嵐の前に
押忍(^^)
2018年9月30日日曜日
出稽古
支部内道場 出稽古
国際空手道連盟
極真会館 静岡西遠・愛知東三河支部には管轄地域内に10ヶ所の道場が御座います。
(内、9ヶ所が各設備完備の常設道場となります。)
基本的に1ヶ所の道場に入門して頂けましたら、
国際空手道連盟
極真会館 静岡西遠・愛知東三河支部には管轄地域内に10ヶ所の道場が御座います。
(内、9ヶ所が各設備完備の常設道場となります。)
基本的に1ヶ所の道場に入門して頂けましたら、
どこの道場にも何回でも通う事が出来ます。
宣伝になってしまい大変恐縮ですが、皆様、何卒宜しくお願い致します。(^^)
宣伝になってしまい大変恐縮ですが、皆様、何卒宜しくお願い致します。(^^)
国際空手道連盟
極真会館 静岡西遠・愛知東三河支部
創始者 大山倍達
館長 松井章奎
支部長 石黒康之
053-482-9937
2018年9月29日土曜日
群れ
人間というのは、つくづく群れる生き物なんだなあと思う。
南の海の水中映像とかに、よく小魚が何千匹と群れている様子が写される。
みんなが右を向けば右、左を向けば左と、小魚たちは見事なくらいに一斉に向きを変える。
そうやって、捕食者である大きな魚から身を守っている。
皆で群れていれば、一匹で泳いでいるよりも捕食者である大きな魚に食われる確率を減らせる。
他の魚が左を向いたときに、もし右を向いてしまったら、自分一匹だけが取り残される。
捕食者にガブリと食われる危険は、一気に高まる。
だから必死で群れの動きに合わせる。
人間も同じことをしている。
みんなが流行のバッグを買えば、自分も同じバッグを買う。
誰かが麻薬で捕まれば、みんなで叩きのめす。
誰かがヒーローということになれば、みんなで褒めまくる。
みんながどう思っているかが大事で、そのバッグだのタレントだのを自分が好きとか嫌いとかは、二の次なのだ。
あるいは、自分が好きかどうかなんて、考えすらしないのかもしれない。
見る目のある人間なら、笑いが止まらないはずだ。
網をしかけて、その小魚を根こそぎ捕まえるのはちっとも難しいことではない。
まあ、人間の場合は食われるわけじゃない。
おそらくそのまま網の中で生かされて、何も気付かないまま搾り取られるだけ搾り取られることになるのだろう。
そういう生活が嫌じゃないという人には、別に何も言うことはない。
けれど、そこから逃げ出したいのなら、周囲の群れの動きをよく観察することだ。
そしてみんなが右へ動いたら、何があってもその方向にだけは行かないようにする。
群れから抜け出して、自分のいた群れを、離れた場所からもう1回よく眺めてみるといい。
自分がどんなに恥ずかしいことをしていたかが、はっきりと見えるだろう。
周りの人間がみんな、王様の衣装は素晴らしいと言っても、自分の目に裸に見えるのなら、王様は裸なのだ。
そこで自分の抱いた違和感に蓋をして王様の服が見えるふりをしていたら、いつまでも群れからは抜け出せない。
ただし、そこで実際に自分の感じていることを口に出して、「王様は裸だ!」と言うかどうかはまた別の話だ。
いったんそれを言ったが最後、後戻りはできない。
周りの人間に叩かれようとも、その道を行かなきゃいけなくなる。
それがつまり、俺のやってきたことで、自分のことだからよくわかるのだけれど、それで喰えるという保証はどこにもない。
のたれ死にすることになっても、俺に文句は言わないように。
【人の心に灯をともす】http://merumo.ne.jp/00564226.html より
事業の世界だけでなく、スポーツでも芸能界でも、成功している人は人と同じことはしない。
人と違うことをするから一歩先んじることができるし、生き残ることもできる。
皆が右を向いたときに、左も見ることができる人は、冷静に自分を客観視することができる。
多くの人が熱狂の中にあるときほど、「待てよ」と違う選択肢も考えることができる。
それは、一発あててやろうというような派手なことを目指すのではなく、むしろ地味でコツコツと報われない努力の方が多い。
だからこそ、人と違う道を行くには勇気と覚悟が必要だ。
「人は群れる」
あえて、違う道を進む勇気を持ちたい。
※出典「超思考」 北野 武 幻冬舎
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押忍!
南の海の水中映像とかに、よく小魚が何千匹と群れている様子が写される。
みんなが右を向けば右、左を向けば左と、小魚たちは見事なくらいに一斉に向きを変える。
そうやって、捕食者である大きな魚から身を守っている。
皆で群れていれば、一匹で泳いでいるよりも捕食者である大きな魚に食われる確率を減らせる。
他の魚が左を向いたときに、もし右を向いてしまったら、自分一匹だけが取り残される。
捕食者にガブリと食われる危険は、一気に高まる。
だから必死で群れの動きに合わせる。
人間も同じことをしている。
みんなが流行のバッグを買えば、自分も同じバッグを買う。
誰かが麻薬で捕まれば、みんなで叩きのめす。
誰かがヒーローということになれば、みんなで褒めまくる。
みんながどう思っているかが大事で、そのバッグだのタレントだのを自分が好きとか嫌いとかは、二の次なのだ。
あるいは、自分が好きかどうかなんて、考えすらしないのかもしれない。
見る目のある人間なら、笑いが止まらないはずだ。
網をしかけて、その小魚を根こそぎ捕まえるのはちっとも難しいことではない。
まあ、人間の場合は食われるわけじゃない。
おそらくそのまま網の中で生かされて、何も気付かないまま搾り取られるだけ搾り取られることになるのだろう。
そういう生活が嫌じゃないという人には、別に何も言うことはない。
けれど、そこから逃げ出したいのなら、周囲の群れの動きをよく観察することだ。
そしてみんなが右へ動いたら、何があってもその方向にだけは行かないようにする。
群れから抜け出して、自分のいた群れを、離れた場所からもう1回よく眺めてみるといい。
自分がどんなに恥ずかしいことをしていたかが、はっきりと見えるだろう。
周りの人間がみんな、王様の衣装は素晴らしいと言っても、自分の目に裸に見えるのなら、王様は裸なのだ。
そこで自分の抱いた違和感に蓋をして王様の服が見えるふりをしていたら、いつまでも群れからは抜け出せない。
ただし、そこで実際に自分の感じていることを口に出して、「王様は裸だ!」と言うかどうかはまた別の話だ。
いったんそれを言ったが最後、後戻りはできない。
周りの人間に叩かれようとも、その道を行かなきゃいけなくなる。
それがつまり、俺のやってきたことで、自分のことだからよくわかるのだけれど、それで喰えるという保証はどこにもない。
のたれ死にすることになっても、俺に文句は言わないように。
【人の心に灯をともす】http://merumo.ne.jp/00564226.html より
事業の世界だけでなく、スポーツでも芸能界でも、成功している人は人と同じことはしない。
人と違うことをするから一歩先んじることができるし、生き残ることもできる。
皆が右を向いたときに、左も見ることができる人は、冷静に自分を客観視することができる。
多くの人が熱狂の中にあるときほど、「待てよ」と違う選択肢も考えることができる。
それは、一発あててやろうというような派手なことを目指すのではなく、むしろ地味でコツコツと報われない努力の方が多い。
だからこそ、人と違う道を行くには勇気と覚悟が必要だ。
「人は群れる」
あえて、違う道を進む勇気を持ちたい。
※出典「超思考」 北野 武 幻冬舎
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押忍!
今日の言葉 稽古
自分はこれしかないんだという厳しい場所に自分を追い込むことは、
鍛える上では絶対に必要です
━━━━━━━━━━━━━━
森下洋子(日本初の世界的プリマ・バレリーナ)
月刊『致知』より
拳立て一回です。
本日、私は予定通りに浜松西伊場道場、幼少年少女部、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
鍛える上では絶対に必要です
━━━━━━━━━━━━━━
森下洋子(日本初の世界的プリマ・バレリーナ)
月刊『致知』より
拳立て一回です。
本日、私は予定通りに浜松西伊場道場、幼少年少女部、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
2018年9月28日金曜日
我慢はしない、辛抱する
「我慢」とは、「我(われ)の慢心」
我(が)が満ちあふれている状態。
そんなこと、する必要なし。
その我(が)を取り、下(げ)で生きる。
(下座行で生きる。)
すべてと調和する。
呼吸を合わせて生きる。
笑顔で楽しく前向きに生きる。
日本国の国体
人生二度なし
この80、90年の短い人生どう生きるか?
