プロフィール

2018年10月31日水曜日

【公式】『第50回 極真空手全日本選手権』 11/4(日) 午後2時

https://youtu.be/JllYEEKQhCw


押忍

今日の言葉 稽古 お知らせ

自分を堕落させるのもよくするのも自分
━━━━━━━━━━━━━━
堀文子(日本画家)
月刊『致知』より

拳立て十八回です。

本日、私は予定通りに豊橋道場幼少年少女部に入ります。
なお、湖西道場師範稽古は名倉指導員の代稽古となります。
宜しくお願い致します(^^)

11月3日(土・祝) 蒲郡道場 秋の無料体験会
11月4日(日) 浜松半田・浜松西伊場 秋の無料体験会
11月11日(日) 秋の支部合同稽古会
12月2日(日) 東三河昇級審査会
12月7日(金) 東三河追加審査会
12月11日(火) 西遠追加審査会
12月15日(土) クリスマス会(西伊場道場、定員30名)
12月16日(日) 西遠昇級審査会
12月22・23日(土日) 冬の親睦合宿(定員12名、追加審査会有り)
12月25日(火) 稽古納め
12月26日(水)~1月6日(日) 道場冬休み
1月7日(月) 稽古初め
1月13日(日) 支部内部試合(国際大会・全日本ウェイト制大会選考を兼ねる)
2月2・3日(土日)支部冬合宿(予定)

以上となります。
各行事の申込締切は基本的に各行事の1週間前までとなります。
(試合関係に関しましては締切が早まります。)

いつもお世話になりありがとうございます。

宜しくお願い致します(^^)


押忍 石黒康之

真人間になる道 すなわち「読書」

人間に大事なことは、
 真人間になるということです。

 真人間になるためには学ばなければいけない。
 人間の人間たる値打(ねうち)は、
 古今の歴史を通じて、
 幾多の聖賢が伝えてくれておる道を
 学ぶところにある、教えを聞くところにある。

 これを措いて頼り得るものはない。

安岡正篤


押忍
話相手
………………

話をし合う場合、物わかりがよくて、
愉快げに見える人は実に稀である。
それは人々の十中八九が相手の話を
よく聞こうとするより、
自分の言おうと思って居ることに
考を持ってゆくからだ。

そういう人の眼のうち、心のうちには、
ただ漫然と相手の話に耳を傾けながら、
自分の言おうと思っている所に、
一刻も早く話を落そうとする気ぜわしさが
垣間見られる。

そういう人は、自分を満足さそうとあせることが、
他を喜ばせたり説得したりするには拙策であり、
よく聴き、よく答えることが、
話をし合う場合の立派な態度であることを
案外知らないのである。

(仏 ラ・ロシュフコオ)


