皆様、本年(2021年)一年大変お世話になり、誠にありがとうございました。
来年(2022年)も何卒宜しくお願い申し上げます。
押忍 石黒康之
#ゆく年くる年
#行く年来る年
2021年12月31日金曜日
2021年12月30日木曜日
2021年12月29日水曜日
2021年12月28日火曜日
2022極真祭
2022年4月16日(土)東京体育館にて開催される「2022 極真祭」、出場選手募集!
http://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/12/28/kyokushin_sai_01/
http://www.kyokushinkaikan.org/ja/news/2021/12/28/kyokushin_sai_01/
2021年12月27日月曜日
2021年12月26日日曜日
2021年12月25日土曜日
稽古納め 大掃除
2021年12月24日金曜日
メリークリスマス
メリークリスマス!^ ^
今年最後のオンライン稽古となりました。
クリスマスイブに稽古をしていてメイウェザーの言葉を思い出しました。
「お前が休んでいる時、俺は練習してる。
お前が寝ている時、俺は練習している。
お前が練習している時、もちろん俺もハードな練習をしている。」
メイウェザー(プロボクサー)
今年最後のオンライン稽古となりました。
クリスマスイブに稽古をしていてメイウェザーの言葉を思い出しました。
「お前が休んでいる時、俺は練習してる。
お前が寝ている時、俺は練習している。
お前が練習している時、もちろん俺もハードな練習をしている。」
メイウェザー(プロボクサー)
攻撃は最大の防御なり
突然、右腕であった師範代を亡くしてから丸3年、、、
未だ現実を受け止められない(現実から目を背けている)私がおります。
本日、道場有段者名札を蒲郡道場に設置している最中、その事を痛感し、気付かされました。
(度重なる道場移転での名札紛失、名札未作成になってしまっている黒帯の皆様、大変申し訳御座いません、早急に作成させて頂きます。)
3年間、、、約1000日
停滞は後退なり
(現状維持は後退である)
もう、現実逃避する事なく、現状をしっかりと受け入れ、
年明け2022年からは道場開設当初の、あのギラギラした心を取り戻し、攻めの姿勢で、攻めて攻めて攻めまくって参ります。
攻撃は最大の防御なり!
押忍! 石黒康之
#有段者
#名札
#極真空手
未だ現実を受け止められない(現実から目を背けている)私がおります。
本日、道場有段者名札を蒲郡道場に設置している最中、その事を痛感し、気付かされました。
(度重なる道場移転での名札紛失、名札未作成になってしまっている黒帯の皆様、大変申し訳御座いません、早急に作成させて頂きます。)
3年間、、、約1000日
停滞は後退なり
(現状維持は後退である)
もう、現実逃避する事なく、現状をしっかりと受け入れ、
年明け2022年からは道場開設当初の、あのギラギラした心を取り戻し、攻めの姿勢で、攻めて攻めて攻めまくって参ります。
攻撃は最大の防御なり!
押忍! 石黒康之
#有段者
#名札
#極真空手
2021年12月23日木曜日
西伊場道場 水曜日合同部
極真空手・浜松西伊場道場・水曜日・合同部
担当指導員 川瀬健太郎 初段
稽古、大掃除、誠にありがとうございました、お疲れ様でした!
最近、真面目、ジメジメに陥っていたところ、川瀬先生のユーモア写真で救われました。笑
ありがとうございました!
押忍^ ^
#極真空手
#浜松市
担当指導員 川瀬健太郎 初段
稽古、大掃除、誠にありがとうございました、お疲れ様でした!
最近、真面目、ジメジメに陥っていたところ、川瀬先生のユーモア写真で救われました。笑
ありがとうございました!