「我慢でなく、辛抱で生きる、たのしく辛抱する。」
我を捨てる
この世のすべてと調和する、呼吸を合わせる、溶け込み、一体化する。
個は全体であり、全体は個である。
そのイメージ
前向きに、たのしく辛抱していれば、辛棒(しんぼう)という棒が一本入る。
「辛い」が「幸せ」に!
難しいなぁーー 笑
押忍 石黒康之
我(が)が満ちあふれている状態。
そんなこと、する必要なし。
その我(が)を取り、下(げ)で生きる。
(下座行で生きる。)
すべてと調和する。
呼吸を合わせて生きる。
笑顔で楽しく前向きに生きる。
日本国の国体
人生二度なし
この80、90年の短い人生どう生きるか?
「我慢でなく、辛抱で生きる、たのしく辛抱する。」
我を捨てる
この世のすべてと調和する、呼吸を合わせる、溶け込み、一体化する。
個は全体であり、全体は個である。
そのイメージ
前向きに、たのしく辛抱していれば、辛棒(しんぼう)という棒が一本入る。
「辛い」が「幸せ」に!
難しいなぁーー 笑
押忍 石黒康之
【自己顕示と嫉妬】
小林正観さんの心に響く言葉より…
人間は、そもそも「たいしたものでない」のに、成長していくにつれて、心の中に「3つの感情」が芽生えてきます。
1. 自己顕示欲
2. 復讐心
3. 嫉妬
です。この3つは、人からもてはやされて、高い評価を受けるようになった頃に出てきます。
これらはすべて「マイナスのエネルギー」であり、神様から嫌われる性質です。
自分のことを「たいしたものだ」と認識したいと思うから、「自己顕示欲」が湧いてきます。
みんなが自分のことを「たいした人だと認めるべきだ」と思っているから、そうならないときに、「嫉妬」が芽生えます。
他の人がちやほやされているのを見て、「どうして自分にはそうしないのか」という思いが、「嫉妬」です。
また、人から何か気に入らないことをされたとき、それを「5倍、6倍にして徹底的に嫌がらせをしてやるぞ」と思う気持ちが、「復讐心」です。
先日、高い技術を持った人にお会いしました。
その人の実力は、たしかに誰もが認めるところです。
しかし、話を聞いていると、「自分がどれほどすごい人か」という話に終始していました。
自分の話ではなく、「技術」の解説をしていたら、聞いている人はさらにその人を尊敬したでしょうし、その人は、さらに「喜ばれる存在」になっていたでしょう。
ところが、「雑誌に紹介された」「有名人と知り合いだ」という自慢話が続いたのです。
どれほど「すごい実力」を持った人でも、口から出るのが「自分がどれほどすごい人か」という自己顕示欲、「自分はこんなにすごいんだけど、別の人が評価されているのは許せない」という嫉妬、「いつか見返してやるんだ」という復讐の言葉ばかりなら、誰も話を聞きたいと思いません。
「自己顕示」「復讐心」「嫉妬」の3つの感情を持つ人は、損をしている。
とても、もったいないと思います。
「どれほどすごい人物か」というのは、自分から話さなくても、伝わるものです。
「すごい実力」を持っているのだったら、ただ黙って行動で示せば、誰もが認めてくれるでしょう。
『ありがとうの神様』ダイヤモンド社
「自己顕示 自己嫌悪 わたしの こころの うらおもて」(相田みつを)
自己顕示とは、自分を実際以上に大きく見せかけることであり、自分の存在を目立たせ、他人の注意を引くことだ。
他人に必要以上にアピールすることは、人にもっと認めてもらいたい、ほめてもらいたい、という承認欲求の表れ。
人は、少しうまく行きだすと、どうしても偉そうにしてしまう。
人の話を聞かず、自分の話ばかりしたり、他人の批判や悪口が多く、人に譲ることをせず、いつも主役でいたがる。
復讐心が強い人は、自己中心的な人だ。
自分を正当化し、人をゆるさず、攻撃的に人を責める。
「なぜ、あいつが!」「今にみていろ、俺(私)だって」という感情だ。
《一瞬だけ幸福になりたいのなら、復讐しなさい。 永遠に幸福になりたいのなら、許しなさい。》(フランスの聖職者 アンリ・ラコルデール)
嫉妬とは、自分よりすぐれていたり、恵まれていることにたいして、うらやんだり、ねたんだりすること。
「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちにはなりません」という、 イギリスの元首相、 マーガレット・サッチャー氏の有名な言葉がある。
嫉妬心や復讐心は、ほぼ、この言葉に凝縮されている。
幸せな人を不幸にしても、自分は幸福にはならない。
嫉妬するのではなく、他人の幸せを共に喜ぶこと。
そして、自分が今ここに生きていることに感謝すること。
《人間は、そもそも「たいしたものでない」》、 という言葉を深く胸に刻みたい。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
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■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
http://ameblo.jp/hiroo117/
小林正観さんの心に響く言葉より…
人間は、そもそも「たいしたものでない」のに、成長していくにつれて、心の中に「3つの感情」が芽生えてきます。
1. 自己顕示欲
2. 復讐心
3. 嫉妬
です。この3つは、人からもてはやされて、高い評価を受けるようになった頃に出てきます。
これらはすべて「マイナスのエネルギー」であり、神様から嫌われる性質です。
自分のことを「たいしたものだ」と認識したいと思うから、「自己顕示欲」が湧いてきます。
みんなが自分のことを「たいした人だと認めるべきだ」と思っているから、そうならないときに、「嫉妬」が芽生えます。
他の人がちやほやされているのを見て、「どうして自分にはそうしないのか」という思いが、「嫉妬」です。
また、人から何か気に入らないことをされたとき、それを「5倍、6倍にして徹底的に嫌がらせをしてやるぞ」と思う気持ちが、「復讐心」です。
先日、高い技術を持った人にお会いしました。
その人の実力は、たしかに誰もが認めるところです。
しかし、話を聞いていると、「自分がどれほどすごい人か」という話に終始していました。
自分の話ではなく、「技術」の解説をしていたら、聞いている人はさらにその人を尊敬したでしょうし、その人は、さらに「喜ばれる存在」になっていたでしょう。
ところが、「雑誌に紹介された」「有名人と知り合いだ」という自慢話が続いたのです。
どれほど「すごい実力」を持った人でも、口から出るのが「自分がどれほどすごい人か」という自己顕示欲、「自分はこんなにすごいんだけど、別の人が評価されているのは許せない」という嫉妬、「いつか見返してやるんだ」という復讐の言葉ばかりなら、誰も話を聞きたいと思いません。
「自己顕示」「復讐心」「嫉妬」の3つの感情を持つ人は、損をしている。
とても、もったいないと思います。
「どれほどすごい人物か」というのは、自分から話さなくても、伝わるものです。
「すごい実力」を持っているのだったら、ただ黙って行動で示せば、誰もが認めてくれるでしょう。
『ありがとうの神様』ダイヤモンド社
「自己顕示 自己嫌悪 わたしの こころの うらおもて」(相田みつを)
自己顕示とは、自分を実際以上に大きく見せかけることであり、自分の存在を目立たせ、他人の注意を引くことだ。
他人に必要以上にアピールすることは、人にもっと認めてもらいたい、ほめてもらいたい、という承認欲求の表れ。
人は、少しうまく行きだすと、どうしても偉そうにしてしまう。
人の話を聞かず、自分の話ばかりしたり、他人の批判や悪口が多く、人に譲ることをせず、いつも主役でいたがる。
復讐心が強い人は、自己中心的な人だ。
自分を正当化し、人をゆるさず、攻撃的に人を責める。
「なぜ、あいつが!」「今にみていろ、俺(私)だって」という感情だ。
《一瞬だけ幸福になりたいのなら、復讐しなさい。 永遠に幸福になりたいのなら、許しなさい。》(フランスの聖職者 アンリ・ラコルデール)
嫉妬とは、自分よりすぐれていたり、恵まれていることにたいして、うらやんだり、ねたんだりすること。
「お金持ちを貧乏にしても、貧乏な人はお金持ちにはなりません」という、 イギリスの元首相、 マーガレット・サッチャー氏の有名な言葉がある。
嫉妬心や復讐心は、ほぼ、この言葉に凝縮されている。
