誠実な人》
人との約束をきちんと守る人。
これらのうち、いくつでもいいから実践をしていくと、神様はほほ笑み、味方をしてくれるようです。
まわりの人たちから喜ばれ、愛され、信頼されて、お金や仕事にも困らず、病気の心配もなく、毎日を楽に楽しく過ごすことができます。
そして、自分の力ではどうにもならないような問題が起きたときに、その大きな力で助けてくれることにもなるのです。
『心がすーっと晴れていく言葉』主婦の友社
https://amzn.to/3dHeZPs
「頼まれごと」について、こんな文章がありました。
『中世ヨーロッパには、宮廷音楽家という人がいました。
ベートーヴェン、ハイドン、モーツァルト、シューベルト、ショパン、リストというような人です。
このような宮廷音楽家たちが、自分の好みや創作意欲でつくった音楽と、それから大家や王族たちから頼まれてつくった音楽と、どちらが今、クラシックとして残っているでしょうか。
答えは9対1で頼まれてつくった音楽。
それから、ルーベンス、ヴァン・ダイクというような宮廷画家がいました。
その人たちの絵は、やはり9対1で王家から頼まれて描いたものが残っています。
自分の意思、自分の創作意欲で描いたものは、数多くは残りませんでした。
おもしろいことに人間の業績というのは、頼まれごとによって全部決まってくる。
頼まれたことをやっていると、それが人生の非常に大きな部分を占めてきます。』
『達成目標を立てて、それをクリアしていくというのは、能力を磨くという世界ですが、頼まれごとをやっていくというのは、人格を磨くという世界です。』
『実は、頼みやすい人、頼まれやすい人というのは、もうひとつの別の言い方で言いますと「人徳」というのですが、「人徳」イコール「人格者」ですね。
結局、人が集まるような人格者になってしまえば、必ずそこで商売が成り立つわけですから、仕事というのはまさに人格の延長なんです。』
淡々と頼まれごとを引き受け…
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※若い頃の相田みつをは自分の業の強さに悩んでいたと母がいいます。
高福寺の武井哲應老師との出逢いが、みつをの生き方を変えました。
【「優しさ」とは何か】
小林正観さんの心に響く言葉より…
「優しさ」とは何でしょうか。
「優しさ」というのは、力の強い立場にある者が、例えば親が強い立場にあって、弱い立場の子供に「権力を行使しない」ということです。
会社で言えば、上司が、部下に対して強い立場にあって、その強さを行使せずに、同じ目線で同じように話す、というのを「優しい」と言います。
ですから、「優しい上司」という言い方はしますが、「優しい部下」という言い方はしません。
次に「業(ごう)」について考えてみます。
「業」というものは、若い頃、幼い頃、平社員の頃のように、力を持っていないときには出てはこないのですが、それが年を経て強い立場になったときに、突然、弱い立場の者に対して、その力をふるいたくなる。
それを「業」といいます。
ある人が、この業を持っているかどうかは、その人を実際に強い立場に立たせてみないとわからないのです。
ここが、業というものの、面白くもあり悲劇的でもあるところです。
「業がほとばしる」というのは、例えばこんなことです。
■結婚をしたら、夫が突然、婚姻届けという紙切れ一枚で、急に偉そうになってしまう。
結婚したら、夫が豹変してしまった、なんて話をよく聞きます。
人が、子供に対して業が深い威張り方をするかどうか、それはその人が圧倒的に強い立場にある親というものを、実際にやってみないとわかりません。
自分を見つめなおしたときに、「優しさ」が出ているでしょうか、それとも「業」が出ているでしょうか。
私がここで「業」について書いているのは、それが、意外と自分では気づけないものだからです。
だからここで、皆さんが事前に学んでおけば、いつか「業」が出そうになったときに、ハッと気がつけるかもしれないと思ったわけです。
業は「業の真っ只中にいる人」にはわかりません。
入口に差しかかっている人には、まだ、わかるのです。
半分くらいは、元に戻れる可能性が残っています。
だから、外から見ていて「ああ、業が出てきたかな」という人に言ってあげるのは良いでしょう。
けれども、業の真っ只中にいる人には、いくら言ってあげてもわかりません。
特に、ワンマンで、剛腕な社長は、それで過ぎてきてしまっているから、今さら自分で直そうとは思わないのです。
しかし、それを続けていくうちに、だんだんと自分の周りから人がいなくなってしまいます。
人間は、上手くいっていないときには、罠が仕掛けられていないのですけど、上手くいっているときには、実は、罠が仕掛けられているのだ、ということを覚えておいてください。
今までは、穏やかな人格だった人が、何か重たいものを抱え込んでしまって、猪突猛進して生きていくと、周りの人をつらくしてしまうのです。
