2023年4月30日日曜日
2023年4月29日土曜日
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2023年4月9日日曜日
2023年4月8日土曜日
2023年4月6日木曜日
「いじめている君へ」
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(byさかなクン)
中1のとき、吹奏楽部で一緒だった友人に、だれも口をきかなくなったときがありました。いばっていた先輩(せんぱい)が3年になったとたん、無視されたこともありました。突然のことで、わけはわかりませんでした。
でも、さかなの世界と似ていました。たとえばメジナは海の中で仲良く群れて泳いでいます。せまい水槽(すいそう)に一緒に入れたら、1匹を仲間はずれにして攻撃(こうげき)し始めたのです。けがしてかわいそうで、そのさかなを別の水槽に入れました。すると残ったメジナは別の1匹をいじめ始めました。助け出しても、また次のいじめられっ子が出てきます。いじめっ子を水槽から出しても新たないじめっ子があらわれます。
広い海の中ならこんなことはないのに、小さな世界に閉じこめると、なぜかいじめが始まるのです。同じ場所にすみ、同じエサを食べる、同じ種類同士です。
中学時代のいじめも、小さな部活動でおきました。ぼくは、いじめる子たちに「なんで?」ときけませんでした。でも仲間はずれにされた子と、よくさかなつりに行きました。学校から離れて、海岸で一緒に糸をたれているだけで、その子はほっとした表情になっていました。話をきいてあげたり、励ましたりできなかったけれど、だれかが隣にいるだけで安心できたのかもしれません。
ぼくは変わりものですが、大自然のなか、さかなに夢中になっていたらいやなことも忘れます。大切な友だちができる時期、小さなカゴの中でだれかをいじめたり、悩んでいたりしても楽しい思い出は残りません。外には楽しいことがたくさんあるのにもったいないですよ。広い空の下、広い海へ出てみましょう。
(byさかなクン)
2023年4月3日月曜日
半田山
2023・4・3・月曜日
極真空手浜松半田道場
師範稽古では4月から中学生の新規参加者、並びに新入門者の参加もあり、新年度にふさわしい稽古となりました!
お互いにがんばって参りましょう!^ ^
押忍
#極真空手
#浜松市
#浜松
#東区
#半田山
極真空手浜松半田道場
師範稽古では4月から中学生の新規参加者、並びに新入門者の参加もあり、新年度にふさわしい稽古となりました!
お互いにがんばって参りましょう!^ ^
押忍
#極真空手
#浜松市
#浜松
#東区
#半田山
2023年4月2日日曜日
【悟るとは、笑うこと】
小林正観さんの心に響く言葉より…
悩み苦しみは、自分の思いどおりにしようとすることから始まります。
すべてを肯定し、ありのまま受け入れることができれば、何も変える必要がなくなり、悩みが消えて自分自身が一番楽になれます。
笑うということは、肯定し、受け入れ、共鳴しているということです。
子供の通信簿を見て成績が全部1だったとき、「なんだ、この成績は」と叱ったりせず、「すごい。安定している!」と言って笑ったら、その子の成績を受け入れたことになります。
体が痛む人は、痛いから笑えないと言いますが、笑わないから痛いのかもしれません。
笑いは、心の悩みも体の悩みもなくしてくれる、ものすごい力を持っているのです。
悟るとは、笑うことなのです。
また、悟るとは、受け入れることです。
受け入れるというのは、まず自分のことを受け入れることから始まります。
自分を受け入れていない人は、自分をどこかで否定している人、許していない人です。
そのままの自分を愛することができず、ここは好きだけど、ここは嫌い、こういうことをしてしまう自分は許せない、と自らを批判したり論評したりしている。
そのような人は、目の前の現象(つまり、神さま)や他人に対しても同じ厳しさで見るため、やはり評価、論評をしてしまい、すべてをありのままに受け入れることができません。
一方、自分のことを好きな人は、よいところも未熟なところも含めて自分のすべてを認めて心が満たされていますから、他人が何をしていても、人からどう評価されても気になりません。
周りで起きる出来事にもいちいち反応することがなくなり、とても楽なのです。
自分のことを好きだと思えた瞬間、心が温かくなり、幸せな気持ちになって、思わず笑みがこぼれます。
『なぜ、神さまを信じる人は幸せなのか?』イーストプレス