幸せな人を不幸にしても、自分は幸福にはならない。
嫉妬するのではなく、他人の幸せを共に喜ぶこと。
そして、自分が今ここに生きていることに感謝すること。
《人間は、そもそも「たいしたものでない」》、 という言葉を深く胸に刻みたい。
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進化、スピードの時代
【テクノロジーの進化スピードは、この先も衰えることはない】
Gunosy創業者、福島良典氏の心に響く言葉より…
テクノロジーを基軸とすることが重要な理由として、その変化が社会に与える影響が大きいということに加えて、進化のスピードが速くなっているということがあります。
テクノロジーによる人々の生活やビジネスの競争環境の激変は、昔から何度も繰り返されてきました。
しかし、その時代を生きた人にとって、その変化は「比較的ゆっくりではあるけれど、確実に浸透していく」というスピード感だったのだと思います。
ある日突然、往来から馬車が姿を消して自動車が走るようになったわけではありません。
しかし、現代のテクノロジーの進化スピードは、人の意識の変化が付いていけないほどに速くなっています。
例えば、人が運転するより自動運転のほうが事故の確率は低くなるという実験検証が、すでに行われているといわれています。
それでも現時点で、「自動運転って便利そう。早く使いたい」と迷いなく言える人は少ないのではないでしょうか。
利便性を期待する以上に、「機械任せは怖い」「バグが起こったら事故になるのでは」といった不安のほうが大きいのだと思います。
インターネットが劇的に競争環境を変えることが分かっていながらも、多くの企業や個人がそれに対応できない。
その根本にも、こうした原因があるのかもしれません。
昔は、1人の人間が大きなテクノロジーの変化を複数回体験するということは、そうそうなかったはずです。
蒸気機関車が誕生したのは19世紀初頭、電車が誕生したのは19世紀末です。
当たり前のように馬車を使っていた人が、蒸気機関車に乗るようになり、電車というテクノロジー変革まで体験するということは少なかったでしょう。
ところが現代のテクノロジーは、5年や10年というスパンで、どんどん進化しています。
現に10数年前には存在すらしなかったスマホの普及率は、すでに72パーセントにも上ります。
テクノロジーの進化スピードは、この先も衰えることはないでしょう。
パソコンよりスマホのほうがずっと速く普及が進んでいることを思えば、衰えないどころか、さらに加速していくとも考えられます。
1人のビジネスパーソンとして考えたとき、かつては新しいテクノロジーが出てきても、普及し切る頃には現役ではなくなっていました。
「最新のものは自分とは関係ない。次の世代にお任せ」でよかったわけです。
しかしいまは違います。
私たち(Gunosy)は創業以来機械学習というテクノロジーを基軸に据えていますが、同時にほかのテクノロジーにも注目し、どう自分たちのビジネスに絡められるかを常に考えています。
「ブロックチェーン」「VR/AR」「音声認識」など、社会を大きく変えていきそうなテクノロジーが、今日も進化しています。
テクノロジーの変化を読み、生かすことができなければ、企業も個人も生き残っていけません。
自分たちが働いている間に大きなテクノロジーの変化が、ポン、ポン、ポン、と複数回起こる。
その度に働き方を変えなかければいけない時代になっています。
それが良い時代となるのか、悪い時代となるのかは個人の捉え方次第なのです。
『センスのいらない経営』SOGO HOREI
現代くらい、日々すさまじい変化が起こる時代はない。
その変化を、ワクワクしながら、「面白い」、「新しいことをもっと知りたい」と思う人もあれば、「とてもついていけない」、「変化が激しすぎる、やってられない」と暗い顔をして言う人もいる。
昔は、変化のスピードがおそかったので、「自分はできない」、「それは若い者にまかせた」などと言っていても、定年まで仕事をまっとうすることができた。
しかし、今はその変化のスピードがあまりに早いため、自分の会社人生の中でその変化は複数回起き、「私は知らない」「できない」などと言っていたら、あっという間に置いていかれ、リストラの憂き目にあう。
だからこそ、普段からITやAIに縁遠い仕事や生活をしている人ほど、新しい技術やデジタル家電や、ガジェットに触れることが必要だ。
たとえば…
最新のスマホやスマートウオッチを買ってみる。
音声認識の「Google Assistant」や「Amazon Alexa」を使ってみる。
SNS等で、とにかく発信してみる。
電子マネーをスマホで使ってみる。
手帳を捨てて、スマホやPCのカレンダーを使ってみる。
紙のメモを捨て、スマホやタブレットやEvernoteを使ってみる。
新聞を紙ではなく、スマホやタブレットで読んでみる。
電話ではなく、ライン電話や、フェイスタイムを使ってみる。
ちなみに、福島氏は、「センスのいらない経営」とは、かつて企業を急成長させた経営者が持っていた「経験知」や「勘」、つまり「センス」でなく、「数字」や「データ」といった、真実だけを告げる指標を正しく見極める力だという。
「テクノロジーの進化スピードは、この先も衰えることはない 」
この大きな変化を、「ワクワクする」「面白くて仕方がない」と感じられる人でありたい。
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Gunosy創業者、福島良典氏の心に響く言葉より…
テクノロジーを基軸とすることが重要な理由として、その変化が社会に与える影響が大きいということに加えて、進化のスピードが速くなっているということがあります。
テクノロジーによる人々の生活やビジネスの競争環境の激変は、昔から何度も繰り返されてきました。
しかし、その時代を生きた人にとって、その変化は「比較的ゆっくりではあるけれど、確実に浸透していく」というスピード感だったのだと思います。
ある日突然、往来から馬車が姿を消して自動車が走るようになったわけではありません。
しかし、現代のテクノロジーの進化スピードは、人の意識の変化が付いていけないほどに速くなっています。
例えば、人が運転するより自動運転のほうが事故の確率は低くなるという実験検証が、すでに行われているといわれています。
それでも現時点で、「自動運転って便利そう。早く使いたい」と迷いなく言える人は少ないのではないでしょうか。
利便性を期待する以上に、「機械任せは怖い」「バグが起こったら事故になるのでは」といった不安のほうが大きいのだと思います。
インターネットが劇的に競争環境を変えることが分かっていながらも、多くの企業や個人がそれに対応できない。
その根本にも、こうした原因があるのかもしれません。
昔は、1人の人間が大きなテクノロジーの変化を複数回体験するということは、そうそうなかったはずです。
蒸気機関車が誕生したのは19世紀初頭、電車が誕生したのは19世紀末です。
当たり前のように馬車を使っていた人が、蒸気機関車に乗るようになり、電車というテクノロジー変革まで体験するということは少なかったでしょう。
ところが現代のテクノロジーは、5年や10年というスパンで、どんどん進化しています。
現に10数年前には存在すらしなかったスマホの普及率は、すでに72パーセントにも上ります。
テクノロジーの進化スピードは、この先も衰えることはないでしょう。
パソコンよりスマホのほうがずっと速く普及が進んでいることを思えば、衰えないどころか、さらに加速していくとも考えられます。
1人のビジネスパーソンとして考えたとき、かつては新しいテクノロジーが出てきても、普及し切る頃には現役ではなくなっていました。
「最新のものは自分とは関係ない。次の世代にお任せ」でよかったわけです。
しかしいまは違います。
私たち(Gunosy)は創業以来機械学習というテクノロジーを基軸に据えていますが、同時にほかのテクノロジーにも注目し、どう自分たちのビジネスに絡められるかを常に考えています。
「ブロックチェーン」「VR/AR」「音声認識」など、社会を大きく変えていきそうなテクノロジーが、今日も進化しています。
テクノロジーの変化を読み、生かすことができなければ、企業も個人も生き残っていけません。
自分たちが働いている間に大きなテクノロジーの変化が、ポン、ポン、ポン、と複数回起こる。