致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。


押忍

「つかみ」はオッケー

【僕たちはどう伝えるか】



オリエンタルラジオ、中田敦彦氏の心に響く言葉より…


人間は「何を伝えるか」に心を捕らわれやすい。

どんな言葉を使うか。

それに執着してしまう。


だが、真実は真逆である。

「なにを伝えるか」よりも、「どう伝えるか」のほうが圧倒的に大事なのだ。


たとえば「愛してるよ」という言葉を伝えるとする。

スマホをいじりながら、目線を落として、疲れた声で「愛しているよ」と言う。

どう伝わるだろうか。

きっと「愛していないのだな」と思うだろう。


逆に「大嫌い」という言葉がある。

顔を赤らめて、恥ずかしそうにしながら潤んだ目で「大っ嫌い…」と言う。

どう伝わるだろうか。

きっと「大好きなんだろうな」と思うだろう。


人は聞いているようで、聞いていない。

「言葉を言っている人を、見ている」のである。


テレビロケのジャンルとして、「食レポ」というものがある。

はやりのグルメをタレントやアナウンサーが食べて、視聴者に味を伝える。

食レポが上手だと言われる人と、下手な新人タレントではまったく違う。

今度テレビで見る機会があれば注目してほしい。


なにがまったく違うのか。

「話す前の顔」なのだ。

新人は食べたあと、なにを言おうか考えてしまう。

そして、考えていることが顔に出てしまう。

そのあとで、「美味しいですね…。 外がサクサクで中がフワフワで…」と話し出す。

視聴者は違和感を抱いてしまい、その言葉が入ってこないのだ。

伝わってくるのは「美味しさ」ではなく「予定調和」である。


それに比べると、食レポの達人は、言葉を発する前から美味しそうなのだ。

匂いを吸い込んで微笑み、待ちきれないという勢いで口に入れ、噛んでいる間に目を見開き、飲み込んだ瞬間に感動したような大声で「…美味しい…」と言う。

すでに、言葉を伝える前に、美味しさは伝わっている。


これは、プレゼンでもまったく同じことなのだ。

「私の話を聞いてもらえますか?」そう言って注意を引きつけたとき、

そのときの自信のある顔や落ち着いたたたずまい。

それこそがプレゼンなのだ。


言葉を発する前に、決着はつく。

「この人がこれからする話は、おもしろそうだな」

開始10秒で観客の心を「つかむ」。

それができなければ、そのあとは長く苦しい戦いを強いられる。


一度失った興味や関心を取り戻すことは、上り坂の途中で自転車を降りてからまた漕ぎ出すように、とてつもないエネルギーが要る。

お笑い芸人だからこそ、確信を持って言える。

最初が肝心なのだ。

お笑いはまさに、それを表す言葉がある。


「つかみ」。

最初に心をつかめるか。

それはまさに、ネタ全体がウケるかウケないかを左右する、最初の大勝負なのだ。


プレゼンとは戦いだ。

聞き手の心をつかむか、それともつかみ損ねるか。

話し終わったあとに、伝わったか、伝わらなかったか、それを痛烈に感じるだろう。

勝敗が不明瞭な「芸術」ではない。

勝敗が歴然とついてしまう「格闘技」なのだ。


しかし、「言葉の格闘技」ではない。

「表現の総合格闘技」である。

総合格闘技とは、パンチやキックといった打撃技だけでなく投げ技、関節技などのさまざまな攻撃法を駆使して勝敗を競う格闘技だ。


言葉は、あくまでもその中の打撃技のひとつにすぎない。

そこに捕らわれていたら、プレゼンでは敗北するだろう。

達人は、凡人がパンチを発するよりも前に、違う技を繰り出しているのだ。


『僕たちはどう伝えるか』宝島社





「人は見た目が9割」と言われる。

アメリカの心理学者であるメラビアンによれば、見た目にとって大切なのは、表情が6割、話し方が3割、話す内容が1割、と言われる。

好印象を与える表情とは、言うまでもなく、にこやかな笑顔のこと。

しかし、いくら、笑顔があって、堂々としてはっきりとした話し方で、話の内容がよくても、人と会う時にパジャマや寝間着姿だったとしたら、誰もが好印象は持たないだろう。

つまり、見た目の大前提として、服装は大事だということ。


古来より、人に伝えること、そしてそのことによって、人に影響力をあたえることは成功者の必須の条件だった。

秀吉にしろ、信長にしろ、家康にしろ、戦国の武将たちだけにとどまらず、古今の英雄、成功者は、すべて「伝えること」の達人だった。


「魅は与によって生じ求によって滅す(みはよによってしょうじ、ぐによってめっす)」

という無能唱元氏の言葉がある。

人に与えるものはお金や物といった物質や、満足感、充足感といった心のこと。

心とは、笑顔や、相手を和ませる態度、あたたかで、やさしい気配り、あるいは、元気付けられ、勇気付けられる言葉だ。


まさに伝え方の達人は、この魅力を備えている。

人への伝え方を磨きたい。



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押忍

リーダーは足下を観よ 看脚下

【一隅を照らす】

高野登氏の心に響く言葉より…

昔々、魏(ぎ)の国の王様が斉の国の王様と、あるところで出会いました。

さっそく魏の国の王様は、斉の国の王様に自慢話を始めました。

私の国には夜も照らすような大きな素晴らしい珠(たま)が十個もあると。

斉の国の王様は答えました。

「私の国には、そんな素晴らしい宝物はありません。

私の国にあるのは、農業なら農業、こういうものをつくるといったら、それをつくる、物を運ぶ仕事なら物を運ぶ…一つひとつの仕事をだれよりも一生懸命やって一隅を照らすような人たちです。

そうした人たちこそが、わが国の宝です」

それを聞いた魏の国の王様は、斉の国の王様の前に手をつき、ひれ伏しました。

…この中国のお話をもとにしたのでしょうか。

天台宗の開祖、最澄は、その本の中で、次のように記しています。

「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり」

すなわち、「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精いっぱい努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何もにも代えがたい貴い国の宝である」と。

「一隅を照らす」という言葉はここから生まれたとされます。

斉の国は、いまから二千五百年も前の中国の国、最澄は平安時代の人ですが、そこで言っていることは、いまも変わらぬ真実です。

と同時に、ここで注目すべきは、斉の国の王様の言葉が、魏の国の王様の中に、思わずライバルの前にひれ伏すほどの「パラダイムシフト」を起こしたという点です。

魏の国の王様の世界観、人生観を変えたのです。

それまでは、国にある見事な珠こそが国の宝だと思っていたのが、国の民こそが何よりの宝であると気づいたのですから。

自分の足下にあるものと向き合ってみようという姿勢、自分の民と向き合おうという姿勢、まさに、王者の「品格」です。

もし、組織のリーダーがいっしょに働いているメンバーと本気で向かい合って、この人たちこそがこの組織の宝物なのだ、わが社が誇るべきは、立派なビルでも商品でもなく、この人たちなのだと気づいたとしたら、そのリーダーは「品格」を持ちはじめたことになります。

