本日、23歳で分支部道場の御許可、開設をさせていただいた当時の記憶が鮮明に甦って参りました、、、
極真会館 総本部 内弟子3年間(千日修行)の修行を終え、地元浜松で競技選手としての頂点を目指し、アルバイト生活をしながら大会に重点をおいていた23歳の私、、
(当時(1990年代)の極真会館では、競技選手を目指す人はほぼ全員が例外なくあえて定職に付かず、アルバイトをして生活費を稼ぎ、時間を捻出し、若き青春の全エネルギーをただただ試合に勝つ、大会で優勝する、という一点に絞り込んでの稽古生活を送り、全てを投げ打って人生を賭けて極真空手一筋の生活を送っておりました。)
そんな23歳の私に、大石代悟師範が、
「康之、、お前は総裁の内弟子修行を全うしたんだから、静岡支部の分支部道場をやって、しっかりと生活の基盤を築きなさい、、」
と、当時の私にとって、まさに天にも登る様なお言葉をかけて頂き、二つ返事でお願いをさせて頂きました。
大チャンスを頂きまして、本当にありがとうございました、感謝しても感謝しきれない気持ちで一杯です。
しかしながら、右も左も分からない、社会の厳しさも何も知らない23歳の私、、
嬉しさのあまり、分支部開設のお許しを頂いたのも束の間、どの様に道場を開いてよいのかも定まらず、日々不安と希望の狭間をいったり来たりしていたのを鮮明に思い出します。
そんな時、高校生時代より、愛読していた、渡部昇一先生の御著書を読み返していた折、渡部昇一先生の講演会を東京でお聴きする機会を頂きました。
(当時のアルバイト生活では浜松から東京への交通費もままならず、夜行バスで東京へ向かったのを懐かしく思い出します。)
一通り、渡部昇一先生の講演会をお聴きし、講演会も無事に終了、、
社会性も何もない、若造の私は、どうしてもこのまま、浜松へ帰るのが勿体なく(笑)、、講演会主催者の方に頭を下げ頼み込み、渡部昇一先生の控室に通して頂き、そこで初めて先生とお話しをするチャンスを頂きました。
以下がその時の会話の内容となります。
☆石黒:
「先生、私は地元浜松で極真空手の道場の開設の許可を頂いたのですが、これからの日本で、空手道場はどの様な役割りを果たしていくと思われますか?」
☆昇一先生:
じっくりと目を瞑り、うぅ〜ん、と天を仰ぎ考え込みながら、、、
「石黒君、、私には、それはよく分からない、しかし、君が何かしらの使命を持って(感じて)道場をやるのなら、それはきっと必ず日本のためになります。」
とお答えくださったのです。
23歳の私には感謝感激の言葉以外あろうはずがありません。
しかも、あの知の巨匠の渡部昇一先生が、
「分からない」とはっきりとお答えくださった事にさらに感動したのを思い出します。
「わからない事はわからない」とはっきりと言う。
なかなか出来る様で出来る事ではないと、思うのです。
果たして、51歳の私に、「わからない事はわからない」とはっきりと言えるのだろうか、、と。
知らざるを、知らずと為す、是知るなり
論語 孔子先生
本日は昔(初心)を思い出した良き一日でありました。
駄文、長文にお付き合い頂きまして、誠にありがとうございました。
押忍 石黒康之
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