2017年8月16日水曜日

今日の言葉 稽古

親と仲良く出来た。
伴侶を少し許した。
言い訳を何度か我慢した。
子どもを褒めてあげられた。
恋人への不信をかき消せた。
嫌な事にNOと言えるようになった。
カッとしたとき、深呼吸できるようになった。
嫌なことにありがとうと言えるようになった。
手放せなかったモノ・コトを捨てられた。
好き、ありがとう、ごめんと言えた。
何度か食欲をコントロールできた。
良い人のフリをやめられた。
早起き、数回出来た。
勉強が楽しくなった。
逃げなかった。

1つでも1ミリでも
良くなったなら最上。

著 本気で夢を叶える会


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拳立て六回です。


押忍!          石黒康之

2017年8月14日月曜日

今日の言葉 稽古

福を想えば、福来たる
━━━━━━━━━━━━━━
竹田和平(日本一の個人投資家)
○『竹田和平の人生訓』(致知出版社刊)より

拳立て五回です。


押忍 石黒康之

成功する人の12カ条

「成功する人の12カ条」

 1、人間的成長を求め続ける事
 2、自信と誇りを持つ
 3、常に明確な目標を指向
 4、他人の幸福に役立ちたい
 5、良い自己訓練を習慣化
 6、失敗も成功につなげる
 7、今ここに100%全力投球
 8、自己投資を続ける
 9、何事も信じ行動する
10、時間を有効に活用
11、できる方法を考える
12、可能性に挑戦し続ける

 樋口武男
(大和ハウス工業会長兼CEO)


押忍!

卑怯なことはしない、爽やかに生きる

【神様はどういう人を応援したくなるか】

小林正観さんの心に響く言葉より…

スポーツは、とくに「さわやかさ」が要求されるものです。

ところが、勝負にこだわるあまり、「美しさ」や「さわやかさ」を忘れてしまうことがあります。

基本的な「さわやかさ」を失ってしまう人がいます。

勝ち負けに固執して、美しくない、さわやかでない行為を見せてしまうことがあります。

神様はどうもそういう人をあまり応援したくないようなのです。

ある強い力士がいました。

その力士は「相撲は喧嘩だ」と言い、土俵を割って力を抜いた相手の力士を土俵下に突き飛ばすという事例がよく見られました。

印象としては、さわやかなものではありません。

強いには強かったのですが、あまり美しい土俵態度とは言えませんでした。

ある事件が起き、もっとも本人は、「理不尽な」と思っているでしょうが、その結果として力士を辞めることになってしまいます。

土俵とは関係のないことで問題を起こし、辞めざるを得ないような形になったのでした。

スポーツの世界では勝ち負けよりも「さわやかさ」というものを実現させなくてはいけません。

それを見せることがスポーツの選手に課せられた課題なのです。

勝つために選択した手段があまり美しいものではなかった、さわやかなものではなかったという場合には、神様は味方をしないようです。

その人を応援するということをしたがらないようです。

ルールに則り、鍛錬した肉体や技術を駆使して勝敗を競うゲーム、それを「スポーツ」と呼ぶのですから、そこで勝敗を争って当然ですが、勝敗にこだわるあまり、あまりにも美しくない姿を見せると、それはかえってマイナスになります。

スポーツ選手は、さわやかであること、勝敗を競っているけれども、勝敗にこだわらない美しい姿を見せることが重要です。

さて、わかりやすいようにスポーツを例にとりましたが、実は人間すべてにその「さわやかさ」が関わってくるのです。

仕事や商売も同じこと。

お金や売上にこだわるあまり、人が眉をひそめるようなやり方を宇宙は好まないようです。

阪神大震災のときに一杯5000円のラーメンを出したラーメン店がありました。

大震災のあとはお店もなく食べる物もないので、多くの人がそのラーメン店に並びました。

ところが、半年経ったあとは誰一人として行かなくなったといいます。

しばらくしてその店は倒産し、店をたたんだということでした。

たしかに店がなくて食べるものがなければ、一杯5000円でもお客さんは来たでしょう。

しかし、そういうときほど人間性を問われます。

そこでお金を稼ごう、仕事を成功させようと思った結果、人間としての基本的な「さわやかさ」というものが忘れ去られていたのかもしれません。

美しい商いの行為ではなかったように思います。

そういう状況を神や宇宙は応援しないように思います。

『運命好転十二条』五月書房

日頃の態度や行動が「美しい」「さわやか」と思われる人は、謙虚さ、人のせいにしない、言い訳をしない、というつまり、卑怯(ひきょう)なことをしないというような資質を持っている。

反対に、「見苦しい」「あさましい」「カッコ悪い」と思われる人は、傲慢(ごうまん)、偉そう、人のせいにする、言い訳が多い、という、卑(いや)しさがある。

「国家の品格」を書いた藤原正彦氏は、日本の国柄には、「私より公を尊重する」「惻隠(そくいん)の情を持つ」「卑怯なことはしない」「恥を知る」というような価値観があるという。

惻隠の情とは、弱者、敗者に対する涙であり、卑怯を憎む心とは、どんな理由があろうとも大勢で一人の人をやっつけては駄目だということである。

つまり、同情、共感、思いやりの心、そして凛(りん)とした美しさ。

神様が応援したくなるような人…

美しく、さわやかな生き方をしたい。



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押忍!