と同時に、組織全体が「品格」を持ちはじめるのです。

『品格を磨く』ディスカヴァー

「一燈照隅 萬燈遍照(いっとうしょうぐう ばんとうへんじょう)」

安岡正篤師の『青年の大成』の中の言葉だ。

一人ひとりが自分のいる場所を明るく照らし、良きことを行えば、その一燈が最初は小さくとも、やがてそれが国中をあまねく照らすことになる。

まずは、自分の周囲、つまり、家族や友人、会社を明るく照らすこと。

それがやがて「世のため、人のため」となる。

「明珠在掌(みょうじゅたなごごろにあり)」

という禅の言葉がある。

誰もが、はかり知れない価値のある宝物をすでに持っている。

そんな貴重な宝が、自分の手の上に載っているではないか、と。

そんな大事なことを忘れ、我々はどこか他のところに宝が埋まっているのではないかと、探しに行ってしまう。

会社なら、規模や売上、店舗数などの大きさではない。

人なら、肩書や、役職、地位や年収などではない。

外見ではなく本質。

本当の宝は、その掌(たなごころ)の上にある。

一隅を照らす人でありたい。



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押忍

リーダーは足下を観よ 看脚下

【一隅を照らす】

高野登氏の心に響く言葉より…

昔々、魏(ぎ)の国の王様が斉の国の王様と、あるところで出会いました。

さっそく魏の国の王様は、斉の国の王様に自慢話を始めました。

私の国には夜も照らすような大きな素晴らしい珠(たま)が十個もあると。

斉の国の王様は答えました。

「私の国には、そんな素晴らしい宝物はありません。

私の国にあるのは、農業なら農業、こういうものをつくるといったら、それをつくる、物を運ぶ仕事なら物を運ぶ…一つひとつの仕事をだれよりも一生懸命やって一隅を照らすような人たちです。

そうした人たちこそが、わが国の宝です」

それを聞いた魏の国の王様は、斉の国の王様の前に手をつき、ひれ伏しました。

…この中国のお話をもとにしたのでしょうか。

天台宗の開祖、最澄は、その本の中で、次のように記しています。

「径寸(けいすん)十枚これ国宝に非ず、一隅を照らす、これ則(すなわ)ち国宝なり」

すなわち、「お金や財宝は国の宝ではなく、家庭や職場など、自分自身が置かれたその場所で、精いっぱい努力し、明るく光り輝くことのできる人こそ、何もにも代えがたい貴い国の宝である」と。

「一隅を照らす」という言葉はここから生まれたとされます。

斉の国は、いまから二千五百年も前の中国の国、最澄は平安時代の人ですが、そこで言っていることは、いまも変わらぬ真実です。

と同時に、ここで注目すべきは、斉の国の王様の言葉が、魏の国の王様の中に、思わずライバルの前にひれ伏すほどの「パラダイムシフト」を起こしたという点です。

魏の国の王様の世界観、人生観を変えたのです。

それまでは、国にある見事な珠こそが国の宝だと思っていたのが、国の民こそが何よりの宝であると気づいたのですから。

自分の足下にあるものと向き合ってみようという姿勢、自分の民と向き合おうという姿勢、まさに、王者の「品格」です。

もし、組織のリーダーがいっしょに働いているメンバーと本気で向かい合って、この人たちこそがこの組織の宝物なのだ、わが社が誇るべきは、立派なビルでも商品でもなく、この人たちなのだと気づいたとしたら、そのリーダーは「品格」を持ちはじめたことになります。

と同時に、組織全体が「品格」を持ちはじめるのです。

『品格を磨く』ディスカヴァー

「一燈照隅 萬燈遍照(いっとうしょうぐう ばんとうへんじょう)」

安岡正篤師の『青年の大成』の中の言葉だ。

一人ひとりが自分のいる場所を明るく照らし、良きことを行えば、その一燈が最初は小さくとも、やがてそれが国中をあまねく照らすことになる。

まずは、自分の周囲、つまり、家族や友人、会社を明るく照らすこと。

それがやがて「世のため、人のため」となる。

「明珠在掌(みょうじゅたなごごろにあり)」

という禅の言葉がある。

誰もが、はかり知れない価値のある宝物をすでに持っている。

そんな貴重な宝が、自分の手の上に載っているではないか、と。

そんな大事なことを忘れ、我々はどこか他のところに宝が埋まっているのではないかと、探しに行ってしまう。

会社なら、規模や売上、店舗数などの大きさではない。

人なら、肩書や、役職、地位や年収などではない。

外見ではなく本質。

本当の宝は、その掌(たなごころ)の上にある。

一隅を照らす人でありたい。



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押忍

極真空手 浜松大蒲 武道空手道場

本日の極真 浜松大蒲道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

2018年10月30日火曜日

極真空手 浜松大蒲 武道空手道場

本日の極真 浜松大蒲道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

極真空手 浜松大蒲 武道空手道場

本日の極真 浜松大蒲道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

極真空手 浜松大蒲 武道空手道場

本日の極真 浜松大蒲道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

今日の言葉 稽古 お知らせ

事業でも何でも、必要なのは直感と見通しだ
━━━━━━━━━━━━━━
大谷米太郎(ホテルニューオータニ創業者)
月刊『致知』より
 
拳立て十七回です。
 
本日、私は予定通りに浜松大蒲道場、幼少年少女部、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します。(^^)
 
11月3日(土・祝) 蒲郡道場 秋の無料体験会
11月4日(日) 浜松半田・浜松西伊場 秋の無料体験会
11月11日(日) 秋の支部合同稽古会
12月2日(日) 東三河昇級審査会
12月7日(金) 東三河追加審査会
12月11日(火) 西遠追加審査会
12月15日(土) クリスマス会(西伊場道場、定員30名)
12月16日(日) 西遠昇級審査会
12月22・23日(土日) 冬の親睦合宿(定員12名、追加審査会有り)
12月25日(火) 稽古納め
1月7日(月) 稽古初め
1月13日(日) 支部内部試合(国際大会・全日本ウェイト制大会選考を兼ねる)
2月2・3日(土日)支部冬合宿(予定)
 
以上となります。
各行事の申込締切は基本的に各行事の1週間前までとなります。
(試合関係に関しましては締切が早まります。)
 
いつもお世話になりありがとうございます。
 
宜しくお願い致します(^^)
 
 
押忍                   石黒康之



極真 浜松西伊場道場

本日の極真空手 浜松西伊場道場の出席者です(^^)

本日のお稽古は何故だか、
何処の道場も人数が少な目でした、こんな時こそ差が開きます。

「いまから、ここから」

世の中には、「いま」と「ここ」しかありません。

お互いに顔晴っていきましょう!


