2024・7・31・水曜日
極真空手豊橋道場
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#豊橋市
#豊橋
2024年7月30日火曜日
2024年7月29日月曜日
2024年7月27日土曜日
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
《魅力的になりたいなら場数をこなしな》
年齢を重ねるにつれ、交友関係が変わってきたり、これまで親しくしていた相手と気が合わなくなったりすることがあります。
実はこういうのも、ある意味、場数を踏んだ結果なんだよね。
人間関係で場数を重ねるうちに、「この人とは気が合わない」とわかる。
「苦手なタイプだと思っていたけど、話してみたらすごく味わい深い人だった」なんて感じる。
その結果、一緒にいる人に変化が出てくるわけです。
場数を踏んでなきゃ、こういう変化は起きません。
そしてもちろん、場数で「こういう人にかまっているとロクなことがない」みたいなこともわかってきます。
そうすると、へんてこりんなやつが出てきたとしても、 一人さんみたく瞬時に離れられるし、嫌なやつに人生をかき回されることがなくなるの。
一人さん流で言えば、嫌なやつとはもちろんのこと、話のかみ合わない相手とも、無理にコミュニケーションを図ろうとする必要はありません。
気の合わない人と一緒にいても、いずれどこかで衝突するときが来るんだよね。
といっても、一刀両断にバサッと関係を切るような極論ではなく、必要最低限の関わりにすればいいだけです。
お誘いを受けても、露骨に嫌な顔をしたりせず、「その日は用事があってごめんなさい」ってやんわり断ればいいよね。
わずかな距離を取るだけでも、相手への感情はずいぶん違ってくるものです。
また、付き合う相手には、「魅力」の問題が深く関わってきます。
人生の場数を経てあなたが魅力を増せば、当然に、それまで以上に魅力的な人と付き合いたくなる。
魅力は波動としてにじみ出るものだから、魅力のレベルに大きな差があると、自分も相手も、お互いに居心地が悪い。
だから離れたくなるんです。
波動には、同じような周波数だと引き合うけれど、あんまり違う波動の場合は、磁石の同じ極同士が反発するみたく、お互いに遠ざけたくなる特性があります。
だから、あなたが離れることで、相手もホッとするんじゃないかな。
『この世を天国に変えるコツ』徳間書店
https://amzn.to/4bYZp9Q
場数を踏むとは、経験値を高めることだ。
経験値を高めるとは、挑戦する回数を増やすこと。
つまり、失敗を山を築くことによって、成功も見える。
大事なことは、いくら知識として知っていても、それを実行に移さなければ、うまくいくかどうかはわからないということ。
まさに、「やってみなはれ」だ。
それが場数。
人間関係も同じで、場数を踏まないとわからない。
年を重ねて、酸いも甘いも噛(か)み分けた、いぶし銀のような魅力。
いいことも悪いことも、成功も失敗も、楽しいことも辛いことも、知っている。
深い人間味のある、魅力的な人だ。
人生には、場数を踏まなければわからないことは多くある。
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《魅力的になりたいなら場数をこなしな》
年齢を重ねるにつれ、交友関係が変わってきたり、これまで親しくしていた相手と気が合わなくなったりすることがあります。
実はこういうのも、ある意味、場数を踏んだ結果なんだよね。
人間関係で場数を重ねるうちに、「この人とは気が合わない」とわかる。
「苦手なタイプだと思っていたけど、話してみたらすごく味わい深い人だった」なんて感じる。
その結果、一緒にいる人に変化が出てくるわけです。
場数を踏んでなきゃ、こういう変化は起きません。
そしてもちろん、場数で「こういう人にかまっているとロクなことがない」みたいなこともわかってきます。