周りの人がつらくなると、だんだん、人が離れていきます。
「敬して遠ざく」
ということです。
尊敬はするのだけれども、近寄りたくなくなるというふうになってくるわけです。
皆から「くだらない奴だ」と言われている間は、業は、顔を出してはこないのです。
成功して、あなたは、すばらしい人であるとか、すごいとか、役に立っているとか、賞賛を浴びるようになったら、必ず業の芽が現れてきますから、注意しなくてはなりません。
皆さんも、自分の子供に、何か才能があって、上手だねとか、すてきだねとか言うのは良いのですが、同時に、
「その道で売れたときには、威張ってはいけないよ」
と、くれぐれも、若い頃から、繰り返し、繰り返し、何度も言っておいてください。
業が芽生えなくてすみますから。
『楽しい子育て孫育て』Gakken
「業」とは仏教用語だが、身口意(しんくい)の三業 (さんごう) と呼ぶ。
身口意の、「身」とは、身体を使って行うことすなわち《行動》であり、「口」とは《言葉》を発すること、「意」とは《心》で思うこと。
この3つ行為(行動、言葉、心)が、「業」であり、そのことによって、いい結果がでたり、悪い結果になったりする。
日頃、善き行動をし、人を温かくするような愛ある言葉を使い、まっすぐで素直な心があれば、善き結果が出る。
悪い行いをしたり、汚い言葉を使ったり、邪(よこしま)な心があれば、悪い結果が出る。
偉そうにしたり(行動)、怒鳴ったり(言葉)、見下したりする(心)のも、「業」。
『「優しさ」とは何か』
力を行使できる立場になったとしても…
「優しい」人でありたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより
高福寺の武井哲應老師との出逢いが、みつをの生き方を変えました。
【「優しさ」とは何か】
小林正観さんの心に響く言葉より…
「優しさ」とは何でしょうか。
「優しさ」というのは、力の強い立場にある者が、例えば親が強い立場にあって、弱い立場の子供に「権力を行使しない」ということです。
会社で言えば、上司が、部下に対して強い立場にあって、その強さを行使せずに、同じ目線で同じように話す、というのを「優しい」と言います。
ですから、「優しい上司」という言い方はしますが、「優しい部下」という言い方はしません。
次に「業(ごう)」について考えてみます。
「業」というものは、若い頃、幼い頃、平社員の頃のように、力を持っていないときには出てはこないのですが、それが年を経て強い立場になったときに、突然、弱い立場の者に対して、その力をふるいたくなる。
それを「業」といいます。
ある人が、この業を持っているかどうかは、その人を実際に強い立場に立たせてみないとわからないのです。
ここが、業というものの、面白くもあり悲劇的でもあるところです。
「業がほとばしる」というのは、例えばこんなことです。
■結婚をしたら、夫が突然、婚姻届けという紙切れ一枚で、急に偉そうになってしまう。
結婚したら、夫が豹変してしまった、なんて話をよく聞きます。
人が、子供に対して業が深い威張り方をするかどうか、それはその人が圧倒的に強い立場にある親というものを、実際にやってみないとわかりません。
自分を見つめなおしたときに、「優しさ」が出ているでしょうか、それとも「業」が出ているでしょうか。
私がここで「業」について書いているのは、それが、意外と自分では気づけないものだからです。
だからここで、皆さんが事前に学んでおけば、いつか「業」が出そうになったときに、ハッと気がつけるかもしれないと思ったわけです。
業は「業の真っ只中にいる人」にはわかりません。
入口に差しかかっている人には、まだ、わかるのです。
半分くらいは、元に戻れる可能性が残っています。
だから、外から見ていて「ああ、業が出てきたかな」という人に言ってあげるのは良いでしょう。
けれども、業の真っ只中にいる人には、いくら言ってあげてもわかりません。
特に、ワンマンで、剛腕な社長は、それで過ぎてきてしまっているから、今さら自分で直そうとは思わないのです。
しかし、それを続けていくうちに、だんだんと自分の周りから人がいなくなってしまいます。
人間は、上手くいっていないときには、罠が仕掛けられていないのですけど、上手くいっているときには、実は、罠が仕掛けられているのだ、ということを覚えておいてください。
今までは、穏やかな人格だった人が、何か重たいものを抱え込んでしまって、猪突猛進して生きていくと、周りの人をつらくしてしまうのです。
周りの人がつらくなると、だんだん、人が離れていきます。
「敬して遠ざく」
ということです。
尊敬はするのだけれども、近寄りたくなくなるというふうになってくるわけです。
皆から「くだらない奴だ」と言われている間は、業は、顔を出してはこないのです。