その度に働き方を変えなかければいけない時代になっています。
それが良い時代となるのか、悪い時代となるのかは個人の捉え方次第なのです。
『センスのいらない経営』SOGO HOREI
現代くらい、日々すさまじい変化が起こる時代はない。
その変化を、ワクワクしながら、「面白い」、「新しいことをもっと知りたい」と思う人もあれば、「とてもついていけない」、「変化が激しすぎる、やってられない」と暗い顔をして言う人もいる。
昔は、変化のスピードがおそかったので、「自分はできない」、「それは若い者にまかせた」などと言っていても、定年まで仕事をまっとうすることができた。
しかし、今はその変化のスピードがあまりに早いため、自分の会社人生の中でその変化は複数回起き、「私は知らない」「できない」などと言っていたら、あっという間に置いていかれ、リストラの憂き目にあう。
だからこそ、普段からITやAIに縁遠い仕事や生活をしている人ほど、新しい技術やデジタル家電や、ガジェットに触れることが必要だ。
たとえば…
最新のスマホやスマートウオッチを買ってみる。
音声認識の「Google Assistant」や「Amazon Alexa」を使ってみる。
SNS等で、とにかく発信してみる。
電子マネーをスマホで使ってみる。
手帳を捨てて、スマホやPCのカレンダーを使ってみる。
紙のメモを捨て、スマホやタブレットやEvernoteを使ってみる。
新聞を紙ではなく、スマホやタブレットで読んでみる。
電話ではなく、ライン電話や、フェイスタイムを使ってみる。
ちなみに、福島氏は、「センスのいらない経営」とは、かつて企業を急成長させた経営者が持っていた「経験知」や「勘」、つまり「センス」でなく、「数字」や「データ」といった、真実だけを告げる指標を正しく見極める力だという。
「テクノロジーの進化スピードは、この先も衰えることはない 」
この大きな変化を、「ワクワクする」「面白くて仕方がない」と感じられる人でありたい。
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今日の言葉 稽古
いまのレベルに安住して足元を固めることばかりに一所懸命になっていたら、
絶対にその先にある地平線は見えてこない
━━━━━━━━━━━━━━
川口 淳一郎(宇宙科学研究所・宇宙飛翔工学研究系教授)
月刊『致知』より
拳立て100回です。
本日、私は湖北道場案件の為に豊橋道場、幼少年少女部、師範稽古共に川合指導員の代稽古となります。
宜しくお願い致します。
押忍 石黒康之
絶対にその先にある地平線は見えてこない
━━━━━━━━━━━━━━
川口 淳一郎(宇宙科学研究所・宇宙飛翔工学研究系教授)
月刊『致知』より
拳立て100回です。
本日、私は湖北道場案件の為に豊橋道場、幼少年少女部、師範稽古共に川合指導員の代稽古となります。
宜しくお願い致します。
押忍 石黒康之
2018年9月27日木曜日
下座行
「下座行で傲慢心は打ち砕かれる」
森信三氏の心に響く言葉より…
人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下座行」というものではないかと思うのです。
たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。
ではここで「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。
そこで、たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間の下につかえて、なんら不安の色を見せないということなども、一種の下座行と言ってよいわけです。
たじろがない信念というものは、かつては自分と同級生であり、否、うっかりすると自分より下級生であった人の前に、頭を下げねばならぬような位置に身をおきながら、しかも従容(しょうよう)として心を動揺せしめないこの下座行の修練によってのみ得られるものだと思います。
また、下級生が、自分の上司となったりした場合、十分にその人に礼を尽くして、昔の関係などはおくびにも出すべきではないのです。
そして相手の現在の身分を立てて、相手に傷のつかないように遇するのです。
こういう心遣いというものは、単にその人の才知才覚などによってできることではありません。
否、なまじい才知は、かような場合かえって変な態度となって、醜(みにく)いものとなりやすいのです。
そこでかような態度は、どうしてもその人が、その人生コースのどこかにおいて、一度は下座の行に服して、人間が真に鍛えられられているんでなければ、とうていできがたいことと言ってよいでしょう。
◇『運命を創る』"「修身教授録」抄・10講" 致知出版社
「こんなに社会的地位にある人間をオレは知っている」、「コイツよりオレのほうが偉いんだ」、と皆の前で横柄に振る舞う人間はあまりに恥ずかしい。
誰もが人から認められたいし、褒めてもらいたい。
自ら「オレは偉いんだ」と主張したところで、誰も認めないし、褒めてもくれない。
かえって傲慢な態度が目立つだけとなる。
下座の修練によってのみ、傲慢心は打ち砕かれる。
下座行をもって、自らを鍛え上げたい。
※【人の心に灯をともす】より
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押忍!
森信三氏の心に響く言葉より…
人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下座行」というものではないかと思うのです。
たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。
ではここで「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。
そこで、たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間の下につかえて、なんら不安の色を見せないということなども、一種の下座行と言ってよいわけです。
たじろがない信念というものは、かつては自分と同級生であり、否、うっかりすると自分より下級生であった人の前に、頭を下げねばならぬような位置に身をおきながら、しかも従容(しょうよう)として心を動揺せしめないこの下座行の修練によってのみ得られるものだと思います。
また、下級生が、自分の上司となったりした場合、十分にその人に礼を尽くして、昔の関係などはおくびにも出すべきではないのです。
そして相手の現在の身分を立てて、相手に傷のつかないように遇するのです。
こういう心遣いというものは、単にその人の才知才覚などによってできることではありません。
否、なまじい才知は、かような場合かえって変な態度となって、醜(みにく)いものとなりやすいのです。
そこでかような態度は、どうしてもその人が、その人生コースのどこかにおいて、一度は下座の行に服して、人間が真に鍛えられられているんでなければ、とうていできがたいことと言ってよいでしょう。
◇『運命を創る』"「修身教授録」抄・10講" 致知出版社
「こんなに社会的地位にある人間をオレは知っている」、「コイツよりオレのほうが偉いんだ」、と皆の前で横柄に振る舞う人間はあまりに恥ずかしい。
誰もが人から認められたいし、褒めてもらいたい。
自ら「オレは偉いんだ」と主張したところで、誰も認めないし、褒めてもくれない。
かえって傲慢な態度が目立つだけとなる。
下座の修練によってのみ、傲慢心は打ち砕かれる。
下座行をもって、自らを鍛え上げたい。
※【人の心に灯をともす】より
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押忍!
2018年9月26日水曜日
悪口
もし何らかの事情で、人との交際を絶たなければ
ならなくなったとしても、決して悪口は言わない。
やむを得ず勤めた会社を退職したとしても、
自分は悪くなかったなどと自己弁護しない。
立派な人とはそういうものであると松陰先生は
教えてくれています。
人の悪口を言わないところからはじめていきましょう。
引用元「吉田松陰から学ぶビジネスマインド」より
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押忍!
