明日から10月、今年もあと3ヶ月、
悔いのない様に2023年度を締め括らねば、、それにしても暑いなぁ〜笑
押忍
2023年9月30日土曜日
2023年9月29日金曜日
2023年9月28日木曜日
江戸時代以降、世界一の識字率を誇る日本!
日本の識字率は極めて高い。
戦後まもなく米国CIE(民間情報教育局)の指示で識字率調査が行われた。
だが、その後70年以上にわたって国内では識字に関する本格的な調査は行われていないが、現在、ほぼ100%だと言われている。
江戸時代の江戸庶民の識字率は60%以上。
貴族や武士に至っては、ほぼ100パーセントの識字率だった。
当時ロンドンが20%、パリが10%程度だったことを考えると驚異的な数字だ。
この数字を見れば当時の寺子屋制度が、どれほど有意義に機能していたかが分かる。
さて
第二次世界大戦敗戦後の占領下(昭和20年)、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの要請により、アメリカ教育使節団が来日した。
その頃、彼らは日本の識字率が連合国より優れているとは思っていなかった。
使節団は日本を視察し、報告書で「日本語は漢字やかなを使わず、ローマ字にせよ」と勧告した。
「ローマ字による表記の統一化は、識字率を高めるので、民主主義を増進できる」というのが、彼らの建前だった。
その後CIE(民間情報教育局) は「日本語のローマ字化」を実行するにあたり、日本人が、どれくらい漢字の読み書きができるか実態調査を行なった。
日本人の老若男女、都市農村をくまなく(15歳~64歳、270ヶ所、17100人)網羅してテストした。
テストの結果、日本人は97.9%という高い識字率を誇っていることが判明した。
CIEはこの結果に驚愕し、日本の教育水準の高さに感嘆した。
なんと、当時、連合国の中で、ここまでの高い識字率を誇る国はなかったのだ。
この結果から、日本人の識字率の低さを理由に「日本語のローマ字化計画」は、残念せざるをえなくなり、この企みは潰えた。
これは日本人の圧倒的な識字率の高さにより、日本人が自ら日本語を守ったという歴史上の真実である。
この他、占領中GHQは日本人洗脳(日本がアメリカを再び敵視し刃向わないように)のために、様々なことを計画実行したが、実現されなかったのが、「日本語のローマ字化」と「天皇制解体」だった。
当時、GHQは日本弱体化計画の中で、この2つが実現することが出来なかったのは、ある意味「奇跡」と言っても良い。
日本人は神様に守られていると確信している。
識字率の高さは国民の民度の高さや、国格の高さに直結する。
私達は先人に守られている。
(神友)
Facebookよりシェアさせていただきました。
日本の識字率は極めて高い。
戦後まもなく米国CIE(民間情報教育局)の指示で識字率調査が行われた。
だが、その後70年以上にわたって国内では識字に関する本格的な調査は行われていないが、現在、ほぼ100%だと言われている。
江戸時代の江戸庶民の識字率は60%以上。
貴族や武士に至っては、ほぼ100パーセントの識字率だった。
当時ロンドンが20%、パリが10%程度だったことを考えると驚異的な数字だ。
この数字を見れば当時の寺子屋制度が、どれほど有意義に機能していたかが分かる。
さて
第二次世界大戦敗戦後の占領下(昭和20年)、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーの要請により、アメリカ教育使節団が来日した。
その頃、彼らは日本の識字率が連合国より優れているとは思っていなかった。
使節団は日本を視察し、報告書で「日本語は漢字やかなを使わず、ローマ字にせよ」と勧告した。
「ローマ字による表記の統一化は、識字率を高めるので、民主主義を増進できる」というのが、彼らの建前だった。
その後CIE(民間情報教育局) は「日本語のローマ字化」を実行するにあたり、日本人が、どれくらい漢字の読み書きができるか実態調査を行なった。
日本人の老若男女、都市農村をくまなく(15歳~64歳、270ヶ所、17100人)網羅してテストした。
テストの結果、日本人は97.9%という高い識字率を誇っていることが判明した。
CIEはこの結果に驚愕し、日本の教育水準の高さに感嘆した。
なんと、当時、連合国の中で、ここまでの高い識字率を誇る国はなかったのだ。
この結果から、日本人の識字率の低さを理由に「日本語のローマ字化計画」は、残念せざるをえなくなり、この企みは潰えた。
これは日本人の圧倒的な識字率の高さにより、日本人が自ら日本語を守ったという歴史上の真実である。
