ある高等学校でのことだそうです。
夏休み、水泳大会が催されました。
そのプログラムの中に、学級対抗のリレーが組み入れられました。
ある学級で、リレー選手を誰にするか、学級会が行われました。三人まではすぐ決まりましたが、残りの一人を誰にするかで紛糾しました。
そのとき、「『A』に出てもらおう!」と叫んだ者がありました。
いじめグループの番長の叫びでした。『A』さんというのは、女生徒で、しかも、小児マヒで、不自由な体の生徒でした。とても、泳げるような体ではありませんでした。『A』さんを泳がせて、笑いものにしようという番長の意図だったのです。
それなのに、一人も反対する者はいませんでした。
それどころか、「そうだ!」「そうだ!」「『A』に出てもらおう!」という声が、湧きおこりました。
番長に逆くと、どんなことになるか、それを知っている番長の手下たちの叫びだったのです。
当日です。プログラムが、学級対抗のリレーに移りました。『A』さんの泳ぐ番になりました。残酷なことです。
一メートル進むのに何分もかかる有様です。
まわり中から冷笑の声が湧きました。その中を『A』さんは必死で泳ぎました。
そのときです。背広のままプールにとび込んだ人がありました。
「つらいだろうが、がんばってくれ!」「つらいだろうが、がんばっておくれ!」と、一緒に、泣きながら進みはじめました。
罵声、冷笑がピタリとやみました。励ましの声に変わりました。
『A』さんが、長い時間をかけて、二十五メートルを泳ぎぬいたとき、先生も生徒も、一人残らず、泣きながら『A』さんをたたえました。
プールの中にとび込んだ人は、その高校の校長先生でした。
みんなの笑い者になりながら、必死で泳いでいる『A』さんを見ると、見るに忍びず、そうせずにはおれなかったのです。
その高校にもあった「いじめ」は、ピタリと止んだそうです。
校長先生の、「ことば」を超えた、「身」の叫びが、学校を変えたのです。
(出典 東井義雄著『喜びの種をまこう』(柏樹社)133頁
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