ならなくなったとしても、決して悪口は言わない。
やむを得ず勤めた会社を退職したとしても、
自分は悪くなかったなどと自己弁護しない。
立派な人とはそういうものであると松陰先生は
教えてくれています。
人の悪口を言わないところからはじめていきましょう。
引用元「吉田松陰から学ぶビジネスマインド」より
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感謝の気持ち
【ストレスから逃れる最良の方法】
医学博士、石原結實氏の心に響く言葉より…
日常生活の中で、誰もが使う「ストレス」という言葉をつくり、その概念を打ち立てたのは、カナダのハンス・セリエ博士だ。
「心身に負担が加わると、交感神経や副腎が刺激されて、アドレナリンやコルチゾールなどのホルモンが分泌され、血圧や血糖値が上昇する。
これは体が力を出し、外敵や心身への負担と戦おうとする防衛反応であるが、長く続くと病気が発生してくる」
これが、「セリエのストレス学説」である。
このストレスから逃れる最良の方法が「感謝の気持ち」をもつことだ。
セリエ博士は自らガンを患ったが、西洋医学の治療を拒否し、「自分はストレスの多い生涯を送ったから、ストレスをとることで何とかガンを克服したい」と種々の方法を試みた。
最後に「西洋人には希薄だけど、東洋人独特の"感謝の気持ち"をもつことが心を安寧にし、ストレスをとるのに一番大切」と悟り、毎日、周囲の人たち、自然、神、自分の置かれている環境などに「感謝の気持ち」をもって生活したところ、見事にガンを克服できたという。
東京帝国大学医学部出身の塩谷信男医師は、2002年に100歳になられたとき、「100歳だからこそ、伝えたいこと」を上梓(じょうし)された。
その中で「100年生きて言えることは、いつも明るく、前向きに、愚痴をこぼさず感謝の気持ちをもって"こうなるんだ"と断定的に思い込むと、100%実現する」と述べておられる。
私たちは、1人で生きていけるものではなく、自然や周囲の人々の助けの中で生きている、というか生かされている。
よって、自然(太陽、月、空気、水など)や神(造物主)への感謝、父母や先祖への感謝、教え、導いてくださった先生や師匠への感謝、何とか助けてくれ心の支えになっている兄弟姉妹をはじめ、周りの人々への感謝。
そして、周囲の植物や生命がないと思われている物体などにも感謝の念をもつことは、心の安寧をもたらし、副交感神経がよく働いて、ストレスがとれ、白血球の力も増し、病気の予防や改善に役立つことが科学的にも証明されている。
「病気」に罹(かか)った場合、「病気」は私たちのそれまでの生活習慣の誤りを指摘しているのだからと、むしろ「病気」に感謝して、これまでの生活習慣を反省すれば、免疫力が増して、病気は治りやすくなる。
同様に、自分にふりかかってきた「悪い(ように見える)こと」もむしろ「ありがたい」と思うとよいだろう。
「悪いこと」の後は、耐えて努力をしていれば「良いこと」が起こるものだし、「悪いこと」が起こったとき、謙虚に反省すると、これまで自分の至らなかった点もおのずと見えてくるものだ。
ともかく、自暴自棄にならず「人事を尽くして天命をまつ」の心境でたゆまぬ努力をしていれば、必ず事態は好転し、「起こることはすべてよし」「苦あれば楽あり」という結果になるものである。
『死んだらどうなる』ビジネス社
ある雑誌のアンケートによると、日本人の約8割が「日頃ストレスがたまっている」と言っているそうだ。
そのストレスの原因となるものの大半は人間関係だ。
人間関係の問題は、「仕事」「家族」「友人や仲間」「近所や学校や属している組織」等々さまざまなところで、軋轢(あつれき)や摩擦(まさつ)、不協和音が生じ、それがストレスとなる。
五日市剛氏の素敵な言葉がある。
『いつも、心から「幸せだなぁ」と感じられる人には、ある共通項があります。
なんだと思いますか。
それは、「たくさん感謝している」ということです。
幸せなことがあるから、感謝しているのではありません。
感謝しているから、「幸せだなぁ」と感じられるんですね』
「ありがとうの習慣がある人は、そうでない人とくらべてストレスホルモン(コルチゾール)の分泌が23%少ない」という調査の結果がある。
「ありがとう」の習慣を身につけたい。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
http://www.facebook.com/hitonokokoro
■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
http://ameblo.jp/hiroo117/
医学博士、石原結實氏の心に響く言葉より…
日常生活の中で、誰もが使う「ストレス」という言葉をつくり、その概念を打ち立てたのは、カナダのハンス・セリエ博士だ。
「心身に負担が加わると、交感神経や副腎が刺激されて、アドレナリンやコルチゾールなどのホルモンが分泌され、血圧や血糖値が上昇する。
これは体が力を出し、外敵や心身への負担と戦おうとする防衛反応であるが、長く続くと病気が発生してくる」
これが、「セリエのストレス学説」である。
このストレスから逃れる最良の方法が「感謝の気持ち」をもつことだ。
セリエ博士は自らガンを患ったが、西洋医学の治療を拒否し、「自分はストレスの多い生涯を送ったから、ストレスをとることで何とかガンを克服したい」と種々の方法を試みた。
最後に「西洋人には希薄だけど、東洋人独特の"感謝の気持ち"をもつことが心を安寧にし、ストレスをとるのに一番大切」と悟り、毎日、周囲の人たち、自然、神、自分の置かれている環境などに「感謝の気持ち」をもって生活したところ、見事にガンを克服できたという。
東京帝国大学医学部出身の塩谷信男医師は、2002年に100歳になられたとき、「100歳だからこそ、伝えたいこと」を上梓(じょうし)された。
その中で「100年生きて言えることは、いつも明るく、前向きに、愚痴をこぼさず感謝の気持ちをもって"こうなるんだ"と断定的に思い込むと、100%実現する」と述べておられる。
私たちは、1人で生きていけるものではなく、自然や周囲の人々の助けの中で生きている、というか生かされている。
よって、自然(太陽、月、空気、水など)や神(造物主)への感謝、父母や先祖への感謝、教え、導いてくださった先生や師匠への感謝、何とか助けてくれ心の支えになっている兄弟姉妹をはじめ、周りの人々への感謝。
そして、周囲の植物や生命がないと思われている物体などにも感謝の念をもつことは、心の安寧をもたらし、副交感神経がよく働いて、ストレスがとれ、白血球の力も増し、病気の予防や改善に役立つことが科学的にも証明されている。
「病気」に罹(かか)った場合、「病気」は私たちのそれまでの生活習慣の誤りを指摘しているのだからと、むしろ「病気」に感謝して、これまでの生活習慣を反省すれば、免疫力が増して、病気は治りやすくなる。
同様に、自分にふりかかってきた「悪い(ように見える)こと」もむしろ「ありがたい」と思うとよいだろう。
「悪いこと」の後は、耐えて努力をしていれば「良いこと」が起こるものだし、「悪いこと」が起こったとき、謙虚に反省すると、これまで自分の至らなかった点もおのずと見えてくるものだ。
ともかく、自暴自棄にならず「人事を尽くして天命をまつ」の心境でたゆまぬ努力をしていれば、必ず事態は好転し、「起こることはすべてよし」「苦あれば楽あり」という結果になるものである。
『死んだらどうなる』ビジネス社
ある雑誌のアンケートによると、日本人の約8割が「日頃ストレスがたまっている」と言っているそうだ。
そのストレスの原因となるものの大半は人間関係だ。
人間関係の問題は、「仕事」「家族」「友人や仲間」「近所や学校や属している組織」等々さまざまなところで、軋轢(あつれき)や摩擦(まさつ)、不協和音が生じ、それがストレスとなる。
五日市剛氏の素敵な言葉がある。
『いつも、心から「幸せだなぁ」と感じられる人には、ある共通項があります。
なんだと思いますか。
それは、「たくさん感謝している」ということです。
幸せなことがあるから、感謝しているのではありません。
感謝しているから、「幸せだなぁ」と感じられるんですね』
「ありがとうの習慣がある人は、そうでない人とくらべてストレスホルモン(コルチゾール)の分泌が23%少ない」という調査の結果がある。
「ありがとう」の習慣を身につけたい。
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押忍!
今日の言葉 稽古
悲しむということは、笑うことと同じように大事なこと。
本当の幸福を手にするためには、
そういうところにも目を向けなければなりません
━━━━━━━━━━━━━━
五木寛之(作家)
月刊『致知』10月号「人生の法則」【最新号】より
拳立て九十九回です。
本日、私は予定通りに豊橋道場、幼少年少女部、豊川道場、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
本当の幸福を手にするためには、
そういうところにも目を向けなければなりません
━━━━━━━━━━━━━━
五木寛之(作家)
月刊『致知』10月号「人生の法則」【最新号】より
拳立て九十九回です。
本日、私は予定通りに豊橋道場、幼少年少女部、豊川道場、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
2018年9月25日火曜日
無欲は大欲である
「無欲は大欲である」
大山倍達総裁(極真空手創始者)は以下の西郷隆盛先生のお言葉を引用しながら、
会館朝礼や内弟子稽古の時に仰っておられました。
「無欲は大欲である。」
大山倍達総裁
この歳(48歳)になり、
総裁の真意の程が朧げながらですが気付き始めることが出来てきた様な気が致します。
(あくまでも私なりの解釈ですが、、^^;)
押忍 石黒康之
***
命もいらず名もいらず
官位も金もいらぬ人は
仕抹(しまつ)に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは
艱難(かんなん)を共にして
国家の大業は成し得られぬなり
西郷隆盛
──月刊『致知』より
押忍!
大山倍達総裁(極真空手創始者)は以下の西郷隆盛先生のお言葉を引用しながら、
会館朝礼や内弟子稽古の時に仰っておられました。
「無欲は大欲である。」
大山倍達総裁
この歳(48歳)になり、
総裁の真意の程が朧げながらですが気付き始めることが出来てきた様な気が致します。
(あくまでも私なりの解釈ですが、、^^;)
押忍 石黒康之
***
命もいらず名もいらず
官位も金もいらぬ人は
仕抹(しまつ)に困るもの也。
此の仕抹に困る人ならでは
艱難(かんなん)を共にして
国家の大業は成し得られぬなり
西郷隆盛
──月刊『致知』より
押忍!
