【修行はどこでもできる】
小林正観さんの心に響く言葉より…
「今生で向上するぞ」とか「人格を磨くぞ」なんて決意をする必要はありません。
だって必ず(その機会は)やってきますから。
だから向上するぞ、なんて考えなくていいですから、ただひたすら〈不平不満、愚痴、泣き言、悪口、文句〉を言わないで、起きてくる現象を、「私」がいかに楽しく笑顔でとらえられるか、という訓練なんだっていうことをわかってください。
だから、人格向上っていう意味とはちょっと違うところへいってしまうんですけど、 目の前にある現象がイヤなものではなくて、実は、嬉しさや楽しさ、幸せを内在しているものなんだって見抜く訓練なんですね。
「不幸や悲劇は存在しない。そう思う心があるだけだ」って言ったのはフランスの思想家ですけれども、私はそこにもうひとつ付け加えて言います。
「幸福という名の現象も実は存在していない。そう思う心があるだけ」なんです。
だから「向上するぞ」なんて気合いを入れなくていいんです。
ただ、次から次へとやってくる現象に対して、どんなことがやって来ても、愚痴を言わない。泣き言を言わない。
落ち込まない。
それから相手を攻撃しない。
非難しない。
中傷しない。
それを笑顔で受けとめて「あー、これが私の人生なんだもんね」って思って、笑顔で生きていくことが今生でのテーマなんです。
で、さらにもう一歩進んで「日常生活を笑顔で生きて、人に喜ばれる存在になりましょう」ってことです。
その人の口から出てくる言葉が、不平不満、中傷や非難ではなくて、 その人から出てくる言葉が温かくて明るくて、人を励まし力づけるものであれば、その人はさらに喜ばれる存在になりますね。
だから、そういう意味での努力が必要なのかっていうと、そういうふうに努力はした方がいいと思いますけど、"~ねばならない" のではなくて、そのように自分の言葉をコントロールし始めると、自分の周りの世界がどんどん変わっていって、自分自身が心地良くなりますから、結果として、これは〈ベき論〉ではなくて、自分にとって楽しいからする、それだけのことです。
楽しさをよしとする、心地良いのが楽しいと思う人は、そちらに踏み込めばいいですし、幸せも喜びもいらないという人は、不平不満を言い続けていけば、それはそれでいいんですね。
ただ、周りの人はどんどん去っていきます。
心ある人は全然寄って来ませんから。
本当に心が温かく、優しくて、いつも幸せな笑顔に満ちている人は、この人の(嬉しい〉とか〈幸せ〉とかって言葉に相応して人が集まってきます。
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京セラの稲盛和夫氏は、「人間が生きている意味」、「人生の目的」についてこう語っている。
それは、「心を高める」ことであり、「魂を磨く」こと。
そして、「この世に何しにきたのか」と問われれば、「生まれたときより、少しでもましな人間になる、すなわち、わずかなりとも美しく崇高な魂を持って死んでいくためだ」という。
心を高め、魂を磨くことは、何も、滝に打たれたり、お遍路(へんろ)さんとかに行ったりしなくてもできるという。
それが、不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句という「五戒」を言わない修行。
日常生活に起こるちょっとしたトラブルや、嫌なこと、面倒なこと、がっかりすること、文句を言いたくなること、などが起きたときに、「五戒」を言わないこと。
さらに言うと、皮肉を言ったり、相手の気持ちを冷やすようなことを言わず、笑顔で相手を喜ばせるような言葉(愛語)をいうこと。
そして、どんなときでも、ニコニコして機嫌よくいられるか。
これこそが、我々がこの世に生まれてきた本当の意味。
「修行はどこでもできる」
五戒を言わず、いつもニコニコして機嫌よくいられる人でありたい。
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