押忍^ ^
#極真空手
#浜松市
2021年12月22日水曜日
クリスマス会

2021・12・22・水曜日
極真空手・豊橋道場・クリスマス会
https://ishigurodojo.co.jp/post-25283
人間、死ぬ時に思い出す事は、案外、些細な楽しかった事なんじゃないのかなぁ〜、と最近心底思います。
少なくとも、私は死ぬ間際、細やかな楽しかった事だけを思い出しながら死んでいきたい。
子供たちの脳裏に少しでも楽しい想い出が残ってくれたら嬉しいです。
押忍^ ^
#クリスマス会
#極真空手
#豊橋市
2021年12月21日火曜日
大食は強運なり
大食は強運なり
大山倍達総裁
本日、昼食は鴨せいろとミニ鉄火丼で栄養補給を致しました!(^^)
2022年年明けすぐ、スタートダッシュがきれる様、年内にやるべき事は全て終わらせる様に、本日も努力致します。
押忍^ ^
#鴨せいろ
#2022年
#極真空手
大山倍達総裁
本日、昼食は鴨せいろとミニ鉄火丼で栄養補給を致しました!(^^)
2022年年明けすぐ、スタートダッシュがきれる様、年内にやるべき事は全て終わらせる様に、本日も努力致します。
押忍^ ^
#鴨せいろ
#2022年
#極真空手
浜松半田道場
本日、浜松半田道場、幼少年少女部師範稽古、2021年内最後となりました。
(合同部、他道場稽古はまだまだ稽古が御座います。奮って参加して下さいね!^ ^)
幼少年少女部では、毎年恒例のクリスマス会
師範稽古では、基本稽古と参加者全員で手合わせを行い、年末大掃除まで行いました!
また入門者もあり、新しい年、2022年へ向け気持ちが引き締まりました。
本日も一日、お疲れ様でした、ありがとうございました。
押忍^ ^
#極真空手
#浜松市
2021年12月20日月曜日
無料体験ご予約1ヶ月待ち
有難い事に、只今、浜松西伊場道場への体験入門お申し込みご予約を多数頂いている状態であります。
次回、浜松西伊場道場体験申し込みご予約可能日は1月29日土曜日〜 となっております。
極真空手 静岡西遠・愛知東三河支部 他道場に関しましては、年明け(道場冬休み明け1月7日)より、随時体験入門のご予約受付が可能な状態で御座います。
年が明け、暖かくなるに連れて、体験入門へのお申し込みご予約が増えて来るであろうと予想されます。
大変恐縮では御座いますが、体験入門をご希望の方は、
お早目にご予約、お申込みのご連絡を頂けましたら大変助かります。
何卒宜しくお願い申し上げます。
いつも本当にありがとうございます。
押忍 石黒康之
#体験
#入門
#極真空手
#浜松市
#蒲郡市
#豊橋市
#豊川市
有難い事に、只今、浜松西伊場道場への体験入門お申し込みご予約を多数頂いている状態であります。
次回、浜松西伊場道場体験申し込みご予約可能日は1月29日土曜日〜 となっております。
極真空手 静岡西遠・愛知東三河支部 他道場に関しましては、年明け(道場冬休み明け1月7日)より、随時体験入門のご予約受付が可能な状態で御座います。
年が明け、暖かくなるに連れて、体験入門へのお申し込みご予約が増えて来るであろうと予想されます。
大変恐縮では御座いますが、体験入門をご希望の方は、
お早目にご予約、お申込みのご連絡を頂けましたら大変助かります。
何卒宜しくお願い申し上げます。
いつも本当にありがとうございます。
押忍 石黒康之
#体験
#入門
#極真空手
#浜松市
#蒲郡市
#豊橋市
#豊川市
2021年12月19日日曜日
2021年12月18日土曜日
しびれる
何にしびれるかによって、
その人は決まる。
中江藤樹は論語と王陽明にしびれていた。
人間は本物にしびれなければならない
――――――――――
安岡正篤(東洋思想家)
致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
#致知
#致知出版社
#極真空手
その人は決まる。
中江藤樹は論語と王陽明にしびれていた。
人間は本物にしびれなければならない
――――――――――
安岡正篤(東洋思想家)
致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
#致知
#致知出版社
#極真空手
2021年12月17日金曜日
極真道場訓
極真道場訓
大山総裁座右の銘十一箇条
読み込めば読み込むほど、奥が深く、実践(行動)していくのが難しい。
難しいからこそ、常に読み返し、魂の奥底に落とし込まなければならない。
特に、道場訓は何度読んでも、人種、国境、宗教、民族の垣根を超越されている教え。
極真空手は本当に素晴らしい
#道場訓
#座右の銘
#極真空手
大山総裁座右の銘十一箇条
読み込めば読み込むほど、奥が深く、実践(行動)していくのが難しい。
難しいからこそ、常に読み返し、魂の奥底に落とし込まなければならない。
特に、道場訓は何度読んでも、人種、国境、宗教、民族の垣根を超越されている教え。
極真空手は本当に素晴らしい
#道場訓
#座右の銘
#極真空手
オンラインレッスン
夜になり、突風と雨に見舞われ、急に冷え込んで来た今日の浜松
こんな時は自宅から稽古参加可能なオンライン稽古の強みが一気に発揮されますね!
