東京大学大学名誉教授・医師、矢作直樹氏の心に響く言葉より…
戦後の日本は米軍人と米民間人の多数によって組織されたGHQ(連合国軍最高司令官総司令部)の支配下で見事にコントロールされていました。
彼らは今次大戦でアメリカを窮地に追い込んだ日本が二度と立ち上がれないようにとさまざまな仕かけを施しました。
その中で「War Guilt Information Program(WGIP:戦争犯罪宣伝計画「戦争についての罪悪感を日本人の心に植えつけるための宣伝計画」)という思想工作が徹底して行われました。
それは日本人にかけられた強い洗脳でした。
このプロジェクトに基づいて日本は戦後、「ナショナリズムは危険である」「戦前の日本人は全部間違っていた」と、日本人としての歴史や誇りに至るまでそのすべてを捨てさせられました。
壮大なプロジェクトの結果、教育観、仕事観、経済観、家族観、さまざまな局面で時間の経過とともに強まったのが「利己主義」です。
社会全体の利益ではなく、まずは個別の利益を求める風潮は、私たち日本人に広まってしまいました。
他者とともに生きていくのではなく、まずは自分が生きることを優先する。
徹底した競争主義、区別と差別の混同、格差の拡大を厭(いと)わない空気(競争の結果として当然と考える)、あまりにも強欲な市場経済至上主義とそれを支持する日本人たち…「我が、我が」という我欲に満ちた今の社会こそ、戦後の日本管理を一手に握ったアメリカのシナリオが見事に実現した結果であり、彼らが創造したものこそ「日本人らしくない日本人」でした。
長年、いろいろな組織で働いていると、空気の読めない人が増えたなと感じますが、自己主張という言葉の意味を正しく理解できない日本人が増殖していることは、この利己主義が代々、徹底して作用している証拠だと考えます。
日本人が戦争終結にホッとして戦前のすべてを害毒として捨て去ってしまおうとした庶民感覚は十分理解します。
私も含めて現在の社会で働いている人間の大半が戦後生まれですから、戦争中、いかに大変だったかを実体験していない分、本当の辛さを知ることはできません。
しかしながら道徳を含めた教育の徹底というカリキュラムまでも全部捨て去ってしまって、アメリカのソフトを輸入・依存したことはとても問題です。
日本の教育現場では、親の大切さ、国(郷土)を想う心、日本の歴史、友人のありがたみ、お互いさまの心、おかげさまの気持ち、本当に大切なことを若い世代に教えていました。
1990年代から2000年代にかけて世間を騒がせたオウム真理教の事件に代表されるように、ある領域ではよく働く頭脳を持っている人間たちが闇に取り込まれていく様を見ていると、人間の弱さを痛感すると同時に人を支配することの怖さが身に沁みます。
その根底には「自分を否定する感情」があります。
自分を否定し続けると、人間は外的な影響でいかようにも変化します。
変化すると言うより、「変化させられる」と言ったほうが正しいでしょう。
洗脳というのはそのプロセスのことです。
これは仕事に責任感が持てない気持ちと同じです。
自分への自信のなさの裏側には、外部評価の奴隷となっている自分がいます。
他者からどんなふうに思われているのか、他者が自分のことをどう考えているのか、それが気になって仕方がないのです。
支配しようとする側は、相手のそんな弱い部分につけ込みます。
こういう構図そのものが、日本人には相容れない図式です。
構図の中心には「自虐史観(じぎゃくしかん)」がありますが、日本人は全部ダメだった、アメリカが正しいから従おう、皆考え直さないとダメだ、戦後に植えつけられたそんな思想が時間を追うごとに強まり、弱くなった気持ちに海の向こうからやって来た新しい価値観が導入され、現在のように実にいびつな国家が形成されました。
それでも私はそこまで歪んだ意識を植えつけてくれたアメリカに、内心感謝しています。
なぜならようやくアメリカ型の支配管理手法がいかに矛盾に満ちたものだったかと世界中が気づき始め、日本人も遅ればせながらようやくそこに気づき、本来の日本人として目覚めようとしているからです。
若い世代ほどそのスピードが速いなと感じます。
長年、日本人を洗脳し続けた自虐史観という存在は、まさに反面教師として、日本人をあるべき方向に戻してくれる装置だったのでしょう。
これもアメリカのお役目だったのかなと思わざるを得ません。
さらに日本の救いは天皇陛下がいらっしゃることです。
天皇というお立場は「国民の幸せと国家の平和を祈る最上位の人」です。
東日本大震災から一年が経った日の式典における天皇陛下の言葉はずしりと響きました。
有事を想定していない歪(いびつ)で不自然な憲法、すぐに混迷を極める政治、享楽に走りがちな国民、周辺国からの経済圧力、どんなに行き詰った状況でも、天皇陛下は日本国民と日本国のために日々祈って来られました。
私たちは今こそ、その御姿に真摯(しんし)に学ぶべきだと思います。
自分がやるべきことをしっかりやる。
迷わずに行う。
お役目を果たすということは、そういうことではないでしょうか。
『ご縁とお役目』ワニブックスPLUS新書
ケント・ギルバート氏は「愛国心」についてこう語る。
『100%の確信をもって断言しますが、現代の日本人は「愛国心」という言葉に対して、何かしらの抵抗感を持っています。
読者の中に、子供時代から現在に至るまで、「私は愛国心を持っています」と言い続けた日本人が何人いるでしょう。
戦後生まれであれば、よほど愛国心の強い両親に育てられ、学校の教師や友人など、環境にも恵まれた人でないかぎり難しいと思います。
ほとんど全滅に近いのではないでしょうか。
ちなみに一般的な家庭で健全に育った米国人であれば、「あなたは米国に愛国心を持っていますか?」という質問に対して、ほぼ全員が、「はい。私は子供時代からずっと、米国に愛国心を持っています」と即答するはずです。
幸い私も、そのような極めて一般的な考えを持つ米国人の一人です。
だから日本人の愛国心への抵抗感を見ると、とても奇異に映るのです。
「愛国心」という言葉を使うのは後ろめたく、カッコ悪いことだと思っている日本人は、世界に出かけた場合には、逆にバカにされたり、大恥をかいたりしてしまうかもしれません。
世界のほとんどの国では、自然に愛国心を表明することが、ごく当たり前だからです。
むしろ、「愛国心はありません」などと平気で答える人のほうが、多くの場合、世界中で奇異な目で見られて、信頼を失ってしまうことを、日本の皆さんは知っておくべきです。』(ついに「愛国心」のタブーから解き放たれる日本人 /PHP新書)
まさに、「愛国心」という言葉を言うことに対して後ろめたさを感じさせる教育が、戦後のアメリカによる自虐史観の教育。
「愛国心」とは、たとえば、サッカーの国際試合で、外国と日本のチームが戦っているとき、日本のチームを自然と応援するようなこと。
あるいは、自分の生まれ育った町や村、地域を愛するような郷土愛とも似ている。
ちなみに愛国心は「ナショナリズム」であり、郷土愛は「パトリオティズム」という。
今こそ我々は、戦後の自虐史観の呪縛から逃れ、「親の大切さ、国(郷土)を想う心、日本の歴史、友人のありがたみ、お互いさまの心、おかげさまの気持ち」という、日本のよき価値観を自信を持って取り戻したい。
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