成功して、あなたは、すばらしい人であるとか、すごいとか、役に立っているとか、賞賛を浴びるようになったら、必ず業の芽が現れてきますから、注意しなくてはなりません。
皆さんも、自分の子供に、何か才能があって、上手だねとか、すてきだねとか言うのは良いのですが、同時に、
「その道で売れたときには、威張ってはいけないよ」
と、くれぐれも、若い頃から、繰り返し、繰り返し、何度も言っておいてください。
業が芽生えなくてすみますから。
『楽しい子育て孫育て』Gakken
「業」とは仏教用語だが、身口意(しんくい)の三業 (さんごう) と呼ぶ。
身口意の、「身」とは、身体を使って行うことすなわち《行動》であり、「口」とは《言葉》を発すること、「意」とは《心》で思うこと。
この3つ行為(行動、言葉、心)が、「業」であり、そのことによって、いい結果がでたり、悪い結果になったりする。
日頃、善き行動をし、人を温かくするような愛ある言葉を使い、まっすぐで素直な心があれば、善き結果が出る。
悪い行いをしたり、汚い言葉を使ったり、邪(よこしま)な心があれば、悪い結果が出る。
偉そうにしたり(行動)、怒鳴ったり(言葉)、見下したりする(心)のも、「業」。
『「優しさ」とは何か』
力を行使できる立場になったとしても…
「優しい」人でありたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより
2022年9月26日月曜日
第四回全中部空手道選手権大会
2022年9月20日火曜日
【遅咲きの人間学】
邑井操(むらいみさお)氏の心に響く言葉より…
かなり以前のことだが、その頃売れっ子だったテレビタレントが言った。
「おかげさまでひと月売れっ放しで、休むひまもありません。忙しくて忙しくて…」
得意満面の顔付きだった。
「それはおめでとう。よかったですね。しかし忙しくて休む暇もないのは良くない。一つは健康を損ねる危険があること。もう一つは次の飛躍への準備ができないということ」
「人間はひと月のうち、働くのはせいぜい20日か25日でいい。あとの五日なり一週間なりは、運動して身体を鍛えたり、読書して知識を注入したり、人と意見をかわしたり、ぶらりと旅に出て自然の風物に接したりして、何か新しい発想や発見に当てることですね」
「そんな時間はとれそうもないので…」
「自分で作ることですよ。考えるひまもなく働くのはどうかな。考えるのでも時には時間をさかなくては、昔からいう三上(さんじょう)がある。馬上、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)です。厠上はトイレの中、枕上は眠りに入る前のひととき。馬上のかわりに車の中でもいいでしょう。」
「がむしゃらに働いて疲れ、バタンキューと寝るだけではすり切れるだけ。売れっ子になればギャラが高くなる。使いにくい。だからテレビは、後から出てくる別個の才能を持った新人を起用して売り出させる。ギャラは安くてすむ。ギャラの高くなった売れっ子は敬遠される。」
「そうならぬために自分をみつめ直し、次にアピールする新鮮な芸を生むためのユトリ、時間を持つことがぜひ必要でしょう。作家は出世作以上のものはなかなか書けないという。一つの芸を売り出したものは、それに勝る次の芸の用意がないと、人気は長つづきしないのではないですかね」
売れ盛りの彼にとって少しきついとは思ったが、敢えて発言したが、人は盛りの時には意見が耳に入らぬらしい。
忙しいと言いつづけているうちに、同種の若いタレントに座を譲り、そのタレントも変わった若手の出現で人気をうばわれてしまい、数年の後には忠告した彼の姿は完全にテレビから姿を消し、もはや人の記憶の外の人となってしまった。
早く開いて早く散る。
早咲き人間の悲劇である。
人気の持続を計るための根を張る時間に気づかぬためだった。
理想的生き方は、物心共に年と共に充実向上していくことである。
かのタレントの如く二十、三十代で花々しい脚光を浴びても、四十代、五十代に姿を消すのでは悲しかろう。
若き日の栄光を思い出だけにして、ぐちと舌うちの熟年を迎えるのは愚かである。
誰でも人は、二十より三十、三十より四十、四十より五十、五十より六十、六十より七十と、年を重ねるに従って、いよいよ生彩する活動家であるべきなのだ。
たとい三十代で花は咲かずともよい。
五十代で豪華な開花を見ればよく、以後咲きつづければいい。
それが遅咲きの人間であり大器晩成の楽しみなのだ。
戦国時代開幕期の英雄、北条早雲が同志を誘って活動を開始したのは、四十三、四の頃だ。
彼が箱根を越え小田原城を落としたのは六十四だ。
以後八十八で死ぬまでに北條五代の基礎を確立したのだった。
まさしく遅咲き人間の典型であり、大器晩成の見本だろう。
世間一般依然として早咲きを目ざして息を切らしている。
時代が多忙さを人に人に強いるために、人は心の余裕を失い、ただあくせくと日を送る。
去年と今年と、どれだけの進歩向上の自己充実感があるかどうか。