そうすると、へんてこりんなやつが出てきたとしても、 一人さんみたく瞬時に離れられるし、嫌なやつに人生をかき回されることがなくなるの。
一人さん流で言えば、嫌なやつとはもちろんのこと、話のかみ合わない相手とも、無理にコミュニケーションを図ろうとする必要はありません。
気の合わない人と一緒にいても、いずれどこかで衝突するときが来るんだよね。
といっても、一刀両断にバサッと関係を切るような極論ではなく、必要最低限の関わりにすればいいだけです。
お誘いを受けても、露骨に嫌な顔をしたりせず、「その日は用事があってごめんなさい」ってやんわり断ればいいよね。
わずかな距離を取るだけでも、相手への感情はずいぶん違ってくるものです。
また、付き合う相手には、「魅力」の問題が深く関わってきます。
人生の場数を経てあなたが魅力を増せば、当然に、それまで以上に魅力的な人と付き合いたくなる。
魅力は波動としてにじみ出るものだから、魅力のレベルに大きな差があると、自分も相手も、お互いに居心地が悪い。
だから離れたくなるんです。
波動には、同じような周波数だと引き合うけれど、あんまり違う波動の場合は、磁石の同じ極同士が反発するみたく、お互いに遠ざけたくなる特性があります。
だから、あなたが離れることで、相手もホッとするんじゃないかな。
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場数を踏むとは、経験値を高めることだ。
経験値を高めるとは、挑戦する回数を増やすこと。
つまり、失敗を山を築くことによって、成功も見える。
大事なことは、いくら知識として知っていても、それを実行に移さなければ、うまくいくかどうかはわからないということ。
まさに、「やってみなはれ」だ。
それが場数。
人間関係も同じで、場数を踏まないとわからない。
年を重ねて、酸いも甘いも噛(か)み分けた、いぶし銀のような魅力。
いいことも悪いことも、成功も失敗も、楽しいことも辛いことも、知っている。
深い人間味のある、魅力的な人だ。
人生には、場数を踏まなければわからないことは多くある。
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2024年7月26日金曜日
浜松よいとこ
本日、日中の隙間時間を使って蓮潤さんと川遊びに行って来ました。^ ^
改めて、浜松は本当に良い所を実感いたしました。
車を30分強も走らせれば川あり、山あり、海あり、浜名湖あり、、絶景の大自然にすぐに触れる事が出来ます。
しかも、東京、大阪へは新幹線に乗っかれば約1時間30分、名古屋へは30分!
コロナ禍を経てリモート、オンラインは当たり前、
スマホ1台あれば買い物からエンタメまでほぼ完結の世の中!
もう浜松(西遠〜東三河地域)以外住むことなんて考えられません!笑 ^ ^
それにしても平日の日中、川遊びを楽しんでいるのはほとんどが外国人の家族連れの方たちばかり、、その人生の楽しみ方を熟知されているのを垣間見て「人生とは?」を改めて考えさせられてしまいました。
家族を(と)楽しむ、
遊び(趣味)を楽しむ、
仕事を楽しむ、
人生を楽しむ!
(^^)
改めて、浜松は本当に良い所を実感いたしました。
車を30分強も走らせれば川あり、山あり、海あり、浜名湖あり、、絶景の大自然にすぐに触れる事が出来ます。
しかも、東京、大阪へは新幹線に乗っかれば約1時間30分、名古屋へは30分!
コロナ禍を経てリモート、オンラインは当たり前、
スマホ1台あれば買い物からエンタメまでほぼ完結の世の中!
もう浜松(西遠〜東三河地域)以外住むことなんて考えられません!笑 ^ ^
それにしても平日の日中、川遊びを楽しんでいるのはほとんどが外国人の家族連れの方たちばかり、、その人生の楽しみ方を熟知されているのを垣間見て「人生とは?」を改めて考えさせられてしまいました。
家族を(と)楽しむ、
遊び(趣味)を楽しむ、
仕事を楽しむ、
人生を楽しむ!