この他、占領中GHQは日本人洗脳(日本がアメリカを再び敵視し刃向わないように)のために、様々なことを計画実行したが、実現されなかったのが、「日本語のローマ字化」と「天皇制解体」だった。
当時、GHQは日本弱体化計画の中で、この2つが実現することが出来なかったのは、ある意味「奇跡」と言っても良い。
日本人は神様に守られていると確信している。
識字率の高さは国民の民度の高さや、国格の高さに直結する。
私達は先人に守られている。
(神友)
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2023年9月27日水曜日
「下座行で傲慢心は打ち砕かれる」
森信三氏の心に響く言葉より…
人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下座行」というものではないかと思うのです。
たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。
ではここで「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。
そこで、たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間の下につかえて、なんら不安の色を見せないということなども、一種の下座行と言ってよいわけです。
たじろがない信念というものは、かつては自分と同級生であり、否、うっかりすると自分より下級生であった人の前に、頭を下げねばならぬような位置に身をおきながら、しかも従容(しょうよう)として心を動揺せしめないこの下座行の修練によってのみ得られるものだと思います。
また、下級生が、自分の上司となったりした場合、十分にその人に礼を尽くして、昔の関係などはおくびにも出すべきではないのです。
そして相手の現在の身分を立てて、相手に傷のつかないように遇するのです。
こういう心遣いというものは、単にその人の才知才覚などによってできることではありません。
否、なまじい才知は、かような場合かえって変な態度となって、醜(みにく)いものとなりやすいのです。
そこでかような態度は、どうしてもその人が、その人生コースのどこかにおいて、一度は下座の行に服して、人間が真に鍛えられられているんでなければ、とうていできがたいことと言ってよいでしょう。
◇『運命を創る』"「修身教授録」抄・10講" 致知出版社
「こんなに社会的地位にある人間をオレは知っている」、「コイツよりオレのほうが偉いんだ」、と皆の前で横柄に振る舞う人間はあまりに恥ずかしい。
誰もが人から認められたいし、褒めてもらいたい。
自ら「オレは偉いんだ」と主張したところで、誰も認めないし、褒めてもくれない。
かえって傲慢な態度が目立つだけとなる。
下座の修練によってのみ、傲慢心は打ち砕かれる。
下座行をもって、自らを鍛え上げたい。
※【人の心に灯をともす】より
森信三氏の心に響く言葉より…
人間を鍛えていく土台は、一体どういうものかというに、私はそれは「下座行」というものではないかと思うのです。
たとえその人が、いかに才知才能に優れた人であっても、またどれほど人物の立派な人であっても、下座を行じた経験を持たない人ですと、どこか保証しきれない危なっかしさの付きまとうのを、免れないように思うのです。
ではここで「下座行」というのは、一体どういうことかと申しますと、自分を人よりも一段と低い位置に身を置くことです。
言い換えれば、その人の真の値打ちよりも、二、三段下がった位置に身を置いて、しかもそれが「行」と言われる以上、いわゆる落伍者というのではなくて、その地位に安んじて、わが身の修養に励むことを言うのです。
そしてそれによって、自分の傲慢心が打ち砕かれるわけです。
すなわち、身はその人の実力以下の地位にありながら、これに対して不平不満の色を人に示さず、真面目にその仕事に精励する態度を言うわけです。
そこで、たとえば世間にしばしばあるように、自分よりつまらない人間の下につかえて、なんら不安の色を見せないということなども、一種の下座行と言ってよいわけです。
たじろがない信念というものは、かつては自分と同級生であり、否、うっかりすると自分より下級生であった人の前に、頭を下げねばならぬような位置に身をおきながら、しかも従容(しょうよう)として心を動揺せしめないこの下座行の修練によってのみ得られるものだと思います。
また、下級生が、自分の上司となったりした場合、十分にその人に礼を尽くして、昔の関係などはおくびにも出すべきではないのです。
そして相手の現在の身分を立てて、相手に傷のつかないように遇するのです。
こういう心遣いというものは、単にその人の才知才覚などによってできることではありません。