辻褄(つじつま)をあわせボロを出さぬだけの小器、小才子の群れの一人であっては消耗品的価値しかなく、粗大ゴミ扱いにされる。
何のための人生なのか。
目先だけに追われ、人生をトータルで掴む配慮と思索と洞察力がなければ、先細りの生涯に留まるしかない。
末広がりの人生を送るためには、自己充実と確立が大切であり、そうなるためには当然時間がかかる。
知識と知恵とを車の両輪の如く回転させるには、体験の裏打ちが必要となる。
大器は片々たる早咲き小才の及ぶところではない。
焦ることはない。
腰を据えて遅咲き人間を目ざし、大器晩成の壮大な夢の描く人にこそ祝福あれ、世はまさにそういう人物を待望しているのである。
『遅咲きの人間学』PHP文庫
世界で売上NO1レストランはマクドナルド全世界に3万を越える店舗がある。
その創業者はレイクロックという。
彼は高校を中退し52歳までミルクセーキミキサーのセールスマンだった。
最新の機械におされ、ミキサーの売上は減る一方。
しかしそんな時、一挙に8台の注文のあった店があった。
超繁盛のハンバーガーの店「マクドナルド」だ。
行列につぐ行列、店を実際に見たレイクロックは直感した。
「これは絶対にビッグビジネスになる!」
そして、マクドナルド兄弟から苦労してその商標を譲り受け、マクドナルドの展開を始めた。
「私にとっては生きるか死ぬかの選択だった。
この事業で失敗すれば、私にはもう行く先がなかった」と言ったレイクロック。
実に、彼が59歳の挑戦だった。
一羽いくらのビジネスから始まったケンタッキーフライドチキン(KFC)は全世界に13000店を数える創業者はカーネルサンダース。
いくつもの事業の失敗を乗り越え、ガソリンスタンドを利用する人たちのために、物置を改造して6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をつくったのはカーネルサンダースが40歳の時だった。
その後、片腕だった息子さんの死や、高速道路ができ売上が激減したりと数々の試練がおこり、やがて営業を続けられなくなり、店を手放した。
彼に残っている財産は今や美味しいフライドチキンの製造方法だけ。
しかし、不屈のカーネルはそれを教える代わりに、一羽につき5セントをもらうというFCビジネスを始めた。
「簡単な道のほうが効果的で早く成功できるかもしれない。しかし、私は道のりも長くすさまじい努力が必要な険しい道を選ぶ」と言ったカーネルサンダース。
実に65歳の再出発だった。
今や、ITやAI全盛の時代。
Z世代と呼ばれる才能あふれる若い世代が大きな事業を成功させている世の中だ。
しかし、そんな時代だとしても、遅くから始めて成功する「遅咲き」の人もいる。
いや、むしろ多くの凡人は「遅咲き」を目指すしかない。
人生100年と言われる今…
あえて、遅咲きの道をゆっくりと歩みたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより
邑井操(むらいみさお)氏の心に響く言葉より…
かなり以前のことだが、その頃売れっ子だったテレビタレントが言った。
「おかげさまでひと月売れっ放しで、休むひまもありません。忙しくて忙しくて…」
得意満面の顔付きだった。
「それはおめでとう。よかったですね。しかし忙しくて休む暇もないのは良くない。一つは健康を損ねる危険があること。もう一つは次の飛躍への準備ができないということ」
「人間はひと月のうち、働くのはせいぜい20日か25日でいい。あとの五日なり一週間なりは、運動して身体を鍛えたり、読書して知識を注入したり、人と意見をかわしたり、ぶらりと旅に出て自然の風物に接したりして、何か新しい発想や発見に当てることですね」
「そんな時間はとれそうもないので…」
「自分で作ることですよ。考えるひまもなく働くのはどうかな。考えるのでも時には時間をさかなくては、昔からいう三上(さんじょう)がある。馬上、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)です。厠上はトイレの中、枕上は眠りに入る前のひととき。馬上のかわりに車の中でもいいでしょう。」
「がむしゃらに働いて疲れ、バタンキューと寝るだけではすり切れるだけ。売れっ子になればギャラが高くなる。使いにくい。だからテレビは、後から出てくる別個の才能を持った新人を起用して売り出させる。ギャラは安くてすむ。ギャラの高くなった売れっ子は敬遠される。」
「そうならぬために自分をみつめ直し、次にアピールする新鮮な芸を生むためのユトリ、時間を持つことがぜひ必要でしょう。作家は出世作以上のものはなかなか書けないという。一つの芸を売り出したものは、それに勝る次の芸の用意がないと、人気は長つづきしないのではないですかね」
売れ盛りの彼にとって少しきついとは思ったが、敢えて発言したが、人は盛りの時には意見が耳に入らぬらしい。