お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

極真空手 浜松半田 蒲郡 武道空手道場

本日の極真 浜松半田 蒲郡 各道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

裏切り、、、上等じゃねぇか、、

【アー・ユー・ハッピー?】

矢沢永吉氏の心に響く言葉より…

1998年、オレはオーストリアで被害総額30億円以上という、とんでもない横領被害に遭った。
犯人は長年、一緒に仕事してきたオレの部下だった。

事件はオレにとって大きかった。
金額の問題じゃない。
とにかく精神的ダメージが大きかった。

どーんと胸に空洞があるみたいになった。
ショックだった。

だってそうじゃないか。
犯人は側近中の側近だ。
やつらが共謀してオレを裏切ったんだ。

背任、横領、公文書偽造。
やりたい放題だった。
しかも、10年間にわたって。

「矢沢がやられたよ、だまされちゃったよ、大借金くらっちゃったよ、あいつバカだよな」
結局、マスメディアが言ってることはこれだけだった。

オレは、負けるわけにはいかない、と思った。
「こいつら、待ってるんだろうな、オレが破産するのを。こいつらにいい思いさせたくないな」

こいつらっていういのは、「他人の不幸は蜜の味」と思っている連中だ。

すると、どうする?
何が何でも借金を片つけなきゃいかん。
「あの男は落ちねえな」と思わせるところにいかなきゃオトシマエがつかないだろう。

オレが引かない理由?
プライドもあるだろう。
このまま尻尾を巻いたんじゃ、あまりにもシャクだよな。

でも、それだけじゃない。
もっと上から見てみたら、本当に負けちゃいけないって思えるんだよ。
このままじゃ、世の中に正義ってもんがないってことになる。

「真実もクソもあるかい。おもしろければいいじゃん」ってやつばっかりのさばったら、人間社会は終わる。

いくら腐っても、どっかのところでは、誰が悪いのか、
何がどうなているのかは、きっちり白黒つけなきゃいかん。

うちの女房はいいことを言った。
「あなた、FやKを憎んだところで、今さら消えたお金と時間が返ってくるわけじゃない。
やらなきゃいけないことは、ほかに山ほどあるわ。
かわいそうなヤツらだと思って、こっちからパスしちゃいなさいよ。
あんまりあの人たちを憎むことにかかわらないほうがいいわ。
憎んだら、あなたまで持っていかれちゃうわよ」

そうだよな。
「世の中はみんな盗人だ」と思って、いつもピリピリしてたんじゃ、いい音楽はつくれない。

オレはだまされた自分のことがいやじゃない。
この純粋バカさ加減の矢沢がきらいじゃない。
そういうオレは甘ちゃんかもしれない。
でもオレはそれでいいと思っている。

長い年月で、どっちが悲しい思いをするだろう。
オレじゃない。
オレを陥れるヤツのほうが、悲しい思いをする。
オレは絶対そう信じている。
これは負け惜しみじゃなくて、そう思う。

人間はいつか死ぬ。
だんだん年をとって、体もゆうことをきかなくなってきて、ふと若いころを振り返ったとき、
信頼してくれている人間を陥れたことがあるなんて思い出したら、それは気持いいもんじゃないよね。