否、なまじい才知は、かような場合かえって変な態度となって、醜(みにく)いものとなりやすいのです。
そこでかような態度は、どうしてもその人が、その人生コースのどこかにおいて、一度は下座の行に服して、人間が真に鍛えられられているんでなければ、とうていできがたいことと言ってよいでしょう。
◇『運命を創る』"「修身教授録」抄・10講" 致知出版社
「こんなに社会的地位にある人間をオレは知っている」、「コイツよりオレのほうが偉いんだ」、と皆の前で横柄に振る舞う人間はあまりに恥ずかしい。
誰もが人から認められたいし、褒めてもらいたい。
自ら「オレは偉いんだ」と主張したところで、誰も認めないし、褒めてもくれない。
かえって傲慢な態度が目立つだけとなる。
下座の修練によってのみ、傲慢心は打ち砕かれる。
下座行をもって、自らを鍛え上げたい。
※【人の心に灯をともす】より
2023年9月26日火曜日
2023年9月25日月曜日
残心
残心
残心(ざんしん)とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。
意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。
また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。
Wikipediaより
#残心
#極真空手
残心(ざんしん)とは日本の武道および芸道において用いられる言葉。文字通り解釈すると、心が途切れないという意味。
意識すること、とくに技を終えた後、力を緩めたりくつろいでいながらも注意を払っている状態を示す。
また技と同時に終わって忘れてしまうのではなく、余韻を残すといった日本の美学や禅と関連する概念でもある。
Wikipediaより
#残心
#極真空手
2023年9月24日日曜日
2023年9月23日土曜日
ピンチはチャンス
夜釣りへ突入
本日夜の浜名湖、暑くもなく、寒くもなく、、
(私が子供の頃の真夏の夜はちょうどこのくらいの気候だった様な気がします。)
あの夏の酷暑を経験したから、この秋風の心地よさを有り難し(ありがとう)と感じることができる。
それと同じく、
人生の辛酸を舐め尽くしたことがある人間は、どんな些細なことにでも感謝し幸せを感じることができる。
「ピンチはチャンス」
一事が万事、、この世の物事の本質は全て同じなのかもしれませんね。
#夜釣り
#浜名湖
#極真空手
本日夜の浜名湖、暑くもなく、寒くもなく、、
(私が子供の頃の真夏の夜はちょうどこのくらいの気候だった様な気がします。)
あの夏の酷暑を経験したから、この秋風の心地よさを有り難し(ありがとう)と感じることができる。
それと同じく、
人生の辛酸を舐め尽くしたことがある人間は、どんな些細なことにでも感謝し幸せを感じることができる。
「ピンチはチャンス」
一事が万事、、この世の物事の本質は全て同じなのかもしれませんね。
#夜釣り
#浜名湖
#極真空手
夜釣り
夜釣りへ突入
本日夜の浜名湖、暑くもなく、寒くもなく、、
(私が子供の頃の真夏の夜はちょうどこのくらいの気候だった様な気がします。)
あの夏の酷暑を経験したから、この秋風の心地よさを有り難し(ありがとう)と感じることができる。
それと同じく、
人生の辛酸を舐め尽くしたことがある人間は、どんな些細なことにでも感謝し幸せを感じることができる。
一事が万事、、この世の物事の本質は全て同じなのかもしれませんね。
#夜釣り
#浜名湖
本日夜の浜名湖、暑くもなく、寒くもなく、、
(私が子供の頃の真夏の夜はちょうどこのくらいの気候だった様な気がします。)
あの夏の酷暑を経験したから、この秋風の心地よさを有り難し(ありがとう)と感じることができる。
それと同じく、
人生の辛酸を舐め尽くしたことがある人間は、どんな些細なことにでも感謝し幸せを感じることができる。
一事が万事、、この世の物事の本質は全て同じなのかもしれませんね。
#夜釣り
#浜名湖
浜名湖
2023・9・23・土曜日(祝日・秋分の日)
秋分の日(祝日)で支部全道場休館、業務お休みとなりますので、地元浜名湖でのんびりとさせて頂いております。
ありがとうございます!
押忍
#浜名湖
#釣り
#極真空手
秋分の日(祝日)で支部全道場休館、業務お休みとなりますので、地元浜名湖でのんびりとさせて頂いております。
ありがとうございます!
押忍
#浜名湖
#釣り
#極真空手
2023年9月22日金曜日
2023年9月21日木曜日
2023年9月20日水曜日
初試合
先日の極真全中部大会、息子が初めての試合に出場させて頂きました、誠にありがとうございました!