忙しいと言いつづけているうちに、同種の若いタレントに座を譲り、そのタレントも変わった若手の出現で人気をうばわれてしまい、数年の後には忠告した彼の姿は完全にテレビから姿を消し、もはや人の記憶の外の人となってしまった。
早く開いて早く散る。
早咲き人間の悲劇である。
人気の持続を計るための根を張る時間に気づかぬためだった。
理想的生き方は、物心共に年と共に充実向上していくことである。
かのタレントの如く二十、三十代で花々しい脚光を浴びても、四十代、五十代に姿を消すのでは悲しかろう。
若き日の栄光を思い出だけにして、ぐちと舌うちの熟年を迎えるのは愚かである。
誰でも人は、二十より三十、三十より四十、四十より五十、五十より六十、六十より七十と、年を重ねるに従って、いよいよ生彩する活動家であるべきなのだ。
たとい三十代で花は咲かずともよい。
五十代で豪華な開花を見ればよく、以後咲きつづければいい。
それが遅咲きの人間であり大器晩成の楽しみなのだ。
戦国時代開幕期の英雄、北条早雲が同志を誘って活動を開始したのは、四十三、四の頃だ。
彼が箱根を越え小田原城を落としたのは六十四だ。
以後八十八で死ぬまでに北條五代の基礎を確立したのだった。
まさしく遅咲き人間の典型であり、大器晩成の見本だろう。
世間一般依然として早咲きを目ざして息を切らしている。
時代が多忙さを人に人に強いるために、人は心の余裕を失い、ただあくせくと日を送る。
去年と今年と、どれだけの進歩向上の自己充実感があるかどうか。
辻褄(つじつま)をあわせボロを出さぬだけの小器、小才子の群れの一人であっては消耗品的価値しかなく、粗大ゴミ扱いにされる。
何のための人生なのか。
目先だけに追われ、人生をトータルで掴む配慮と思索と洞察力がなければ、先細りの生涯に留まるしかない。
末広がりの人生を送るためには、自己充実と確立が大切であり、そうなるためには当然時間がかかる。
知識と知恵とを車の両輪の如く回転させるには、体験の裏打ちが必要となる。
大器は片々たる早咲き小才の及ぶところではない。
焦ることはない。
腰を据えて遅咲き人間を目ざし、大器晩成の壮大な夢の描く人にこそ祝福あれ、世はまさにそういう人物を待望しているのである。
『遅咲きの人間学』PHP文庫
世界で売上NO1レストランはマクドナルド全世界に3万を越える店舗がある。
その創業者はレイクロックという。
彼は高校を中退し52歳までミルクセーキミキサーのセールスマンだった。
最新の機械におされ、ミキサーの売上は減る一方。
しかしそんな時、一挙に8台の注文のあった店があった。
超繁盛のハンバーガーの店「マクドナルド」だ。
行列につぐ行列、店を実際に見たレイクロックは直感した。
「これは絶対にビッグビジネスになる!」
そして、マクドナルド兄弟から苦労してその商標を譲り受け、マクドナルドの展開を始めた。
「私にとっては生きるか死ぬかの選択だった。
この事業で失敗すれば、私にはもう行く先がなかった」と言ったレイクロック。
実に、彼が59歳の挑戦だった。
一羽いくらのビジネスから始まったケンタッキーフライドチキン(KFC)は全世界に13000店を数える創業者はカーネルサンダース。
いくつもの事業の失敗を乗り越え、ガソリンスタンドを利用する人たちのために、物置を改造して6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をつくったのはカーネルサンダースが40歳の時だった。
その後、片腕だった息子さんの死や、高速道路ができ売上が激減したりと数々の試練がおこり、やがて営業を続けられなくなり、店を手放した。
彼に残っている財産は今や美味しいフライドチキンの製造方法だけ。
しかし、不屈のカーネルはそれを教える代わりに、一羽につき5セントをもらうというFCビジネスを始めた。
「簡単な道のほうが効果的で早く成功できるかもしれない。しかし、私は道のりも長くすさまじい努力が必要な険しい道を選ぶ」と言ったカーネルサンダース。
実に65歳の再出発だった。
今や、ITやAI全盛の時代。
Z世代と呼ばれる才能あふれる若い世代が大きな事業を成功させている世の中だ。
しかし、そんな時代だとしても、遅くから始めて成功する「遅咲き」の人もいる。
いや、むしろ多くの凡人は「遅咲き」を目指すしかない。
人生100年と言われる今…
あえて、遅咲きの道をゆっくりと歩みたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより
【「ゆるめる」とうまくいく】
小林正観さんの心に響く言葉より…
「こんな話を聞いたことがあるんです。
実は、日本最大手の葬儀社が、残された遺族の方 にアンケート調査をしたらしいんですね。
その結果、不思議な傾向が認められたというんです」
「へぇー、それはおもしろそうな話ですね。どんな傾向ですか」
「生前、優しくて親切で思いやりに満ちて温かい存在だった人、感謝される存在だった人は、多くの場合、安らかな死、『大往生』と言うんでしょうか、そういう死を迎えていたそうです。
