【幸せは自分でなるもの】
斎藤一人さんの心に響く言葉より…
「私、しあわせじゃない」っていう人は、しあわせのレベルが高いんです。
たとえば、奥さんが一生懸命レンジでチンしたご飯を出してるところ、旦那が「ちゃんと料理を作らないで、ナマケてる」って思った瞬間、バトルがはじまる。
だから、自分のなかのしあわせのレベルをちょっとさげればいいんです。
「毎日、ご飯が食べられてありがたい」とかさ。
それから、私なんかはよく「親がゴキブリじゃなかっただけで、ありがたい」 っていうんです。
だって、もし、親がゴキブリだったら、自分もゴキブリだった。
今ごろスリッパでたたかれてるとこだったんだよ。
親がゴキブリじゃなかっただけでも、ありがたいね(笑)。
それから、いろんな人を見て、「あの人はああいう性格だから、私、ガマンできないのよ」とか、いろいろいう人がいるんだけど。
自分がそういう性格に生まれなかっただけで、ありがたいの。
ホントだよ。
もし、自分がそういう性格に生まれてきちゃってたら、自分はどうなってただろうって、考えてみてごらん。
嫌でしょ。
そしたら、そうじゃなく生まれてこれたのって、ありがたいじゃん。
そうやって、小さいことに感謝してると、毎日しあわせだよ。
それで、人って、感謝しようと思えば、いくらでも感謝できるんです。
人が心満たされないのは、「誰かが自分のためになにかをしてくれたらいい」と思ってる。
ただ待ってたって、なにもはじまらないよ。
しあわせというのは、自分でなる、ものなんだよ。
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小林正観さんはこう語る。
『生まれてからずっと目が見えない人は、「1秒でもいい、いや0.1秒でもいいから、親の顔を見てみたい」「結婚した相手の顔を見てみたい」「子どもの顔を見てみたい」と思いながら生きているそうです。
私たちは、0.1秒どころが、生まれてこのかた目が見えないことなどないにもかかわらず、目が見えるということに対して、感謝することなどまずありません。
それどころか、「あれが欲しい」「これが欲しい」「あれをよこせ」「これをよこせ」と現状に対して不満ばかり口にしています。
私たちは小さい頃から、足りないものをリストアップして、それを手に入れなければ幸せになれないと教え込まれています。
そのように洗脳されているのです。
「自分がいかに恵まれているか」「自分がいかに幸せか」「自分がいかにありがたい状況に生きているか」ということに気づいたら、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」の「五戒」など口から出てきません。
願いがかなったら、望んだものが手に入ったら感謝する、というのは、本当の感謝ではありません。
何も要求することなく、不平不満を言うこともなく、いま目の前にあるものをありがたく味わう。
それこそが、本当の「感謝」なのです。
人は、自分がいかに幸せな状況のなかで生きているのかに気がつきません。』(人生は4つの「おつきあい」/サンマーク出版)より
我々は、つい目の前にある幸せに気づかずに、不平不満や文句を言ったり、泣き言を言ったりしてしまう。
もっと、「いい車に乗れたら」、「お金が手に入ったら幸せだ」とか、「人間関係がよくなったら」、と「もっと、もっと」と求めてしまう。
「目が見えて幸せ」、「耳が聞こえて幸せ」、「歩くことができて幸せ」、「食事をすることができて幸せ」と、今ある幸せに気づくこと。
「幸せは自分でなるもの」
今、目の前にある幸せに気づき…
感謝の日々を過ごしたい。
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