(結果は初戦敗退)
一父兄として、私、石黒康之個人的な感想は、やはり、少年部(小学生以下)の試合は子供にとって、接し方次第では、「毒にも薬にもなるな」と実感した次第です。
どういう事かといいますと、
親や指導者の少年試合(少年競技)に対する考え方、
子供への接し方(特に試合後)次第で、その子の実力を大人(一般部)になるまでに最大限に伸ばしてあげる事もできれば、逆に潰してしまう事もある、ということなのです。
実際、選手(子供)は試合の申込書を提出したその瞬間から、試合が終わるまで、どんなに緊張したことか、、
どんなに稽古に明け暮れたことか、、
また、試合中はどんなに苦しく、辛い思いをしながら精一杯闘ったことか、、
その際(特に試合後)の親や指導者の子供への接し方の匙加減一つで、その子の将来が決まってしまうくらい、その接し方は大切であると思うのです。
私は子を持つ親であると同時に極真空手の指導者であります。
これから更に指導者(親)として勘違いしない様、経験、勉強を積み重ね、関わりのある子供たちが立派な一人の大人(人間)として成長し、独り立ちしていける手助けが少しでも出来ますよう、日々努力精進して参ります。
押忍
#極真空手
#初試合
#大会
#競技
#試合
(結果は初戦敗退)
一父兄として、私、石黒康之個人的な感想は、やはり、少年部(小学生以下)の試合は子供にとって、接し方次第では、「毒にも薬にもなるな」と実感した次第です。
どういう事かといいますと、
親や指導者の少年試合(少年競技)に対する考え方、
子供への接し方(特に試合後)次第で、その子の実力を大人(一般部)になるまでに最大限に伸ばしてあげる事もできれば、逆に潰してしまう事もある、ということなのです。
実際、選手(子供)は試合の申込書を提出したその瞬間から、試合が終わるまで、どんなに緊張したことか、、
どんなに稽古に明け暮れたことか、、
また、試合中はどんなに苦しく、辛い思いをしながら精一杯闘ったことか、、
その際(特に試合後)の親や指導者の子供への接し方の匙加減一つで、その子の将来が決まってしまうくらい、その接し方は大切であると思うのです。
私は子を持つ親であると同時に極真空手の指導者であります。
これから更に指導者(親)として勘違いしない様、経験、勉強を積み重ね、関わりのある子供たちが立派な一人の大人(人間)として成長し、独り立ちしていける手助けが少しでも出来ますよう、日々努力精進して参ります。
押忍
#極真空手
#初試合
#大会
#競技
#試合
2023年9月19日火曜日
浜松市空手道場
2023・9・19・火曜日
極真空手浜松大蒲道場
全中部大会が終わり、次なる目標(12/3静岡交流試合・主催静岡富士支部)に向けて始動。
その流れの中でも師範稽古の〆は「喧嘩は暗闇でも行われる」事を想定した稽古で締めました。
まだまだ残暑厳しい中大変お疲れ様でした、ありがとうございました!
押忍
#極真空手
#浜松市
#浜松
#東区
#大蒲町
極真空手浜松大蒲道場
全中部大会が終わり、次なる目標(12/3静岡交流試合・主催静岡富士支部)に向けて始動。
その流れの中でも師範稽古の〆は「喧嘩は暗闇でも行われる」事を想定した稽古で締めました。
まだまだ残暑厳しい中大変お疲れ様でした、ありがとうございました!
押忍
#極真空手
#浜松市
#浜松
#東区
#大蒲町
「合気道開祖 植芝盛平」
合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。
世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。
合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。
合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。
私はこの事を武を通じて悟った。
敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。
即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。
無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。
邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。
では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?
それにはまず、神の心を己の心とする事だ。
それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。
『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。
これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。
だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。
真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。
即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。
勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。
与えられた自己の使命を成し遂げる事である。
以上
合気道とは、敵と戦い、敵を破る術ではない。
世界を和合させ、人類を一家たらしめる道である。
合気道の極意は、己を宇宙の動きと調和させ、己を宇宙そのものと一致させる事にある。
合気道の極意を会得したものは、宇宙がその腹中にあり『我は即ち宇宙』なのである。
私はこの事を武を通じて悟った。
敵が『宇宙そのものである私』と争おうとする事は、宇宙との調和を破ろうとしているのだ。
即ちわたしと争おうという気持ちを起こした瞬間に、敵はすでに破れているのだ。合気道は無抵抗主義である。
無抵抗なるが故に、はじめから勝っているのだ。
邪気ある人間、争う心のある人間ははじめから負けているのである。
では、如何にしたらその邪気を払い、心を清くして、宇宙森羅万象の活動と調和することができるか?