一度進化した便利な文明は退化する事なく進化あるのみ!
オンライン稽古の更なる進化発展に挑戦して参ります。
押忍!
#オンライン
#online
#リモート
#remote
#極真空手
#kyokushinkarate
こんな時は自宅から稽古参加可能なオンライン稽古の強みが一気に発揮されますね!
一度進化した便利な文明は退化する事なく進化あるのみ!
オンライン稽古の更なる進化発展に挑戦して参ります。
押忍!
#オンライン
#online
#リモート
#remote
#極真空手
#kyokushinkarate
ヨイトマケの唄
「ヨイトマケの唄」
美輪さんは、ある日手違いで
炭鉱町で唄うことになります。
顔を真っ黒にした炭鉱労働者は、
安い賃金の中からチケットを買って、
聴きに来てくれたことに感動すると同時に、
キラキラの衣裳を着た自分自身が
恥ずかしく思い、
「炭鉱で汗を流す労働者を
励ます歌を作ろう!」
そう考えたそうです。
曲の発想は、
美輪明宏さんの小学生時代の記憶。
小学生の低学年の頃、
父兄会で 着飾った服を着ている
母親の中に、野良着にモンペ姿、
頭に手ぬぐいをかぶって
1人遅れてきた母親がいました 。
背が小さくて痩せて顔が黒く
足が不自由な女性でした。
その母親は、学校で一番出来の悪い
男の子の母親でした。
鼻を垂らしている息子を見た母親は、
鼻を自分の口ですすって、
窓からペッとはきます。
それを見た他の母子が、
汚いものを見るような目で見ていた中、
感性の豊かな少年時代の美輪明宏さんは、
深い母性を感じ、
それ以降、出来が悪く、
いじめられていた男の子をかばい、
友達になります。
そんなある日、美輪さんと男の子は、
一緒に帰っていた時に、
男の子のお母さんが足を引きずりながら、
土方(どかた)の仕事をしている
現場に遭遇します。
足の不自由だった母親がよろける度に、
「やめちまえ!」
「ろくでなし!」
「みんな迷惑なんだよ!」
等の声が浴びせられるも、
母親は、
「すいません! すいません!」
と謝っていました。
しかし、息子の姿を見かけると
胸を張って、
大丈夫!心配すんじゃないよ!
という顔をしていて、
美輪さんは、そんな友達の
母親の気遣いに感激。
実は、友達は、学校でいじめられている事を
母親に言い付けようと思っていたんです。
しかし、母親のその姿を見て
学校に引き返します。
美輪さんは、
「お母さんに言わないでいいの? 」
と聞くと、
長崎弁で友達は、
「母ちゃんに心配させとうなかけん」
と言って学校に戻っていったそうです。
しかし、いじめられている事は
やがて母親が知る事になります。
母親は、こう言ったといいます。
「喧嘩が強いから偉いんじゃなかとよ。
金持ちだから偉いんじゃなかとよ。
勉強が出来なくても、
貧乏でも、関係なかと。
一番偉かとはね、
正直で、
お天道様の前に胸を張って、
誰にも指さされないように一生懸命働いて、
正直に生きる。
それが偉かとよ。
だからお前は偉かと。」
この母親の言葉に 美輪さんは感涙 。
この母子のエピソードが
脳裏に焼き付いていて、
『ヨイトマケの唄』の着想になりました。
そして、もう1人 、
着想のきっかけとなった人がいます。
それが、両親をロシア兵に
目の前で殺された少年 。
その少年は、1人で引き揚げ、
廃品回収業をやっている
祖父に育てられます。
その少年が中学の時に、祖父が亡くなり、
祖父の遺体をリアカーに積んで、
1人で焼き場に持っていて、
この先 どうしよう…
と途方に暮れていた時、
ふと、殺された父親は
技術者である事を思い出し、
「自分も父親のような
エンジニアになろう」と思い、
苦労の末大学に行きます。
美輪さんが知り合った時、
彼は大学生で、銀座で進駐軍の物を
屋台で売っていましたが、