今日の言葉 稽古
能力の差は五倍、やる気の差は百倍の結果を出す
━━━━━━━━━━━━━━
門川大作(京都市長)
月刊『致知』より
拳立て九十八回です。
本日、私は予定通りに浜松大蒲道場、幼少年少女部、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
━━━━━━━━━━━━━━
門川大作(京都市長)
月刊『致知』より
拳立て九十八回です。
本日、私は予定通りに浜松大蒲道場、幼少年少女部、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
時代はいつも曲り角にさしかかっている
人の心に灯をともす より
【明治維新を成し遂げた日本人のDNA】
渡部昇一氏の心に響く言葉より…
世の中の変化なんて気にするなと言われても、変化に乗れない人を落伍者とするかのような論調が跋扈(ばっこ)する中、そう簡単にはいかないのかもしれない。
ならば、自分たちの祖先たちは時代の波をどう乗り越えてきたか振り返ってみてはどうだろうか。
戦後の歴史教育は日本人の功績に重きを置かないようにできているが、過去の実績を見れば、日本人の変化に対する優れた対処能力は一目瞭然である。
その最たる例は、やはり明治維新だろう。
当時、西洋の近代文明を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の物にせんとした有色人種国は、日本だけである。
島が動くかのごとき巨大な黒船に彼らは仰天したが、すぐに恐怖心より好奇心が優(まさ)ってしまった。
現に、黒船の乗務員の一人は、船にやってきた日本人たちについて「これほど何にでも触れたがる人種は初めて見た」と、なかば呆(あき)れ気味に書き残している。
さぞかし驚くだろうといろいろな機械を見せるのだが、見たこともないものを次々と目にした日本人は片っ端から触りまくり、中には懐紙(かいし)を出してスケッチを始める者までいたそうだ。
もちろん、最後まで旧時代の「文武」と「農」にこだわった西郷隆盛のように、急激な変化に馴染(なじ)めなかった人もたくさんいた。
しかし、総じて見れば、日本人は変化を受け入れるのが非常にうまい。
中国やインドといった過去の優れた文明国までが白人諸国に屈したことを考えれば、驚異的と言っていいだろう。
その後、日本は日清戦争、日露戦争と二度も大きな戦争に勝ち、民主主義も独自に発展させた。
また、太平洋戦争では完膚(かんぷ)無きまでに潰されたが、戦後すぐさまアメリカに飛んだ日本の産業人が先頭となって奇跡的な経済復興を遂げた。
この奇跡の復興は、のちのち120ヵ国にも上る世界中の発展途上国の手本となった。
というのも、いちはやく日本型システムを導入した台湾や韓国が揃って成功したからである。
日本の成功だけならば、日本は別格と片づけられていたかもしれない。
しかし、旧日本領であったほかの国まで日本にならって成功したとなれば、「ならば我らも」とばかりに多くの国が続くのは、自然な流れと言えよう。
日本は戦争に負けたが、その後半世紀あまりをかけて世界のトップに躍り出たのだ。
そして、すべては、日本人が時代の変化に臆せず、自然科学でも産業でも、あるいは政治制度でも、優れたものは積極的に取り入れようという画期的なことをしてのけた結果である。
今は変化の時代だ。
乗り遅れるなとマスコミなどは騒ぎ立てるが、それほど心配することではない。
急激な変化と言っても、明治維新や敗戦に比べれば、たいしたことはないのだ。
『人生の手引き書』扶桑社新書
渡部昇一氏は、こう語る(同書より)。
『私が学生のころ、ふとしたきっかけで「音楽界は今、大きな曲り角にさしかかっている」と言うラジオ放送を耳にしたことがある。
そのときはなんとはなしに聞き流したのだが、それから30年あまり後、今度もラジオで「音楽界は大きな曲り角にさしかかっている」と言うのを聞いた。
そうすると、2、30年もの間、音楽界は常に曲り角にあったということである。
屁理屈だと思うかもしれないが、これは、ある意味で、時代というものの核心をついていると思う。
直線の時期など、皆無に等しいのではないか。
時代はいつも曲り続けているのだから、いたずらに変化を恐れても仕方のないことだ。
どっしり構えて適応する力を養い続けていればいいのである』
新聞や各社の年頭のあいさつを読むと、20年前も、10年前も、そして今年も同じように、昨年一年間は「激動の年」「大きな事件があった」「経済環境はますます厳しい」「不透明な時代」「大きな変化」と書いてある。
まさに、「時代は大きな曲り角さしかかっている」と。
いつの時代も大きな変化がある。
そして、今もそれは続いている。
ITもAIもロボットも、過去何百年に一度の大変化と言われている。
「時代はいつも曲り角にさしかかっている」
明治維新を成し遂げた日本人のDNAを思い起こし…
好奇心を持ち、面白がるくらいの気持ちで、これを乗り切りたい。
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【明治維新を成し遂げた日本人のDNA】
渡部昇一氏の心に響く言葉より…
世の中の変化なんて気にするなと言われても、変化に乗れない人を落伍者とするかのような論調が跋扈(ばっこ)する中、そう簡単にはいかないのかもしれない。
ならば、自分たちの祖先たちは時代の波をどう乗り越えてきたか振り返ってみてはどうだろうか。
戦後の歴史教育は日本人の功績に重きを置かないようにできているが、過去の実績を見れば、日本人の変化に対する優れた対処能力は一目瞭然である。
その最たる例は、やはり明治維新だろう。
当時、西洋の近代文明を自家薬籠中(じかやくろうちゅう)の物にせんとした有色人種国は、日本だけである。
島が動くかのごとき巨大な黒船に彼らは仰天したが、すぐに恐怖心より好奇心が優(まさ)ってしまった。
現に、黒船の乗務員の一人は、船にやってきた日本人たちについて「これほど何にでも触れたがる人種は初めて見た」と、なかば呆(あき)れ気味に書き残している。
さぞかし驚くだろうといろいろな機械を見せるのだが、見たこともないものを次々と目にした日本人は片っ端から触りまくり、中には懐紙(かいし)を出してスケッチを始める者までいたそうだ。
もちろん、最後まで旧時代の「文武」と「農」にこだわった西郷隆盛のように、急激な変化に馴染(なじ)めなかった人もたくさんいた。
しかし、総じて見れば、日本人は変化を受け入れるのが非常にうまい。
中国やインドといった過去の優れた文明国までが白人諸国に屈したことを考えれば、驚異的と言っていいだろう。
その後、日本は日清戦争、日露戦争と二度も大きな戦争に勝ち、民主主義も独自に発展させた。
また、太平洋戦争では完膚(かんぷ)無きまでに潰されたが、戦後すぐさまアメリカに飛んだ日本の産業人が先頭となって奇跡的な経済復興を遂げた。
この奇跡の復興は、のちのち120ヵ国にも上る世界中の発展途上国の手本となった。
というのも、いちはやく日本型システムを導入した台湾や韓国が揃って成功したからである。
日本の成功だけならば、日本は別格と片づけられていたかもしれない。
しかし、旧日本領であったほかの国まで日本にならって成功したとなれば、「ならば我らも」とばかりに多くの国が続くのは、自然な流れと言えよう。
日本は戦争に負けたが、その後半世紀あまりをかけて世界のトップに躍り出たのだ。
そして、すべては、日本人が時代の変化に臆せず、自然科学でも産業でも、あるいは政治制度でも、優れたものは積極的に取り入れようという画期的なことをしてのけた結果である。
今は変化の時代だ。
乗り遅れるなとマスコミなどは騒ぎ立てるが、それほど心配することではない。
急激な変化と言っても、明治維新や敗戦に比べれば、たいしたことはないのだ。
『人生の手引き書』扶桑社新書
渡部昇一氏は、こう語る(同書より)。
『私が学生のころ、ふとしたきっかけで「音楽界は今、大きな曲り角にさしかかっている」と言うラジオ放送を耳にしたことがある。
そのときはなんとはなしに聞き流したのだが、それから30年あまり後、今度もラジオで「音楽界は大きな曲り角にさしかかっている」と言うのを聞いた。
そうすると、2、30年もの間、音楽界は常に曲り角にあったということである。
屁理屈だと思うかもしれないが、これは、ある意味で、時代というものの核心をついていると思う。
直線の時期など、皆無に等しいのではないか。
時代はいつも曲り続けているのだから、いたずらに変化を恐れても仕方のないことだ。
どっしり構えて適応する力を養い続けていればいいのである』
新聞や各社の年頭のあいさつを読むと、20年前も、10年前も、そして今年も同じように、昨年一年間は「激動の年」「大きな事件があった」「経済環境はますます厳しい」「不透明な時代」「大きな変化」と書いてある。
まさに、「時代は大きな曲り角さしかかっている」と。
いつの時代も大きな変化がある。
そして、今もそれは続いている。
ITもAIもロボットも、過去何百年に一度の大変化と言われている。
「時代はいつも曲り角にさしかかっている」
明治維新を成し遂げた日本人のDNAを思い起こし…
好奇心を持ち、面白がるくらいの気持ちで、これを乗り切りたい。
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押忍!