https://amzn.to/3m0I5x6
行徳哲男師は、「人は、肯定的になったときだけ、冒険的になれる」という。
すると、夢や希望を持つ事ができ、元気が出てくる。
反対に、否定的になったときは、人は失敗を恐れ、チャレンジをしなくなる。
できない理由を探し、夢や希望を打ち砕く。
そもそも人は、「できる方法を探す」より、「できない理由を探す」ほうが簡単だ。
「無理だ」「ダメだ」「できない」と、否定だけしていればいいからだ。
肯定的な人は「笑い」が多い。
そして、いつも機嫌がいい。
否定的な人は笑わない。
そして、いつも不機嫌だ。
誰かが突拍子もない意見を言ったとき、それを「面白がったり」「大笑いする」人はそれを肯定している。
「笑う」ことは、それを「受け入れている」ことだからだ。
また「笑い」は、許しでもある。
「まあ、仕方ないな」と笑って許す。
ご破算(はさん)にすること、リセットするということだ。
自分に起こる様々な出来事(病気や事故やトラブルも)を、「(なるほど)そうなりましたか」「そうきましたか」と、笑って淡々と受け入れることを悟りという。
「悟るとは、笑うこと」という言葉を胸に刻みたい。
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小林正観さんの心に響く言葉より…
悩み苦しみは、自分の思いどおりにしようとすることから始まります。
すべてを肯定し、ありのまま受け入れることができれば、何も変える必要がなくなり、悩みが消えて自分自身が一番楽になれます。
笑うということは、肯定し、受け入れ、共鳴しているということです。
子供の通信簿を見て成績が全部1だったとき、「なんだ、この成績は」と叱ったりせず、「すごい。安定している!」と言って笑ったら、その子の成績を受け入れたことになります。
体が痛む人は、痛いから笑えないと言いますが、笑わないから痛いのかもしれません。
笑いは、心の悩みも体の悩みもなくしてくれる、ものすごい力を持っているのです。
悟るとは、笑うことなのです。
また、悟るとは、受け入れることです。
受け入れるというのは、まず自分のことを受け入れることから始まります。
自分を受け入れていない人は、自分をどこかで否定している人、許していない人です。
そのままの自分を愛することができず、ここは好きだけど、ここは嫌い、こういうことをしてしまう自分は許せない、と自らを批判したり論評したりしている。
そのような人は、目の前の現象(つまり、神さま)や他人に対しても同じ厳しさで見るため、やはり評価、論評をしてしまい、すべてをありのままに受け入れることができません。
一方、自分のことを好きな人は、よいところも未熟なところも含めて自分のすべてを認めて心が満たされていますから、他人が何をしていても、人からどう評価されても気になりません。
周りで起きる出来事にもいちいち反応することがなくなり、とても楽なのです。
自分のことを好きだと思えた瞬間、心が温かくなり、幸せな気持ちになって、思わず笑みがこぼれます。
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行徳哲男師は、「人は、肯定的になったときだけ、冒険的になれる」という。
すると、夢や希望を持つ事ができ、元気が出てくる。
反対に、否定的になったときは、人は失敗を恐れ、チャレンジをしなくなる。
できない理由を探し、夢や希望を打ち砕く。
そもそも人は、「できる方法を探す」より、「できない理由を探す」ほうが簡単だ。
「無理だ」「ダメだ」「できない」と、否定だけしていればいいからだ。
肯定的な人は「笑い」が多い。
そして、いつも機嫌がいい。
否定的な人は笑わない。
そして、いつも不機嫌だ。
誰かが突拍子もない意見を言ったとき、それを「面白がったり」「大笑いする」人はそれを肯定している。
「笑う」ことは、それを「受け入れている」ことだからだ。
また「笑い」は、許しでもある。
「まあ、仕方ないな」と笑って許す。
ご破算(はさん)にすること、リセットするということだ。
自分に起こる様々な出来事(病気や事故やトラブルも)を、「(なるほど)そうなりましたか」「そうきましたか」と、笑って淡々と受け入れることを悟りという。
「悟るとは、笑うこと」という言葉を胸に刻みたい。
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2023年4月1日土曜日
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