(^^)
2024年7月23日火曜日
2024年7月22日月曜日
浜松半田道場師範稽古
202447・22・月曜日
極真空手浜松半田道場
猛暑のため幼少年少女部、師範稽古共に頭を使う自学自習形式で無理のない稽古を行いました。
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#浜松市
#浜松
極真空手浜松半田道場
猛暑のため幼少年少女部、師範稽古共に頭を使う自学自習形式で無理のない稽古を行いました。
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#浜松市
#浜松
2024年7月21日日曜日
西遠支部夏季昇級審査会
2024・7・21・日曜日
極真静岡西遠支部夏季昇級審査会
猛暑の中、2時間を超えての審査会、大変お疲れ様でした、ありがとうございました!
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#極真静岡
#静岡県
#静岡
#審査会
極真静岡西遠支部夏季昇級審査会
猛暑の中、2時間を超えての審査会、大変お疲れ様でした、ありがとうございました!
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#極真静岡
#静岡県
#静岡
#審査会
2024年7月19日金曜日
ナイトプール
40数年前、中学2年生の蒸し暑い真夏の夜
悪友たち数人と夜の中学校プールに忍び込み、今でいうナイトプール?を楽しんでいた時、、たまたま校舎内で残業をしていた先生に見つかり、、ヤバいドン叱られる(時代は昭和、鉄拳制裁あり)と覚悟したのも束の間、、、
「おんしら(お前ら)、気持ちよさそうやのぅ〜」
とその先生もパンツ一丁なってプールに飛び込んで来て、
一緒に遊んでくれた楽しい思い出が、フッと頭によぎりました。
今から40数年前、、
今の様に白か黒かハッキリ決める事なく、「まぁ、まぁ、」と認め合うことができ、いわゆるグレーゾーンが多分に許された時代。
今の様にお互いが、相手の落ち度を攻め合い、歪み合い、針を出し合って傷つけ合い、あまりギスギスしていなかった時代。
賛否両論あるとは思いますが、私には楽しかったなぁ〜
私にとって、このナイトプール?事件は、先生とは、大人とは、人間とは、、を真面目に考える大変良い機会となりました。
果たして、人間を育てる真の教育とはいったい何なんでしょうか、、自問自答の日々は続きます。
(写真はグーグル先生からの拾い物となります。)
悪友たち数人と夜の中学校プールに忍び込み、今でいうナイトプール?を楽しんでいた時、、たまたま校舎内で残業をしていた先生に見つかり、、ヤバいドン叱られる(時代は昭和、鉄拳制裁あり)と覚悟したのも束の間、、、
「おんしら(お前ら)、気持ちよさそうやのぅ〜」
とその先生もパンツ一丁なってプールに飛び込んで来て、
一緒に遊んでくれた楽しい思い出が、フッと頭によぎりました。
今から40数年前、、
今の様に白か黒かハッキリ決める事なく、「まぁ、まぁ、」と認め合うことができ、いわゆるグレーゾーンが多分に許された時代。
今の様にお互いが、相手の落ち度を攻め合い、歪み合い、針を出し合って傷つけ合い、あまりギスギスしていなかった時代。
賛否両論あるとは思いますが、私には楽しかったなぁ〜
私にとって、このナイトプール?事件は、先生とは、大人とは、人間とは、、を真面目に考える大変良い機会となりました。
果たして、人間を育てる真の教育とはいったい何なんでしょうか、、自問自答の日々は続きます。
(写真はグーグル先生からの拾い物となります。)
2024年7月18日木曜日
日本を取り戻す
「君たち、今に日本人が日本人で無くなる日が来るぞ!