痛がらない、苦しまない死に方だったというんです。
ところが、生前自己主張が強く、わがままで、自己中心的で他人に思いやりが少なかったような人は、多くの場合、痛がったり苦しんだりして死んでいったというんですね。
その葬儀社は、全く無心に、事実だけを集めたかったんだそうですが」
「すごい話ですね」
みんなが、うーむ、と考え込みました。
もちろん、心優しい人でも、苦しんで死んだ人もいますから、これが「全て」「必ず」というわけではありません。
「多くの場合」なのです。
ただ、そういう場合も、「頑張る」 「負けず嫌い」との傾向があるように思いました。
私に一つの体験があります。
未知の人から電話がかかったことがありました。
神経痛で10年も苦しんでいる、いろいろやってみたが治らない。
人から聞いて、神経痛を治すヒントが得られないかと電話した。
病院でも薬でも治らない神経痛を、治す方法はないか。
そういう内容でした。
そのときの私の答えは、「もしかしたら、神経をビッと張っていませんか」 というものでした。
相手の方は(声は60代の感じでしたが)、 「はあ......」と、けげんそうな声を出しました。
「もし神経をずっと張り続けてきたのなら、神経をちょっとゆるめてみてください。
張っ た弦はちょっとさわっただけで大きな音になりますが、ゆるんだ弦は いくらつまびこうと しても音になりません。
神経痛も同じように考えたら、響かない、ビンビンしない、とい うことになりますよね」
「神経をゆるめるんですか......」
はあ......っ、と大きく息を吐き出したような音が、電話の向こうでしました。
10秒ほどたって、「痛みが......消えました」 小さな、蚊の鳴くような声でした。
「信じられない」という思いが、こちらに届きまし た。
それはそうでしょう。この10年、ずいぶん苦労をして病院を回ったらしいのです。
その "難病" が、10秒で、しかも自分自身の力だけで、消滅したのですから。
もちろん、全ての神経痛がそれで治る、などとは言えません。
が、そういう実例が存在しました。
この実例をもとに、ある推論が成り立ちました。
自己主張をしたり、他人と争ったり闘ったりしてきた人は、「神経の糸」をずっと張り続けてきたのかもしれません。
そこに、病気という名の臓器の故障や不調が加わったとき、神経の張り=「痛み」というかたちで表れてくるのかもしれません。
一方、他人と争ったり闘ったりせず、優しく穏やかで温かく思いやりに満ちた人格を持っていた人は「神経が張っていない」がゆえに、臓器が故障し不調になっても、「痛み」を感じにくかったのかもしれないのです。
いつも「負けないぞ」と頑張っている神経と、優しさに満ちた神経とでは、確かに響き方(痛さ)が違うような気がするのですが、どうでしょうか。
「死」という瞬間をはさみ、その直前の「死に方」は楽な方がよいでしょう。
力を抜いて生きることが「安らかな死」につながっているらしいのです。
『こころの宝島』清談社
https://amzn.to/3Uh2nij
誰かに、ああだこうだと指摘されたり、上から目線で偉そうに言われたりすると、カチンときたり、ムッとしたりすることがある。
「何故私があなたに言われなければならないんだ」「あなたに(そこまで)言われる筋合いはない」「なぜそんなに下に見られなければならないんだ(私のが上なのに)」と思うからだ。
心の奥底には、自分が「大したものである」「なかなかのものだ」という思いがある。
うぬぼれ、驕(おご)り、高ぶり、傲慢という気持ちだ。
逆に言うなら、人に何か言われて「カチン」ときたら、「ああ、今自分は『大したものだ』と思っているんだな」「今、自分は『偉そう』になっているんだな」と気づくことが必要だ。
それが、心の弦がピーンと張って、臨戦態勢に入っている状態。
小林正観さんは、そんなときは、自分は「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」と思うことが必要だという。
実際、よく考えてみれば、欠点もあり、間違いや失敗もするし、ダメなところも多い、ろくなものじゃないのが人間だ。
そして大事なことは、人は、自分一人で生きているわけではなく、まわりの人たちの助けがなければ、一日たりとも生きていけない小さくて弱い存在だと知ること。
無人島で、自給自足で生きているわけではないからだ。
だからこそ、「おかげさまの心」や「謙虚さ」が必要となる。
また、人と争い、戦って、競争して生きてきた人は、心の弦(つる)が常にピンと張っている。
神経がいつもピリピリしている。
それが嵩(こう)じると、心の病になりやすい。
だから、大事なのが、弦をゆるませること。
それは、ボーっとして、力を抜くことでもある。
「ゆるめる」とうまくいく。
カチンときたら…