負債と取り立て。
こいつは苦しい。
でも、オレは負けない。

何歳まで生きられるか知らないけど、オレは役を与えられたんだ。
矢沢永吉という役を。

「そうだよなあー。ケツまくって生きるのもスジか」と思って、でかい口あけて笑えるようになった。

オレは歌える。
借金を返すのに何年かかるかなんて、そんなもん、たいしたことない。
死んだらほんとのおしまいなんだよ。
やっぱり。

『アー・ユー・ハッピー?』角川文庫

矢沢永吉はその事件後、6.7年で借金を完済した。
1人で30億円を、だ。

矢沢永吉は、1949年生まれの62歳。

29歳の時出版した、『成りあがり』という本の中でこう言っている。
「50になってもケツ振ってロックンロールを歌っているような、かっこいいオヤジになってやる」

人生は、誰もが役割を与えられて、この世に生まれてきた。
だが、楽しい役ばかりではない。

たった一回の人生という舞台。
どうせ演じなければいけないのなら、逃げずに、かっこよく演じてみたい。

※人の心に灯をともす

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押忍

うたしやき

【「うたしやき」な話】

小林正観さんの心に響く言葉より…

十年間、うつ病で苦しんでいた人がやってきました。

少し話をしました。

うつ病で苦しんできたのはわかりますが、その人の口から出てくる言葉が、どれも暗い話です。

愚痴、泣き言、つらい話ばかりです。

職場へ行くと、ある人間とうまくいかない、怒鳴ったり怒ったりする人がいる、イライラさせる人がいる。

だから「もうやっていけない」と愚痴ばかりです。

「会社をもう、やめていいですか」と私に問いかけてきます。

「やめていいですか」という相談を受けると、私はいつも「やめれば…」と言います。

この人は半年ぐらいたつとまた別のところへ就職し、また私の顔を見て、「うまくいかなくて、もういやでいやでしょうがない。やめていいですか」と聞くのです。

私は「やめれば…」です。

結局彼は、自分の感性が非常に脆(もろ)く、弱いのです。

だから人間関係に耐えられない。

いやなことばかりが、神経に引っかかってくるから、あらゆることが、つらい、つらいとなります。

そこで私はこんな提案をしました。

今日から、口をついて出てくる言葉全部を「うたしやき」というものにしたらどうでしょうかと。

うれしい話・たのしい話・しあわせな話・やくに立つ話・きょうみぶかい話…それが「うたしやき」。

私は二十歳の頃から、「うたしやき」の話しかしないと決めてきました。

政治が悪いとか、経済が悪いとか、教育が悪いとか、環境問題がひどい…などと言って、頭のいい人はみんな世の中の不備をあげつらいます。

嬉しくて楽しい話の収集家である私は、自分にも他人にとっても楽しいので、旅先でお話をするにあたって、「うたしやき」の話だけをしてきました。

すると周りに人がだんだん集まってきて、もっと聞かせてもっと聞かせてということになりました。

そのほうが自分の人生が楽しいですよ、だからあなたも「うたしやき」だけを喋るようにしてみたらどうですか、とその人に言いました。

うつ病の人は、自らこう言いました。

「そういえばそうですね、私の発する言葉は、その八割が薬と病気とトラウマの話だった。口を開けばそういう話ばっかりだった。楽しい話なんかまったくしたことがなかった。これからは、うたしやきを心がけます」と。

その話をしてから一週間、その人は、一回も否定的な会話をしなかった。

話題を全部「うたしやき」にした。

その結果、食欲が出た、一人前食べられるようになった、買い物をするにもひとつ買うのに一時間かかっていたのに、一、二分で買えるようになったと言いました。

その人は自分ですこしわかった様子です。

暗い言葉ばかりだったと気がついた様子です。

もし家族関係、夫との関係、妻との関係、子どもとの関係、舅、姑の関係がよくないとか、職場で人間関係がうまくいかないという場合、今これから、この瞬間から「うたしやき」に切り替えると、その関係がガラッと変わります。

愚痴や泣き言ばかり言って言った人が、「午前中ちょっと散歩してきたんですけど、桜がすごくきれいでした」というような話になってくると、へえ、そんな話ができるようになったのだとその人の周りに明るい雰囲気が生まれます。

服の色も明るい色になります。

「うたしやき」の話題だけで、人生が変わります。

人生を楽に楽しく生きましょう。

『淡々と生きる』風雲舎

「うたしやき」の反対の言葉は、「悲しい・切ない」「苦しい・辛い」「不幸」「無駄・有害である」「つまらない」。

この手の話を好きな人がいるとするなら、よっぽどひねくれた人。

聞けば聞くほど暗くなってしまう。

人間であるなら、ほとんどの人は、「うたしやき」な話が大好き。

なぜなら、「うたしやき」の話を聞くと、明るくなって、元気が出て、みんな笑顔になるから。

毎日、「うたしやき」な話をしようと思うと、自然と潜在意識が「うたしやき」なことを探し始める。

「うたしやき」なことに焦点を当てると、人生もまた明るくなる。

まさに、アメリカで開発された「グッド・アンド・ニュー」と同じ手法だ。

「グッド・アンド・ニュー(Good & New)」とは、米国の教育学者ピーター・クライン氏が提唱した、組織活性化の手法。 

直近24時間以内の「良かったこと」もしくは「新しいこと」を朝礼や会議の前に発表する。 

校内暴力が多発し、無法地帯となったアメリカの学校でこの「Good & New」を使うことにより、短期間で安全な環境に変えたことで有名になった。

どんなときも、「うたしやき」な話をする人でありたい。


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押忍

極真空手 浜松半田 蒲郡 武道空手道場

本日の極真 浜松半田 蒲郡 各道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

極真空手 浜松半田 蒲郡 武道空手道場

本日の極真 浜松半田 蒲郡 各道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

2018年10月29日月曜日

極真空手 浜松半田 蒲郡 武道空手道場

本日の極真 浜松半田 蒲郡 各道場の風景です。

本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。


押忍(^^)

押忍

観光とは、光を観に行くこと

【自ら光を発する人】

小林正観さんの心に響く言葉より…

「私は、以前は『努力』してきた人間だったのですが、正観さんのお話を聞いて、がんばらない、緩んだ系統の人間になってきました。こういうタイプの人間が大勢を占めるようになったら、どんな社会になると思いますか」

