プロフィール

2020年4月28日火曜日

今回のコロナ騒動により完全に露呈してしまった、戦後、GHQによる占領政策の大成功、、、


まさか、日本人がここまで平和ボケしてしまっていたとは、、

(勿論、自分もです! 猛省いたします。)


しかしながら、今からでも遅くはない。


今この時しか、立ち上がる時はない!


押忍      石黒康之

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「日本は2025年に下り坂を終え、再興する。
そして、2050年になって、はじめて世界は日本が再興したことを評価する」

森信三先生


「日本は2025年に立ち上がるであろう。
しかしその再起再生の原動力になるのは、二宮尊徳の教えに基づくほかない。
二宮尊徳の、至誠、勤労、分度、推譲の教えを、あらためて国民全体で学び、実践する必要があると思います。
明るい未来を築くには、我々国民自身の努力以外に道はないということですね。」

森信三先生

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以下、Wikipediaより

「至誠」
道心にそったこころの状態を報徳教では誠とよぶ。この誠は儒教で言うところの徳や仁という概念に等しいものである。つまり、大極にたいして積極的に向かっていく暮らしとは、まず誠を尽くしたものでなければならない。我の心を大極と積極的にかかわる状態、つまり誠・徳・仁の状態に置くことを「至誠(しせい)」とよび、至誠がまず実践の第一をなす。


「勤労」
この至誠の状態で日常生活のすべての選択を行っていくことを「勤労(きんろう)」とよぶ。至誠がこころの状態をさすのに対し、勤労はそれが行動になって現れた状態をさすのである。そのため、勤労とは働くことを含むが単に働くことをさすのではない。


「分度」
勤労することで日常のすべての行動が誠の状態から行われるため、当然それは消費活動にも現れる。無駄がなくなり、贅沢を自ずから慎むようになる。これを「分度(ぶんど)」という。つまり、分度とはけちをすることではなく、至誠から勤労した結果に自然と使わざるをえないもののみを使うということを意味する。


「推譲」
そして、最後に分度して残った剰余を他に譲ることを「推譲(すいじょう)」とよぶ。分度と同様に、推譲は単なる贈与なのではなくて、至誠・勤労・分度の結果として残ったものを譲ってはじめて推譲になるのである。

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