自分は、「大したものではない」「ろくなもんじゃない」と思い定めること。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
「こんな話を聞いたことがあるんです。
実は、日本最大手の葬儀社が、残された遺族の方 にアンケート調査をしたらしいんですね。
その結果、不思議な傾向が認められたというんです」
「へぇー、それはおもしろそうな話ですね。どんな傾向ですか」
「生前、優しくて親切で思いやりに満ちて温かい存在だった人、感謝される存在だった人は、多くの場合、安らかな死、『大往生』と言うんでしょうか、そういう死を迎えていたそうです。
痛がらない、苦しまない死に方だったというんです。
ところが、生前自己主張が強く、わがままで、自己中心的で他人に思いやりが少なかったような人は、多くの場合、痛がったり苦しんだりして死んでいったというんですね。
その葬儀社は、全く無心に、事実だけを集めたかったんだそうですが」
「すごい話ですね」
みんなが、うーむ、と考え込みました。
もちろん、心優しい人でも、苦しんで死んだ人もいますから、これが「全て」「必ず」というわけではありません。
「多くの場合」なのです。
ただ、そういう場合も、「頑張る」 「負けず嫌い」との傾向があるように思いました。
私に一つの体験があります。
未知の人から電話がかかったことがありました。
神経痛で10年も苦しんでいる、いろいろやってみたが治らない。
人から聞いて、神経痛を治すヒントが得られないかと電話した。
病院でも薬でも治らない神経痛を、治す方法はないか。
そういう内容でした。
そのときの私の答えは、「もしかしたら、神経をビッと張っていませんか」 というものでした。
相手の方は(声は60代の感じでしたが)、 「はあ......」と、けげんそうな声を出しました。
「もし神経をずっと張り続けてきたのなら、神経をちょっとゆるめてみてください。
張っ た弦はちょっとさわっただけで大きな音になりますが、ゆるんだ弦は いくらつまびこうと しても音になりません。
神経痛も同じように考えたら、響かない、ビンビンしない、とい うことになりますよね」
「神経をゆるめるんですか......」
はあ......っ、と大きく息を吐き出したような音が、電話の向こうでしました。
10秒ほどたって、「痛みが......消えました」 小さな、蚊の鳴くような声でした。
「信じられない」という思いが、こちらに届きまし た。
それはそうでしょう。この10年、ずいぶん苦労をして病院を回ったらしいのです。
その "難病" が、10秒で、しかも自分自身の力だけで、消滅したのですから。
もちろん、全ての神経痛がそれで治る、などとは言えません。
が、そういう実例が存在しました。
この実例をもとに、ある推論が成り立ちました。
自己主張をしたり、他人と争ったり闘ったりしてきた人は、「神経の糸」をずっと張り続けてきたのかもしれません。
そこに、病気という名の臓器の故障や不調が加わったとき、神経の張り=「痛み」というかたちで表れてくるのかもしれません。
一方、他人と争ったり闘ったりせず、優しく穏やかで温かく思いやりに満ちた人格を持っていた人は「神経が張っていない」がゆえに、臓器が故障し不調になっても、「痛み」を感じにくかったのかもしれないのです。
いつも「負けないぞ」と頑張っている神経と、優しさに満ちた神経とでは、確かに響き方(痛さ)が違うような気がするのですが、どうでしょうか。
「死」という瞬間をはさみ、その直前の「死に方」は楽な方がよいでしょう。
力を抜いて生きることが「安らかな死」につながっているらしいのです。
『こころの宝島』清談社
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誰かに、ああだこうだと指摘されたり、上から目線で偉そうに言われたりすると、カチンときたり、ムッとしたりすることがある。
「何故私があなたに言われなければならないんだ」「あなたに(そこまで)言われる筋合いはない」「なぜそんなに下に見られなければならないんだ(私のが上なのに)」と思うからだ。
心の奥底には、自分が「大したものである」「なかなかのものだ」という思いがある。
うぬぼれ、驕(おご)り、高ぶり、傲慢という気持ちだ。
逆に言うなら、人に何か言われて「カチン」ときたら、「ああ、今自分は『大したものだ』と思っているんだな」「今、自分は『偉そう』になっているんだな」と気づくことが必要だ。
それが、心の弦がピーンと張って、臨戦態勢に入っている状態。
小林正観さんは、そんなときは、自分は「大したものじゃない」「ろくなものじゃない」と思うことが必要だという。
実際、よく考えてみれば、欠点もあり、間違いや失敗もするし、ダメなところも多い、ろくなものじゃないのが人間だ。
そして大事なことは、人は、自分一人で生きているわけではなく、まわりの人たちの助けがなければ、一日たりとも生きていけない小さくて弱い存在だと知ること。