それにはまず、神の心を己の心とする事だ。
それは、上下四方、古往今来、宇宙のすみずみにまで及ぶ、偉大なる『愛』である。
『愛は争わない』『愛には敵がない』何ものかを敵とし、何ものかと争う心は既に神の心ではないのだ。
これと一致しない人間は、宇宙と調和できない。
だから、武技を争って勝ったり負けたりするのは真の武ではない。
真の武はいかなる場合にも絶対不敗である。
即ち絶対不敗とは、絶対に何ものとも争わぬ事である。
勝つとは己の心の中の『争う心』に打ち勝つ事である。
与えられた自己の使命を成し遂げる事である。
以上
2023年9月18日月曜日
世界大会ペアチケット抽選会
昨日、極真全中部大会にて、
今秋11月17・18・19日(金土日)に東京体育館於いて開催される、第13回全世界空手道選手権大会のペアチケットプレゼント抽選会のくじを引かせて頂きました!
私が引かせて頂いた抽選くじは、、なな、、なんと、
私の支部道場(愛知東三河支部蒲郡道場)の龍虎選手が見事当選!^ ^
この企画は極真空手を志す選手たちにとって素晴らし過ぎる大サプライズでした!
伊藤師範、本当にありがとうございました😊
押忍
#極真空手
#世界大会
#チケット
#ペアチケット
#プレゼント
#企画
今秋11月17・18・19日(金土日)に東京体育館於いて開催される、第13回全世界空手道選手権大会のペアチケットプレゼント抽選会のくじを引かせて頂きました!
私が引かせて頂いた抽選くじは、、なな、、なんと、
私の支部道場(愛知東三河支部蒲郡道場)の龍虎選手が見事当選!^ ^
この企画は極真空手を志す選手たちにとって素晴らし過ぎる大サプライズでした!
伊藤師範、本当にありがとうございました😊
押忍
#極真空手
#世界大会
#チケット
#ペアチケット
#プレゼント
#企画
2023年9月17日日曜日
第5回全中部空手道選手権大会
2023・9・17・日曜日
第5回全中部空手道選手権大会
於・OKBぎふ清流アリーナ
主管・国際空手道連盟 極真会館 岐阜支部
大変素晴らしい大会を誠にありがとうございました!
お疲れ様でした!
押忍
#極真空手
#全中部大会
#岐阜県
#岐阜市
第5回全中部空手道選手権大会
於・OKBぎふ清流アリーナ
主管・国際空手道連盟 極真会館 岐阜支部
大変素晴らしい大会を誠にありがとうございました!
お疲れ様でした!
押忍
#極真空手
#全中部大会
#岐阜県
#岐阜市
2023年9月16日土曜日
2023年9月15日金曜日
【自分の魂を成長させる方法】
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
生きていると、いろいろな問題が出てきます。
そして、問題が出てくると、たいてい、人は悩んだり、苦しんだりします。
でも、問題というものは、自分の魂を成長させるためのものなんです。
人間は、自分に起きた問題を利用して魂のステージ、いわゆる「霊格」をあげていきます。
ただ、ほとんどの人は、自分の魂をどうやって成長させるかを知らない。
それどころか、目の前に起きた問題が自分の魂を一つ上にあげる階段だということも知らない人も多いんです。
だから、苦労したり、悩んだりするのです。
でも、私はなぜか、昔から知っていました。
問題が起きたとき"魂を成長させる方法"というのがあることを。
魂を成長させると同時に、その問題を解決してしまう方法があるということを。
その方法はたった一つです。
たった一つの方法で、全部の問題が解決できます。
それは、感謝です。
なにか一つ問題が起きたとき、多くの人は「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。
理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。
でも、魂的な視野からいうと、自分に起きる問題は「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。
だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。
感謝の反対は「当たり前」。
同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。
ということは、感謝を知らないのです。
だから、病気になったのだとしたら、からだに感謝することを知らなかったんです。
それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。
それに気づき、他の具合が悪くないところ一つひとつに感謝すればいいのです。
必要な治療を受けながら、感謝すればいい。
そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、最後に問題そのものにまで感謝できたとき、その問題は消滅するようになっています。
これはお約束ごとです。
この世は、そういう仕組みになっています。
ということは、問題が起きたとき、
「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」
と思い、最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。