貯金よりも貯徳
日本一の大投資家ともいわれた"竹田和平"さんの「貯金よりも貯徳が大事」というお話です。
_______
「貯金よりも貯徳が大事なんだがね。
お金は来世に持っていけないけどね、今世で積んだ徳は来世に役立つんだがね。
だから私は来世の為に魂磨きしとるんだがね。
来世もいい思いしたいからね。
目先の利益の為に原価を削ったり、自分が儲ける為にお客さんに損をさせるとか、税金を節税する為にいろいろするとか、そういうのは人間にはわからないかもしれないけどね、全ておてんとさまがみとるがね」
私は株式投資トレーダーとして和平さんから大金持ちになる秘訣を聞きたいと思っていた時、和平さんにこう質問したことがありました。
「なぜもう十分なお金も名声もある和平さんが心の勉強会などをこんな安い参加費でしているのですか?」と。
和平さんの答えは「来世の為に魂磨きをしているだがね」ということでした。
そして「大金持ちになる秘訣は何ですか?」とも質問しましたが、和平さんの答えは「私と同年の経営者もたくさんいるけどね、彼らに言われたのは『竹田君は税金を払う勇気があった』ということだね。
私は税金をできるだけ多く払おうとしてきた。
すると神様が豊かさを与えてくれるんだがね」とビジネスや投資のテクニックではなく天地宇宙の法則こそが普遍であるということを教えていただきました。
株式会社自己実現 代表取締役社長 大谷 正光
竹田和平の人生訓
竹田和平 著
致知出版社
_______
和平さんは以前、「月刊致知」のインタビューでこのように述べていました。
___
私は人生で一番大事なことの一つは、自己実現をすることだと思います。
では、自己実現はどうしたらできるか。
それも自己実現で人が喜ぶものでなければなりません。
皆に喜んでもらいながら自己実現をする、ということは、わかりやすく言うと、花咲爺さんになることです。
花咲爺さんは自然の法則通りに生き、「ここ掘れワンワン」と素直にやっていたから最終的に希望通りの花を咲かすことができたのです。
要するに素直になると、天がついてくるんです。
私はそれを「わくわくして生きると天がついてくるよ」という言い方をしています。
では、わくわくして生きるとはどういうことか。
人にはそれぞれ天命みたいなものがあって、
その天命とアクセスしてわくわくすると、物事は容易にスムーズに動くし、もう乗っかっているだけで、皆万事うまくいくのです。
そうなると自己実現は誠に簡単で、何の苦労も要らないし、わくわく楽しみながら自己実現ができるんです。
わくわくしているということは、それが天命であるということだから、何事もわくわく感動することができれば、絶対にうまくいくんです。
___
そして、仕事に対してはこう述べております。
「世の中は因果応報です。
人に与えたものが返ってくるんです。
だから自分が楽しみたかったら人のために働けばいい。
そういうことでしか楽しめないように、人間はできているんです。
働くとは他を楽にさせる『他楽(はたらく)』ことだといいます。
他を楽しませると自分に楽しい事が返ってくる。
仕事の本質はそれです」
さらに、お金は無尽蔵に増えるとも!
「お金っていうのはね、喜ばせたら増えるんだわ。
目の前のお客さんを喜ばせたいと思って喜ばせたら、今度は目の前のお客さんが払いたいって、喜んでよーけ払ってくれるがね。
そのお金をもらうときはどう思う?
こっちも嬉しくって、もっと喜ばせたいと思うがね。
そしたらもっと払ってくれるね。
そしたら、あっちでも、こっちでも、そっちでもドンドン嬉しくなって喜ばせることを止められなくなるねぇ。
だから、お金は無尽蔵に増えよるがね」
シンプルですね♪
「喜んでいただけるようにワクワクしながら頑張って、喜んでいただけたならもっと喜んでいただくにはどうしたらいいかとワクワクする」ですね(^^♪
※魂がふるえる話より
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押忍!
_______
「貯金よりも貯徳が大事なんだがね。
お金は来世に持っていけないけどね、今世で積んだ徳は来世に役立つんだがね。
だから私は来世の為に魂磨きしとるんだがね。
来世もいい思いしたいからね。
目先の利益の為に原価を削ったり、自分が儲ける為にお客さんに損をさせるとか、税金を節税する為にいろいろするとか、そういうのは人間にはわからないかもしれないけどね、全ておてんとさまがみとるがね」
私は株式投資トレーダーとして和平さんから大金持ちになる秘訣を聞きたいと思っていた時、和平さんにこう質問したことがありました。
「なぜもう十分なお金も名声もある和平さんが心の勉強会などをこんな安い参加費でしているのですか?」と。
和平さんの答えは「来世の為に魂磨きをしているだがね」ということでした。
そして「大金持ちになる秘訣は何ですか?」とも質問しましたが、和平さんの答えは「私と同年の経営者もたくさんいるけどね、彼らに言われたのは『竹田君は税金を払う勇気があった』ということだね。
私は税金をできるだけ多く払おうとしてきた。
すると神様が豊かさを与えてくれるんだがね」とビジネスや投資のテクニックではなく天地宇宙の法則こそが普遍であるということを教えていただきました。
株式会社自己実現 代表取締役社長 大谷 正光
竹田和平の人生訓
竹田和平 著
致知出版社
_______
和平さんは以前、「月刊致知」のインタビューでこのように述べていました。
___
私は人生で一番大事なことの一つは、自己実現をすることだと思います。
では、自己実現はどうしたらできるか。
それも自己実現で人が喜ぶものでなければなりません。
皆に喜んでもらいながら自己実現をする、ということは、わかりやすく言うと、花咲爺さんになることです。
花咲爺さんは自然の法則通りに生き、「ここ掘れワンワン」と素直にやっていたから最終的に希望通りの花を咲かすことができたのです。
要するに素直になると、天がついてくるんです。
私はそれを「わくわくして生きると天がついてくるよ」という言い方をしています。
では、わくわくして生きるとはどういうことか。
人にはそれぞれ天命みたいなものがあって、
その天命とアクセスしてわくわくすると、物事は容易にスムーズに動くし、もう乗っかっているだけで、皆万事うまくいくのです。
そうなると自己実現は誠に簡単で、何の苦労も要らないし、わくわく楽しみながら自己実現ができるんです。
わくわくしているということは、それが天命であるということだから、何事もわくわく感動することができれば、絶対にうまくいくんです。
___
そして、仕事に対してはこう述べております。
「世の中は因果応報です。
人に与えたものが返ってくるんです。
だから自分が楽しみたかったら人のために働けばいい。
そういうことでしか楽しめないように、人間はできているんです。
働くとは他を楽にさせる『他楽(はたらく)』ことだといいます。
他を楽しませると自分に楽しい事が返ってくる。
仕事の本質はそれです」
さらに、お金は無尽蔵に増えるとも!
「お金っていうのはね、喜ばせたら増えるんだわ。
目の前のお客さんを喜ばせたいと思って喜ばせたら、今度は目の前のお客さんが払いたいって、喜んでよーけ払ってくれるがね。
そのお金をもらうときはどう思う?