2017年8月13日日曜日

極真空手 石黒康之 瓦頭突き割り 瓦寸勁割り 動画



創立35周年記念


2017年度 

静岡県立浜松湖南高等学校同窓会での極真空手 石黒康之の演武動画です。



いつもありがとうございます。



宜しくお願い致します。




押忍!(^^)      石黒康之 0534829937





極真空手 浜松(大蒲・西伊場・半田)・湖西・豊橋・豊川・蒲郡



https://karate-hamamatsu.com/

今日の言葉 稽古

人生はただ単に生きるんじゃなくて、
何か命をかけるものに出会ったら、
素晴らしい力を発揮できる
━━━━━━━━━━━━━━
村上和雄(筑波大学名誉教授)
○『君のやる気スイッチをONにする遺伝子の話』(致知出版社刊)より


拳立て四回です。



押忍! 石黒康之

これからの時代は「縮充」(縮小しながら充実させる。)質、中身で勝負する!

人口減少社会の希望


山崎亮氏の心に響く言葉より…


日本には1718の自治体があり(2014年4月時)、そのうち約半数は2040年までに消滅の可能性がある。

こう予言したのは増田レポートで、もちろん「このまま何も手を打たなければ」という注釈付きで考えなければならない指摘なのだが、いまの日本では誰ひとり経験したことのない「人口自然消滅」という趨勢(すうせい)の中で、僕らは豊かな社会のあり方を想像していかなければならない。

人口が減れば税収も減る。

自治体が使えるお金は少なくなり、日本中のまちはますます寂れていく…。

そんな悲観的な未来を描くのは容易(たやす)いことだ。


しかし、「ちょっと待てよ」と思う。

日本は先道を転がり落ちるように衰退していくわけではない。

未知なる局面を迎えて、少しばかり身動きがとれなくなっていると考えたほうがいい。

それはちょうど、体型に合わなくなった古い服を脱ぎ捨てて、これからの自分にピッタリ合った、美しくて機能的な服に着替える段階といってもいいだろう。


日本の未来を考えるとき、ぼくはしばしば「縮充」という言葉を使う。

本来は繊維の加工に関する用語だが、人口や税収が縮小しながらも地域の営みや住民の生活が充実したものになっていくしくみを僕らは編み出さなければならない時期を迎えている。

そのしくみこそが、これからの日本のサイズに合った衣装であり、衣装を仕立てるために不可欠な力が市民の「参加」だと感じている。


未来とは誰かがつくってくれるものではない。

新しい国家モデルのもとで、僕たちがつくりあげるものである。

それなら人々がまちづくりに参加して、魅力的な地域を自らつくりだせばいい。


行政の都合だけで無理やりコンパクトシティ化を進めるのではなく、市民が話し合いの場に参加し、自分たちの未来を自分たちでつくりあげればいい。

行政だってそれを望んでいるはずなのだ。

市民が自らの情報発信をすること、企業の商品開発に市民が参加すること、市民参加型の地域包括ケアを実現させることは可能だろうか?

人口も経済も縮むかもしれないが、市民の生活は充実するような方策がきっとあるはずだ。


そのとき、キーワードとなるのが「参加」である。

人々の主体性を伴った参加なくして「縮充する未来」はありえない。

幸いなことに、参加の潮流はさまざまな分野で高まりつつある。


縮減でも縮退でもない。

拡充でも補充でもない。

縮みながら充実させて、質感が良く温かい地域社会をつくること。

いわば「少数精鋭化」する未来について考えてみたいのだ。


拡大する時代の「少数精鋭」は、選ばれし者に限られた話だったかもしれない。

しかし、縮充する時代の少数精鋭化はみんなが参加することを前提とする。

そして、その潮流はすぐに始まっているのだ。


『縮充する日本』PHP新書




山崎氏は本書の中で「参加」についてこう語る。

「『個』が優先されてきたことによる違和感のようなものに、日本人は気づき始めているのではないかという思いがある。

はたして『個』の時代は僕らの生活を豊かにしたのだろうか。

都合よく一人になれる一方で、病気になったり、事故に遭ったときの不安は増大していないか。

鬱、自殺、孤立死といった悲しい出来事や、振り込め詐欺のような卑劣な犯罪は、人と人とのつながりが希薄になったことと無縁ではないように感じている。

OECD(経済協力開発機構)が2005年に実施した社会的孤立に関する国際調査によると、家族以外の人との交流がまったくない、あるいはほとんどないと答えた日本人が15.3%もいて、この数字はOECD加盟国の中でもっとも高いという。

諸外国ではあまり見られない孤立死が日本で増えている背景には、人と人とのつながりが希薄になってことが一因ではないかと指摘している。

講演などでもしばしば話すのだが、僕には大好きなアフリカの諺(ことわざ)がある。

『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなで行きなさい』

一人では満たされない感情はたくさんある。

喜びも、悲しみも、孤独の中で噛みしめるより、仲間と分かち合ったほうがいい…。

そう考える人たちが日本中で増えてきていると感じる」


日本の人口減少は恐ろしいほどの速さで進んでいる。

我々は、このことは避けられない未来なのだと腹をくくり、その方向にそった最善の方法を探していくしかない。

そのひとつの解が、「参加型」のしくみをつくっていくことだという。

考えてみれば、我々は欧米型の「個」を重視する考えを従来より取り入れ、それが今、行き過ぎてしまったのかもしれない。


『早く行きたければ一人で行きなさい。遠くまで行きたければみんなで行きなさい』

人口減少社会での生き筋を探してみたい。




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押忍!