と言われたことがあります。

私の答えは、そのように社会全体を評価、評論する癖をやめること。

面白いことに、人に対して「変われ、変われ」と言う人ほど、笑わない、暗い人が多いように思えます。

この質問をなさった方は、コンサルティングをしており、たくさんの企業とかかわるという立場からの質問ということでした。

「世の中のここが悪いじゃないかここが暗いじゃないか、ここが理不尽じゃないか」と、言っている人ほど、暗くなってきて、笑わない。

「暗い社会じゃないか」と問題点を指摘している人ほど、暗くなっているように私には見えるのです。

…世の中を暗い暗いと嘆くより、自ら光ってその闇照らせ。…

というのが私自身に言い聞かせている言葉。

その人が光だったら、その人の周りには闇はないでしょう。

評論する暇があったら、自分が光になること。

自分がどう光るかを考えるといい。

世の中の暗さを指摘して、糾弾している人ほど、笑顔がなく、暗さを投げかけているのかもしれません。

早くそれに気づくこと。

「闇」と「光」は、多くの人は50対50の力関係だと思っているかもしれませんが、実はそうではなくて、0対100です。

「光」が「闇」の中に入っていったら、常に「光」です。

逆に、「光」が撤退したとき、初めて「闇」の世界になります。

50対50の力ではなくて、「光」のほうが常に100の力を持っているのです。

ですから、「暗い、暗い」と言っている暇があったら、自分自身が光を放ってその闇の中に入っていけばよい。

光が入っていった闇は、どんな闇でも、光るしかありません。

肯定的な言葉をいつも発している人のそばにいると、いつも温かくなる、ということが体験的にわかっています。

「オーラ」という言い方をしてもいいのですが、明るい方向性を持っている人は、物理的にも光っているということです。

「光」という文字は、「人」の頭の上から5方向に光線が発しているという様子がもとになっている象形文字です。

「光」の文字のもとになっているものが「人」というのはすごいことです。

そして、光を発している人のことを、「明るい」と呼んだ。

古代の人は、光を発している人と、光を吸収する暗い人とを、見分けることができたらしい。

「陰気な」という表現があるのにわざわざ「あの人は暗い」という表現があるのは、実際にその人が「光」を発していなかったということでしょう。

「うれしい、楽しい、幸せ、大好き、ありがとう、愛してる、ツイてる」という肯定的な言葉を口にしている人は、その人がそこにいるだけで光を発する。

そしてその光は、暗い人を照らす。

「私の人生はつらくて、悲しくて、嫌いなことばかりで…」ということばかり言っている人は、「暗い」。

この人は、周りの光をどんどん吸着してしまい、はたから見ていると黒いもやの塊が来たように見えるのです。

これが、人間が「光」という文字の語源となったいきさつです。

「光」とは、「人」が光ることによって周りの人を照らし、歩いている道を明るく照らしてあげること。

光を発していない人の周りには暗い人が集まり、闇に包まれる。

光を発している人の周りには明るい人が集まり、明るさを宇宙に投げかけるのです。

『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イースト・プレス

梯谷幸司氏の著書「すごい無意識(フォレスト出版)」の中にこんな一節があった。

『日経新聞が出しているマーケティング専門誌による2015年のアンケートがあります。

そのアンケートは次のようなシンプルなものでした。

低所得者、中所得者、高所得者それぞれに「今、何に興味関心がありますか?」と聞いたのです。

低所得者に関心があることは、消費税問題と年金問題。身近なお金のことに関心がありました。

中所得者になると、消費税問題、年金問題に加えて、安保法案や大企業の不祥事、政府の問題が上位3位を占めました。

面白かったのが高所得者の回答結果です。

政治や大企業の不祥事に興味のある人は3%くらいしかいませんでした。

彼らの興味関心があったのが、「1位 健康づくり」「2位 旅行」「3位 孫と遊ぶこと」というきわめて個人的なことでした。

時代の常識とは、圧倒的多数の人たちの意見です。

中所得者層は圧倒的に多数派です。

つまり常識というのは中所得者層が使う考え方であって、そこに留まり続けることは中所得者どまりなのだということ。

圧倒的多数の層は自分の正しさを証明するために、誰かを悪者にしたがります。

まだまだ世の中には「こうあるべき」で動いている人が少なくありません。

テレビも週刊誌も、叩いてもつぶれない材料を引っ張りだして叩きまくる。

そのほうが視聴率が取れて雑誌も売れるからなのでしょう。

世間とマスコミが一緒になって煽(あお)っています。』

低所得者や中所得者は、社会や政府への不満や批判、論評ばかりをしている。

そこには、根深い「嫉妬心」がある。

しかし、高所得者は、自分の楽しみや好きなことに関心があり、結果として周りに楽しさや明るさを投げかけている。

これは高所得者だけでなく、精神的に豊かで、満たされている人も同じ。

本質的な人生の生き方として大事なことは、正しいか正しくないかではなく、「楽しいか楽しくないか」、「面白いか面白くないか」。

自ら光を発する人でありたい。

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押忍

今日の言葉 稽古 お知らせ

「修業」とは何らかの苦悩を伴いならが自分を高みに連れて行こうとする営み
━━━━━━━━━━━━━━
福島智(世界初・全盲ろうの東大教授)
月刊『致知』より
 
拳立て十六回です。
 
本日、私は予定通りに浜松半田道場、幼少年少女部、師範稽古に入ります。
宜しくお願い致します(^^)
 