こっちも嬉しくって、もっと喜ばせたいと思うがね。
そしたらもっと払ってくれるね。
そしたら、あっちでも、こっちでも、そっちでもドンドン嬉しくなって喜ばせることを止められなくなるねぇ。
だから、お金は無尽蔵に増えよるがね」
シンプルですね♪
「喜んでいただけるようにワクワクしながら頑張って、喜んでいただけたならもっと喜んでいただくにはどうしたらいいかとワクワクする」ですね(^^♪
※魂がふるえる話より
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2018年9月24日月曜日
今日の言葉 稽古
努力しようとして努力するというのは、本当にいいことではありません。
努力を忘れて努力する、これが本当にやるべきことなのです
━━━━━━━━━━━━━━
幸田露伴(小説家)
『努力論』より
拳立て九十七回です。
本日は秋分の日振替休日の為に全道場お休み休館となります。
宜しくお願い致します(^^)
押忍 石黒康之
努力を忘れて努力する、これが本当にやるべきことなのです
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幸田露伴(小説家)
『努力論』より
拳立て九十七回です。
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押忍 石黒康之
【病気によって手に入れたもの】
トランスフォーメショナル・コーチ、梯谷幸司氏の心に響く言葉より…
病気がなかなか治らないのは、病気を敵と見なしているケース以外に、病気によってせっかく手に入れたものを失いたくないというケースもあります。
たとえば、病気になったことで、「親やパートナー、子どもがやさしく接してくれるようになった」、病気であることで、「親の介護や会社のやりたくない仕事から解放された」というような状況です。
病気が治ってしまうと、こうした居心地のよい関係性や状況を失いかねません。
その喪失に対する無意識の恐れから、表の意識では、「病気を治したい」「健康になりたい」と思っていても、無意識のレベルでは、「病気が治っては困る」と判断しているのです。
つまり本人が「やりたくて」病気をやっているわけです。
こうなると、いつまでたっても病気は治りません。
本気で病気をやめるには、病気が治ることで好ましい関係性や状況を失う覚悟を本人ができるか否かが重要です。
病気によってつなぎ留めていた喜ばしい関係、病気が理由で手に入った快適な環境…。
そうした心地よさを手放す決断ができるかが、カギを握るのです。
そもそも病気になっているということは、好ましい関係性や状況と感じていることが、実は、その人本来の生きる目的や本当の自分からズレている、ということです。
そこにしがみついたところで、真の幸福感は得られません。
そのことがわかってくると、クライアントたちは変化しはじめます。
結果として、病気を長引かせている原因だった関係性や状況を手放すことを、受け入れられるようになるのです。
それにともない、病気もだんだんと消えていきます。
末期の乳がんになったクライアント(女性・20代)のケースです。
彼女の夫は、彼女の友達と恋愛関係になり、いつしかその女性と半同棲するまでの仲へと進展。
家にもときどきしか帰ってこなくなったといいます。
そんなとき、彼女は乳がんを発症します。
検査で見つかったときには、ステージ4まで進行していました。
彼女は私の存在を知り、セッションを受けはじめたのですが、私はスタート時点で彼女に次のように言いました。
「ご主人と今すぐ別れてください。そうしないと、がんをやめることはできません」
なぜなら、最初に話を聞いた瞬間、彼女は乳がんという病気をやっている原因が夫との関係にあると感じたからです。
つまり彼女は、自分から気持ちの離れた夫を取り戻すために、乳がんをやりはじめたのです。
そして、本気で乳がんをやめるには、夫との関係を断ち切る以外に方法はなかったのです。
彼女は私のこの提案を受け入れ、夫と暮らしていた家を出て、一人暮らしをはじめました。
私とのセッションを通じて、自分にとって本当の生きる目的は何かを彼女は探りつづけました。
その目的が徐々に見えてくるなかで、自分の生きる目的に向かって生きていくのに、この夫にこだわりつづけて時間を無駄にするわけにはいかない、と彼女はようやく気づいたのです。
その後、彼女の乳がんは半減しました。
がんにともなうさまざまな不調も、順調に改善していっているそうです。
《病気であればこそ手に入る、「心地よいメリット」に甘えていませんか?》
『本当の自分に出会えば、病気は消えていく』三笠書房
梯谷氏は本書の中でこう語る。
『昔から、「病は気から」という言葉があります。
「気持ちの持ちようで、病気は重くも軽くもなる」という意味を表しています。
アメリカの精神分析学者であり、かつ医学博士のフランツ・アレクサンダーに、次のような言葉があります。
「生物学や医学の分野においては無視されているものの、心が体を支配するという事実は、われわれが日々の生活の中で体得しているもっとも基本的な事柄である」』
病気は体からのメッセージだと言われる。
そして、その体を支配しているのが心。
もし、病気になってしまったら、そこに何か意味があると考えてみる必要がある。
そのことによって(病気になって)、手に入れたものは何か、と。
「自分の本当の生きる目的は何か」を問うことにより、
さまざまなしがらみや執着を捨て、真の意味の健康を取り戻したい。
■「人の心に灯をともす」のfacebookページです♪
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■【人の心に灯をともす】のブログはこちら
http://ameblo.jp/hiroo117/
トランスフォーメショナル・コーチ、梯谷幸司氏の心に響く言葉より…
病気がなかなか治らないのは、病気を敵と見なしているケース以外に、病気によってせっかく手に入れたものを失いたくないというケースもあります。
たとえば、病気になったことで、「親やパートナー、子どもがやさしく接してくれるようになった」、病気であることで、「親の介護や会社のやりたくない仕事から解放された」というような状況です。
病気が治ってしまうと、こうした居心地のよい関係性や状況を失いかねません。
その喪失に対する無意識の恐れから、表の意識では、「病気を治したい」「健康になりたい」と思っていても、無意識のレベルでは、「病気が治っては困る」と判断しているのです。
つまり本人が「やりたくて」病気をやっているわけです。
こうなると、いつまでたっても病気は治りません。
本気で病気をやめるには、病気が治ることで好ましい関係性や状況を失う覚悟を本人ができるか否かが重要です。
病気によってつなぎ留めていた喜ばしい関係、病気が理由で手に入った快適な環境…。
そうした心地よさを手放す決断ができるかが、カギを握るのです。
そもそも病気になっているということは、好ましい関係性や状況と感じていることが、実は、その人本来の生きる目的や本当の自分からズレている、ということです。
そこにしがみついたところで、真の幸福感は得られません。
そのことがわかってくると、クライアントたちは変化しはじめます。
結果として、病気を長引かせている原因だった関係性や状況を手放すことを、受け入れられるようになるのです。
それにともない、病気もだんだんと消えていきます。
末期の乳がんになったクライアント(女性・20代)のケースです。
彼女の夫は、彼女の友達と恋愛関係になり、いつしかその女性と半同棲するまでの仲へと進展。
家にもときどきしか帰ってこなくなったといいます。
そんなとき、彼女は乳がんを発症します。
検査で見つかったときには、ステージ4まで進行していました。
彼女は私の存在を知り、セッションを受けはじめたのですが、私はスタート時点で彼女に次のように言いました。
「ご主人と今すぐ別れてください。そうしないと、がんをやめることはできません」
なぜなら、最初に話を聞いた瞬間、彼女は乳がんという病気をやっている原因が夫との関係にあると感じたからです。
つまり彼女は、自分から気持ちの離れた夫を取り戻すために、乳がんをやりはじめたのです。
そして、本気で乳がんをやめるには、夫との関係を断ち切る以外に方法はなかったのです。
彼女は私のこの提案を受け入れ、夫と暮らしていた家を出て、一人暮らしをはじめました。
私とのセッションを通じて、自分にとって本当の生きる目的は何かを彼女は探りつづけました。
その目的が徐々に見えてくるなかで、自分の生きる目的に向かって生きていくのに、この夫にこだわりつづけて時間を無駄にするわけにはいかない、と彼女はようやく気づいたのです。
その後、彼女の乳がんは半減しました。
がんにともなうさまざまな不調も、順調に改善していっているそうです。
《病気であればこそ手に入る、「心地よいメリット」に甘えていませんか?》
『本当の自分に出会えば、病気は消えていく』三笠書房
梯谷氏は本書の中でこう語る。
『昔から、「病は気から」という言葉があります。
「気持ちの持ちようで、病気は重くも軽くもなる」という意味を表しています。
アメリカの精神分析学者であり、かつ医学博士のフランツ・アレクサンダーに、次のような言葉があります。
「生物学や医学の分野においては無視されているものの、心が体を支配するという事実は、われわれが日々の生活の中で体得しているもっとも基本的な事柄である」』
病気は体からのメッセージだと言われる。
そして、その体を支配しているのが心。
もし、病気になってしまったら、そこに何か意味があると考えてみる必要がある。
そのことによって(病気になって)、手に入れたものは何か、と。
「自分の本当の生きる目的は何か」を問うことにより、
さまざまなしがらみや執着を捨て、真の意味の健康を取り戻したい。
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