その時は君たち(極真)が日本の最後の砦になれ!」
大山総裁晩年の内弟子(第19期生前後)が事あるごとに言われ続け、教育され続けたお言葉です。
あれから30数年、、まさに予言的中の如き混沌とした世相。
ある意味「日本を取り戻せ」は「武士の魂を取り戻せ」
という事であるとも捉えられます。
武道発祥の地、、日本
自分たちの世代まではまだ良いかもしれません、、しかし、子供たち、孫たちの世代の事を考えると、日本の行く末を本当に危惧してしまいます。
次世代の若人たちにしっかりと、
日本精神、武道精神、極真精神を日々の道場活動の中で伝えていかなければ、とその使命を感じております。
押忍
#極真空手
その時は君たち(極真)が日本の最後の砦になれ!」
大山総裁晩年の内弟子(第19期生前後)が事あるごとに言われ続け、教育され続けたお言葉です。
あれから30数年、、まさに予言的中の如き混沌とした世相。
ある意味「日本を取り戻せ」は「武士の魂を取り戻せ」
という事であるとも捉えられます。
武道発祥の地、、日本
自分たちの世代まではまだ良いかもしれません、、しかし、子供たち、孫たちの世代の事を考えると、日本の行く末を本当に危惧してしまいます。
次世代の若人たちにしっかりと、
日本精神、武道精神、極真精神を日々の道場活動の中で伝えていかなければ、とその使命を感じております。
押忍
#極真空手
2024年7月17日水曜日
2024年7月13日土曜日
浜松西伊場道場幼少年少女部
2024・7・13・土曜日
極真空手浜松西伊場道場
あと数年もすればAIがさらに加速度的に普及し、
人間は人間にしか出来ない事だけをすればよい、良い時代が間違いなく到来すると思います。
そんな時代を生き抜き、リーダー的な人間となれる力を養う為の稽古をいたしました。
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#浜松市
#浜松
極真空手浜松西伊場道場
あと数年もすればAIがさらに加速度的に普及し、
人間は人間にしか出来ない事だけをすればよい、良い時代が間違いなく到来すると思います。
そんな時代を生き抜き、リーダー的な人間となれる力を養う為の稽古をいたしました。
押忍
#真を極める人づくり
#10年後の自分未来のために
#極真空手
#浜松市
#浜松
【教えとは実践を伴ってこそ生きる】
伊與田覺氏の心に響く言葉より…
《教えとは実践を伴って生きてくるもの》
世界の三大聖人に共通しているのは、自分の著書がないということです。
キリストも、あのバイブルはキリストの著書ではありません。
その熱心な弟子がキリストの教えを受けて、自らもそれを体験して、これは間違いのない真理であると悟ったものがバイブルの言葉となっています。
お経もそうです。
お釈迦さんは著書を持っておりません。
弟子やずっと後の人たちがお釈迦さんの口伝えの教えを実践して、この教えは間違いないなというものを書きとめたのが「お経」というものなんです。
孔子もそうです。
孔子は自らの著書はありません。
『論語』というのは孔子の著書ではありません。
孔子が亡くなり、その孫弟子の時代にできあがったものです。
自分が教えを受けている先生が孔子から学んだこと、もっとも感動したことを聞き出して、その中からさらに適当と思うものを選んで約五百章にまとめたのです。
だから、『論語』は直弟子がつくったものではありません。
孫弟子たちが編纂したものです。
そういうステップがある。
直弟子が学び、それを実践した。
そしてその次の者たちが、自分たちの先生が真実だというもの、先生の教えの中で自分たちが実践して絶対に間違いのないものを選んでまとめたのです。
『論語』とはそのようにしてつくられたものです。
だから、非常に短い文章の羅列になっているのです。
それが二千五百年後の現代まで生きている理由は、実践の裏付けがあるということなんですね。
これはバイブルもお経も同じでしょう。
学者というものは、多くの書物を読み、そこから拾い出したものを帰納するといいますか、結論を見出して人に話をしているのです。
そのため、自ら実践というものをしていない人が多い。
戦後、日本にニヒリズムの風潮が非常に幅をきかせたときがあります。
そのニヒリズムについての本を日本語に翻訳した偉い先生がおりました。
あるとき私が「あなた、ニヒリストですか」とたずねたら、その先生は「いやいや、わしは関係ない。向こうにある思想を訳したまでだ」といわれました。
このように、学者というのは、自分の訳したものと、自分の人生観とが違っている場合があるのです。
文化人という人の中にはそういう人が多いようです。
人よりも語学が達者であるというので、人に先んじて外国の書物を読み、それを紹介をする。