11月3日(土・祝) 蒲郡道場 秋の無料体験会
11月4日(日) 浜松半田・浜松西伊場 秋の無料体験会
11月11日(日) 秋の支部合同稽古会
12月2日(日) 東三河昇級審査会
12月7日(金) 東三河追加審査会
12月11日(火) 西遠追加審査会
12月16日(日) 西遠昇級審査会
12月22・23日(土日) 冬の親睦合宿(定員12名、追加審査会有り)
12月25日(火) 稽古納め
1月7日(月) 稽古初め
1月13日(日) 支部内部試合(国際大会・全日本ウェイト制大会選考を兼ねる)
2月2・3日(土日)支部冬合宿(予定)
 
以上となります。
各行事の申込締切は基本的に各行事の1週間前までとなります。
(試合関係に関しましては締切が早まります。)
 
いつもお世話になりありがとうございます。
 
宜しくお願い致します(^^)
 
 
押忍                   石黒康之




2018年10月28日日曜日

今後の支部内部行事イベント日程です(^^)

お疲れ様です。
いつもありがとうございます(^^)

以下、今後の支部内部行事イベント日程となります。
門下生の皆様、何卒宜しくお願い申し上げます。

*****
11月3日(土・祝) 蒲郡道場 秋の無料体験会
11月4日(日) 浜松半田・浜松西伊場 秋の無料体験会
11月11日(日) 秋の支部合同稽古会
12月2日(日) 東三河昇級審査会
12月7日(金) 東三河追加審査会
12月11日(火) 西遠追加審査会
12月16日(日) 西遠昇級審査会
12月22・23日(土日) 冬の親睦合宿(定員12名、追加審査会有り)
12月25日(火) 稽古納め
12月26日(水)~1月6日(日) 道場冬休み
1月7日(月) 稽古初め
1月13日(日) 支部内部試合(国際大会・全日本ウェイト制大会選考を兼ねる)
2月2・3日(土日)支部冬合宿(予定)

以上となります。
各行事の申込締切は基本的に各行事の1週間前までとなります。
(試合関係に関しましては締切が早まります。)

いつもお世話になりありがとうございます。

宜しくお願い致します(^^)


押忍 石黒康之

移転引越し

本日、移転引越し作業無事に終了致しました。

皆さま、本当にありがとうございました!(^^)

心より感謝申し上げます。


押忍 石黒康之

不動明王

身口意

【「身口意」の法則】



空海密教阿闍梨、種市勝覺氏の心に響く言葉より…


密教とはなにか?

一言でいえば、仏教の中でも言葉では伝えられない秘密の教えのこと。

その中で最も重要なもののひとつが、「身口意(しんくい)」の法則です。


「身」…やっていること(行動)

「口」…言っていること(言葉・思考)

「意」…思っていること(心・意識・フォーカス)


です。

身口意の3つが揃っていれば、自分がやろうとしたことが成し遂げられる。

逆に、身口意がバラバラになっていれば失敗するというシンプルな法則です。


人生がうまくいかないのは、身口意がバラバラであるためにうまくいかないのです。

● 自分を変えたいと言いながら(口)、心の中で変化を怖がり(意)、新しい行動をしようとしない(身)

● 痩せたいと言いながら(口)、心の中でダイエットは辛いと思い(意)、好きなものを食べて運動もほとんどしない(身)


つまり、やっていること、口にしていること、思っていることがバラバラなのです。

逆に身口意が一致していればどうでしょうか。


● 新しい理想の自分が言う言葉を口にし(口)、心の中で新しい理想の自分をイメージできていて(意)、新しい理想の自分がやるべき行動を続けている(身)

● 痩せることを公言し(口)、心の中で本氣で痩せたいと思いながらダイエット後の自分の姿をイメージし(意)、食事の見直しや運動を重ねている(身)


身口意を一致させることができるだけで、心で望んだこと、頭で考えたことが自然と実現するのです。

あなたの現実は、すべて「身口意」によって形づくられるのです。


身口意を一致させるとなぜ、願いが成就するのか?

今の現実は、あなたが重ねてきた「身口意」の通りになっているからです。

あなたの身口意は、実は多くが自分で意識的に選んだものではありません。

自分で心に思い、言葉を話し、行動しているにもかかわらず、その身口意の選択はほとんどが無意識に動かされています。


実は、無意識の習慣が、今のあなたの現実をつくっているのです。

この無意識の習慣になっている「現在の身口意」を捉え「新しい身口意」を意識的につくっていくことで、あなた自身の心と思考・言葉、行動は変化していきます。

それが新しい無意識の習慣になれば、それが新しい自分と現実をつくることになります。


『「身口意」の法則』フォレスト出版




ものごとがうまくいかない人のほとんどは、「言っていること」と、「やっていること」が一致していない人。

その上、「思っていること」まで一致していなかったら、それは絶望的にうまくいかない。

「言行不一致」と呼ばれる人だ。


行動が鈍(にぶ)い人のほとんどが、考えすぎる人だ。

失敗したらどうしよう、まだまだ穴があるからもっと準備しなければ、と考えているうちに行動に移せない。


「草履片々、木履片々(ぞうりかたがた、ぼくりかたがた)」という黒田官兵衛の言葉がある。

人は、危急存亡のとき、駆け出して気がついたら、片足が草履で、片足がゲタの状態のときがある。

そんな準備不足のときでさえ、決して振り返らず、走り出さなければならないことがある、という意味だ。


織田信長が本能寺の変で急死を遂げたとき、秀吉は、岡山県の備中高松城攻めをしていた。

この情報を知り、「本能寺に一番乗りした者が天下を取る」と、黒田官兵衛が秀吉に進言し、発した言葉だ。

とにもかくにも、何が何でも、早く行動するべし、と。

その結果、即座に講和し、全軍を本能寺に向かわせた。

全行程200kmをたったの5日で移動するという、伝説の「中国大返し」を強行し、その後、明智光秀を討ち、天下人へと上りつめた。


「身口意」の法則の実践を重ねたい。



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押忍

追悼稽古

本日、極真 浜松三方原道場にて師範代の追悼稽古(三方原道場最終稽古)をおこないました。

本当に沢山のお弟子さん達が集まって下さり、
師範代もさぞかし喜んでくれているであろう事が手に取るように分かりました(^^)