露天の縄張りでいじめられていました。
美輪さんは、いじめていた人を説得し、
大学生を救います。
当時美輪さんは、
シャンソン喫茶『銀巴里』で
唄っていた頃で、
大学生は、助けてくれたお礼に、
オーデコロンを持って銀巴里に来店し、
美輪さんに、ロシア兵に両親を殺された話、
祖父の話、エンジニアになりたい
夢を語ります。
美輪さんは、それにいたく感激。
2人はしばらく交流しますが、
やがて疎遠となります。
長らく会わずにいたある日、
日本橋の三越を歩いている美輪さんに、
「おい丸さん(当時の芸名丸山から)」と、
話し掛ける男と出会います。
ふと見ると、その時の大学生で、
ここの現場で働いていると言います。
美輪さんは、
「エンジニアになるんじゃなかったの?」
と聞くと、
彼は、「エンジニアになるには、
釘一本でも、ネジ一本でも、
知っとかないと立派なエンジニアには
なれないんだよ。
だから現場監督からやるんだ~。」
と言ったそうです。
美輪さんは、彼の言葉に感動します。
美輪さんは、後に、
ついにエンジニアになった彼をお祝いをしようと、
彼とその友達を自宅に招き、
赤飯を炊いて「おめでとう!」と
言ってあげると、
彼は急に泣き出しました。
美輪は、「どうしたの? 」と聞くと、
「今まで生まれてこの方、
自分の為に赤飯を炊いて
祝ってくれた人なんか1人もいなかった。」
美輪さんも、そんな彼に泣きながら、
「お父さんもお母さんも、
おじいちゃんも、天国で、
どんなにあなたの事を喜んでいるか。」
と言って、慰め励まします。
この時の彼の嬉しそうな顔も
美輪さんの脳裏に焼き付いていて、
『ヨイトマケの唄』を作る時、
この小学生の時の友達とその母親。
さらに、
天涯孤独の中エンジニアになった男性。
この3人のエピソードがオーバーラップして
生まれたと語りました。
さらに美輪さんは 、
あのお母さんは、
「手ぬぐいを持っているのに
何故口で鼻をすすったのか?」
後に、その母親に聞いたそうです。
すると母親は、
「手ぬぐいは商売道具。
手ぬぐいを使ったら、
他の姉さん方に失礼だ。」
と言ったそうです。
共に土方で働いている、
先輩の女性を気遣う気持ちに、
感慨無量になったそうです。
このエピソードを元に
『ヨイトマケの唄』が誕生しました。
シェアさせて頂きました。
美輪さんは、ある日手違いで
炭鉱町で唄うことになります。
顔を真っ黒にした炭鉱労働者は、
安い賃金の中からチケットを買って、
聴きに来てくれたことに感動すると同時に、
キラキラの衣裳を着た自分自身が
恥ずかしく思い、
「炭鉱で汗を流す労働者を
励ます歌を作ろう!」
そう考えたそうです。
曲の発想は、
美輪明宏さんの小学生時代の記憶。
小学生の低学年の頃、
父兄会で 着飾った服を着ている
母親の中に、野良着にモンペ姿、
頭に手ぬぐいをかぶって
1人遅れてきた母親がいました 。
背が小さくて痩せて顔が黒く
足が不自由な女性でした。
その母親は、学校で一番出来の悪い
男の子の母親でした。
鼻を垂らしている息子を見た母親は、
鼻を自分の口ですすって、
窓からペッとはきます。
それを見た他の母子が、
汚いものを見るような目で見ていた中、
感性の豊かな少年時代の美輪明宏さんは、
深い母性を感じ、
それ以降、出来が悪く、
いじめられていた男の子をかばい、
友達になります。
そんなある日、美輪さんと男の子は、
一緒に帰っていた時に、
男の子のお母さんが足を引きずりながら、
土方(どかた)の仕事をしている
現場に遭遇します。
足の不自由だった母親がよろける度に、
「やめちまえ!」
「ろくでなし!」
「みんな迷惑なんだよ!」
等の声が浴びせられるも、
母親は、
「すいません! すいません!」
と謝っていました。
しかし、息子の姿を見かけると
胸を張って、
大丈夫!心配すんじゃないよ!