その功績はありますけれど、それはその人の心の叫びではない。
学者というものは非常に大事ではありますけれども、そこが違うところです。
『孝経 人生をひらく心得』致知出版
https://amzn.to/3Yh14EH
どんな素晴らしい言葉も、実践の裏打ちがなければ相手には伝わらない。
実践している人の言葉は、それがたとえ、小学生が使うようなやさしい言葉であったとしても重みがある。
お釈迦さまは「人を見るなら、その行動を見よ」と言った。
外見や肩書、あるいは社会的地位や学歴で人の値打ちをはかることはできない。
どんなに口ではカッコいいことを言っても、それに行動が伴っていなければ、人からは信用されない。
3大聖人の残した「聖書」「論語」「仏典」は、すべて自らが書いたものではなく、弟子たちがその教えを実践した結果が書いてあるという。
実践を伴った教えには、何千年の時を超える真の価値がある。
「教えとは実践を伴ってこそ生きる」という言葉を胸に刻みたい。
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伊與田覺氏の心に響く言葉より…
《教えとは実践を伴って生きてくるもの》
世界の三大聖人に共通しているのは、自分の著書がないということです。
キリストも、あのバイブルはキリストの著書ではありません。
その熱心な弟子がキリストの教えを受けて、自らもそれを体験して、これは間違いのない真理であると悟ったものがバイブルの言葉となっています。
お経もそうです。
お釈迦さんは著書を持っておりません。
弟子やずっと後の人たちがお釈迦さんの口伝えの教えを実践して、この教えは間違いないなというものを書きとめたのが「お経」というものなんです。
孔子もそうです。
孔子は自らの著書はありません。
『論語』というのは孔子の著書ではありません。
孔子が亡くなり、その孫弟子の時代にできあがったものです。
自分が教えを受けている先生が孔子から学んだこと、もっとも感動したことを聞き出して、その中からさらに適当と思うものを選んで約五百章にまとめたのです。
だから、『論語』は直弟子がつくったものではありません。
孫弟子たちが編纂したものです。
そういうステップがある。
直弟子が学び、それを実践した。
そしてその次の者たちが、自分たちの先生が真実だというもの、先生の教えの中で自分たちが実践して絶対に間違いのないものを選んでまとめたのです。
『論語』とはそのようにしてつくられたものです。
だから、非常に短い文章の羅列になっているのです。
それが二千五百年後の現代まで生きている理由は、実践の裏付けがあるということなんですね。
これはバイブルもお経も同じでしょう。
学者というものは、多くの書物を読み、そこから拾い出したものを帰納するといいますか、結論を見出して人に話をしているのです。
そのため、自ら実践というものをしていない人が多い。
戦後、日本にニヒリズムの風潮が非常に幅をきかせたときがあります。
そのニヒリズムについての本を日本語に翻訳した偉い先生がおりました。
あるとき私が「あなた、ニヒリストですか」とたずねたら、その先生は「いやいや、わしは関係ない。向こうにある思想を訳したまでだ」といわれました。
このように、学者というのは、自分の訳したものと、自分の人生観とが違っている場合があるのです。
文化人という人の中にはそういう人が多いようです。
人よりも語学が達者であるというので、人に先んじて外国の書物を読み、それを紹介をする。
その功績はありますけれど、それはその人の心の叫びではない。
学者というものは非常に大事ではありますけれども、そこが違うところです。
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どんな素晴らしい言葉も、実践の裏打ちがなければ相手には伝わらない。
実践している人の言葉は、それがたとえ、小学生が使うようなやさしい言葉であったとしても重みがある。
お釈迦さまは「人を見るなら、その行動を見よ」と言った。
外見や肩書、あるいは社会的地位や学歴で人の値打ちをはかることはできない。
どんなに口ではカッコいいことを言っても、それに行動が伴っていなければ、人からは信用されない。
3大聖人の残した「聖書」「論語」「仏典」は、すべて自らが書いたものではなく、弟子たちがその教えを実践した結果が書いてあるという。
実践を伴った教えには、何千年の時を超える真の価値がある。
「教えとは実践を伴ってこそ生きる」という言葉を胸に刻みたい。
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