明日は浜松三方原道場から浜松半田道場への移転引越し作業をおこないます。
(賃貸契約とお稽古の関係上どうしても10月最終末の土日と重なってしまい、
この週末東京で行われている第50回全日本大会を欠席せざるを得ない状況になってしまいまして大変申し訳御座いませんでした。
また快く欠席のご許可を頂きまして本当にありがとうございました、心より感謝申し上げます。)


本日も一日、お疲れ様でした、本当にありがとうございました。



押忍 石黒康之

追悼稽古

本日、極真 浜松三方原道場にて師範代の追悼稽古(三方原道場最終稽古)をおこないました。

本当に沢山のお弟子さん達が集まって下さり、
師範代もさぞかし喜んでくれているであろう事が手に取るように分かりました(^^)


明日は浜松三方原道場から浜松半田道場への移転引越し作業をおこないます。
(賃貸契約とお稽古の関係上どうしても10月最終末の土日と重なってしまい、
この週末東京で行われている第50回全日本大会を欠席せざるを得ない状況になってしまいまして大変申し訳御座いませんでした。
また快く欠席のご許可を頂きまして本当にありがとうございました、心より感謝申し上げます。)


本日も一日、お疲れ様でした、本当にありがとうございました。



押忍 石黒康之

極真空手 浜松西伊場 蒲郡 武道空手道場

極真空手 浜松西伊場道場 蒲郡道場


押忍

2018年10月27日土曜日

極真空手 浜松西伊場 蒲郡 武道空手道場

極真空手 浜松西伊場道場 蒲郡道場


押忍

【人生の折り返し地点を過ぎたら】

小林正観さんの心に響く言葉より…

人生には折り返し点があります。

寿命が80年の人は人生の折り返し点が40歳、寿命が70歳の人は折り返し点が35歳、ということです。

その折り返し点を過ぎたようだ、と自分で思える方があったら、次のことに意識を切り替えることをおすすめします。

旅をするときは、どこへ行くか、ではなく、誰と行くか。

食事をするときは、何を食べるか、ではなく、誰と食べるか。

語り合うときは、何を話すか、ではなく、誰と話すか。

ということが、実は幸せの本質。

自分が「人の間で生きていて幸せ」と思える、そういう人間関係の人たちと一緒に旅をすることができたら、田んぼのあぜ道で座っておにぎりを食べていても、幸せを感じます。

でも、どんなにいいところへ行っても、気の合わない人、価値観の違う人、例えば気に入らないことがあると、ホテルのフロントの人を怒鳴りつけるような人と一緒では、楽しくありません。

良き仲間とは、同じ方向を向いていて、同じ価値観で生きている人のこと。

同じ話題を笑顔で話せる人を良き仲間といいます。

私たちの場合は、「喜ばれるように生きている人」のこと。

その前段階で、「不平不満」を口にせず、「感謝」をいつもしている人のこと。

良き仲間に囲まれているだけで、天国。

年収何億円ももらっている、大会社の社長がいるとしましょう。

その人が幸せかどうかは、この人に良い友人がいるかどうか、です。

『「人生を楽しむ」ための30法則』講談社

類は友を呼ぶ、という。

自分のレベルが低かったら、低いレベルの友しか寄ってこない。

人生の折り返し地点を過ぎたら…

誰と行くか、誰と食べるか、誰と話すか、はとても大事なこと。

※人の心に灯をともす


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押忍

論語素読風景 空手 浜松 西伊場 極真空手 武道空手 幼少年少女部

https://youtu.be/WfrdjBoblRM


押忍

極真空手 石黒康之 瓦頭突き割り 瓦寸勁割り 動画

https://youtu.be/bWK4esRLG-I


押忍

「あたりまえ」の反対語は「ありがとう」

【あたりまえ】

あたりまえの幸せが
ほんとはあたりまえなんかじゃなく
生きてることさえ、あたりまえじゃない!

明日があることがどんなに幸せなことか

だいすきな仕事ができる身体と心も環境があることがどんなに
幸せなことか

ちょっと疲れたら横になれるふかふかなベッドがあることが
どんなに幸せなことか

朝起きたら、心臓が動いてて
伸びをして、深呼吸して
朝日を浴びることが
どんなに幸せなことか

何をするにも、必ず誰かの助けや支えがあることが
どーんなに幸せなことなのか。

とっくに気づいてるはずなのに
いちばん大切なことはおろそかにしがちだよ。

もっともっと、世界は地球は
愛にあふれてるんじゃないかなぁ。


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押忍