でも、最初から問題そのものに感謝するという流れには行かないものなのです。
だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。
周りへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。
そして、魂が上にあがります。
『運命は変えられる』KKロングセラーズ
感謝の言葉「ありがとう」は、「有り難う」と書く。
「ありがとう」とは、有(あ)る事が難(むずか)しいくらい稀(まれ)なこと、奇跡のようなこと、という意味。
だから、感謝の反対は「当たり前」。
「夜寝て、翌朝起きる」、という「当たり前」のことが本当は奇跡のようなこと。
なぜなら、我々が寝ている間も、心臓が、一瞬も休むことなく仕事をし、血液を送ってくれるからこそ、次の日起きることができる。
心臓も一緒に休んだら、永遠に起きることはできない。
毎日、心臓も、内臓も、目も、口も、耳も、鼻も、あるいは手や足など、すべての臓器や器官が動いてくれているからこそ、我々は生きていける。
この当たり前だと思っていることが、いかに素晴らしいことか、奇跡のような「ありがたいこと」かを普段忘れている。
そして、病気になったとき初めて、この「ありがたさ」に気づく。
「問題が起きたときは、感謝を忘れていたとき」
感謝で、自分の魂を成長させたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより❗
https://www.facebook.com/hitonokokoro
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
生きていると、いろいろな問題が出てきます。
そして、問題が出てくると、たいてい、人は悩んだり、苦しんだりします。
でも、問題というものは、自分の魂を成長させるためのものなんです。
人間は、自分に起きた問題を利用して魂のステージ、いわゆる「霊格」をあげていきます。
ただ、ほとんどの人は、自分の魂をどうやって成長させるかを知らない。
それどころか、目の前に起きた問題が自分の魂を一つ上にあげる階段だということも知らない人も多いんです。
だから、苦労したり、悩んだりするのです。
でも、私はなぜか、昔から知っていました。
問題が起きたとき"魂を成長させる方法"というのがあることを。
魂を成長させると同時に、その問題を解決してしまう方法があるということを。
その方法はたった一つです。
たった一つの方法で、全部の問題が解決できます。
それは、感謝です。
なにか一つ問題が起きたとき、多くの人は「なぜ、こんな問題が起きたんだろう」と考えます。
理詰めで考えると、いろいろな原因が思い当たるでしょう。
でも、魂的な視野からいうと、自分に起きる問題は「自分の感謝のなさ」を教えてくれるものとして出てきています。
だから、上司が自分にいやがらせをするのだとしたら、いやがらせをしない同僚やなんかに感謝が足りなかったのです。
感謝の反対は「当たり前」。
同僚たちがいやがらせをしないのは当たり前だと思っていた。
ということは、感謝を知らないのです。
だから、病気になったのだとしたら、からだに感謝することを知らなかったんです。
それの「気づき」のために、どこかからだの具合が悪くなる。
それに気づき、他の具合が悪くないところ一つひとつに感謝すればいいのです。
必要な治療を受けながら、感謝すればいい。
そうやって、問題のないところに感謝して、感謝して、最後に問題そのものにまで感謝できたとき、その問題は消滅するようになっています。
これはお約束ごとです。
この世は、そういう仕組みになっています。
ということは、問題が起きたとき、
「これは自分が感謝を知らなくて起きたんだ」
と思い、最初から問題そのものに感謝するのが、一番いいんですよね。
でも、最初から問題そのものに感謝するという流れには行かないものなのです。
だから、最初は問題を起こしていない周りに感謝から始めるのです。
周りへの感謝から始めると、やがて、その問題にも感謝できるようになります。
そして、魂が上にあがります。
『運命は変えられる』KKロングセラーズ
感謝の言葉「ありがとう」は、「有り難う」と書く。
「ありがとう」とは、有(あ)る事が難(むずか)しいくらい稀(まれ)なこと、奇跡のようなこと、という意味。
だから、感謝の反対は「当たり前」。
「夜寝て、翌朝起きる」、という「当たり前」のことが本当は奇跡のようなこと。
なぜなら、我々が寝ている間も、心臓が、一瞬も休むことなく仕事をし、血液を送ってくれるからこそ、次の日起きることができる。
心臓も一緒に休んだら、永遠に起きることはできない。
毎日、心臓も、内臓も、目も、口も、耳も、鼻も、あるいは手や足など、すべての臓器や器官が動いてくれているからこそ、我々は生きていける。
この当たり前だと思っていることが、いかに素晴らしいことか、奇跡のような「ありがたいこと」かを普段忘れている。
そして、病気になったとき初めて、この「ありがたさ」に気づく。
「問題が起きたときは、感謝を忘れていたとき」
感謝で、自分の魂を成長させたい。
■【人の心に灯をともす】のブログより❗
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