無人島で、自給自足で生きているわけではないからだ。
だからこそ、「おかげさまの心」や「謙虚さ」が必要となる。
また、人と争い、戦って、競争して生きてきた人は、心の弦(つる)が常にピンと張っている。
神経がいつもピリピリしている。
それが嵩(こう)じると、心の病になりやすい。
だから、大事なのが、弦をゆるませること。
それは、ボーっとして、力を抜くことでもある。
「ゆるめる」とうまくいく。
カチンときたら…
自分は、「大したものではない」「ろくなもんじゃない」と思い定めること。
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【明石屋さんまの話】
我々の弟子稼業というのは、
掃除をさせられるじゃないですか。
で、掃除をしていると師匠が、
『それ、楽しいか』って言うんです。
『いいえ』って答えると『そやろ』って。
『そういうのが楽しいわけがない』
と、おっしゃるんですね
そのときに、師匠に、
『掃除はどうしたら楽しいか考えろ』
って言われたんですけど、そこでしたねぇ。
あの、掃除なんて、楽しくなるわけがないんですよ。
ところが、
『楽しくなることを考えてることは楽しい』。
っていうところにね、
18歳のときに気づかせて
いただいたのが非常に助かりましたね
たぶん、ふつうの人は、「掃除は楽しくない」
というところでやめてしまう人が
多いんじゃないかと思うんですけど、
楽しくないものをどうすれば楽しいか、
ということを考えていくと楽しいんです。
さすがお笑いの頂点に立つさんまさんです。
発想の転換というか、究極のプラス思考を持つ人、これってある意味宗教的です。
「苦行の中で楽しい事を創造する事が大切である。」
さんまさんは、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で、事故機に搭乗する予定でしたが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれませんでした。当時東京 - 大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送がありました。番組はほとんどが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていました。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後東京-大阪間の移動手段を新幹線に変更しました。
プラス思考で落ち込むことが全く想像できないさんまさんも人間なんだなと思いました。
我々の弟子稼業というのは、
掃除をさせられるじゃないですか。
で、掃除をしていると師匠が、
『それ、楽しいか』って言うんです。
『いいえ』って答えると『そやろ』って。
『そういうのが楽しいわけがない』
と、おっしゃるんですね
そのときに、師匠に、
『掃除はどうしたら楽しいか考えろ』
って言われたんですけど、そこでしたねぇ。
あの、掃除なんて、楽しくなるわけがないんですよ。
ところが、
『楽しくなることを考えてることは楽しい』。
っていうところにね、
18歳のときに気づかせて
いただいたのが非常に助かりましたね
たぶん、ふつうの人は、「掃除は楽しくない」
というところでやめてしまう人が
多いんじゃないかと思うんですけど、
楽しくないものをどうすれば楽しいか、
ということを考えていくと楽しいんです。
さすがお笑いの頂点に立つさんまさんです。
発想の転換というか、究極のプラス思考を持つ人、これってある意味宗教的です。
「苦行の中で楽しい事を創造する事が大切である。」
さんまさんは、1985年8月12日に発生した日本航空123便墜落事故で、事故機に搭乗する予定でしたが、搭乗を1便早めたために事故に巻き込まれませんでした。当時東京 - 大阪間の移動にいつも使っていたのが同便で、事故当日は『オレたちひょうきん族』の収録が中止となったために1本早い便に搭乗。その日は月曜日で、ラジオのレギュラー番組『MBSヤングタウン』の生放送がありました。番組はほとんどが事故の報道となっていたが、途中でさんまが登場し、事故の報道以外は音楽を流すことをリスナーに告げ「もう今日はしゃあないやろ」とぼやき、その後はずっと音楽が流されていました。これ以降ショックでしばらく仕事が手につかず、これ以後東京-大阪間の移動手段を新幹線に変更しました。
プラス思考で落ち込むことが全く想像できないさんまさんも人間なんだなと思いました。
2022年9月17日土曜日
2022年9月16日金曜日
2022年9月15日木曜日
空手道場 浜松市 東区 大蒲町
2022・9・13・火曜日
極真空手 浜松大蒲道場
幼少年少女部では、体力、技術、スパー、雑巾掛け
師範稽古では、腹踏み、打蹴り合いまで稽古致しました。
押忍!
#極真空手
#浜松市