という顔をしていて、
美輪さんは、そんな友達の
母親の気遣いに感激。
実は、友達は、学校でいじめられている事を
母親に言い付けようと思っていたんです。
しかし、母親のその姿を見て
学校に引き返します。
美輪さんは、
「お母さんに言わないでいいの? 」
と聞くと、
長崎弁で友達は、
「母ちゃんに心配させとうなかけん」
と言って学校に戻っていったそうです。
しかし、いじめられている事は
やがて母親が知る事になります。
母親は、こう言ったといいます。
「喧嘩が強いから偉いんじゃなかとよ。
金持ちだから偉いんじゃなかとよ。
勉強が出来なくても、
貧乏でも、関係なかと。
一番偉かとはね、
正直で、
お天道様の前に胸を張って、
誰にも指さされないように一生懸命働いて、
正直に生きる。
それが偉かとよ。
だからお前は偉かと。」
この母親の言葉に 美輪さんは感涙 。
この母子のエピソードが
脳裏に焼き付いていて、
『ヨイトマケの唄』の着想になりました。
そして、もう1人 、
着想のきっかけとなった人がいます。
それが、両親をロシア兵に
目の前で殺された少年 。
その少年は、1人で引き揚げ、
廃品回収業をやっている
祖父に育てられます。
その少年が中学の時に、祖父が亡くなり、
祖父の遺体をリアカーに積んで、
1人で焼き場に持っていて、
この先 どうしよう…
と途方に暮れていた時、
ふと、殺された父親は
技術者である事を思い出し、
「自分も父親のような
エンジニアになろう」と思い、
苦労の末大学に行きます。
美輪さんが知り合った時、
彼は大学生で、銀座で進駐軍の物を
屋台で売っていましたが、
露天の縄張りでいじめられていました。
美輪さんは、いじめていた人を説得し、
大学生を救います。
当時美輪さんは、
シャンソン喫茶『銀巴里』で
唄っていた頃で、
大学生は、助けてくれたお礼に、
オーデコロンを持って銀巴里に来店し、
美輪さんに、ロシア兵に両親を殺された話、
祖父の話、エンジニアになりたい
夢を語ります。
美輪さんは、それにいたく感激。
2人はしばらく交流しますが、
やがて疎遠となります。
長らく会わずにいたある日、
日本橋の三越を歩いている美輪さんに、
「おい丸さん(当時の芸名丸山から)」と、
話し掛ける男と出会います。
ふと見ると、その時の大学生で、
ここの現場で働いていると言います。
美輪さんは、
「エンジニアになるんじゃなかったの?」
と聞くと、
彼は、「エンジニアになるには、
釘一本でも、ネジ一本でも、
知っとかないと立派なエンジニアには
なれないんだよ。
だから現場監督からやるんだ~。」
と言ったそうです。
美輪さんは、彼の言葉に感動します。
美輪さんは、後に、
ついにエンジニアになった彼をお祝いをしようと、
彼とその友達を自宅に招き、
赤飯を炊いて「おめでとう!」と
言ってあげると、
彼は急に泣き出しました。
美輪は、「どうしたの? 」と聞くと、
「今まで生まれてこの方、
自分の為に赤飯を炊いて
祝ってくれた人なんか1人もいなかった。」
美輪さんも、そんな彼に泣きながら、
「お父さんもお母さんも、
おじいちゃんも、天国で、
どんなにあなたの事を喜んでいるか。」
と言って、慰め励まします。
この時の彼の嬉しそうな顔も
美輪さんの脳裏に焼き付いていて、
『ヨイトマケの唄』を作る時、
この小学生の時の友達とその母親。
さらに、
天涯孤独の中エンジニアになった男性。
この3人のエピソードがオーバーラップして
生まれたと語りました。
さらに美輪さんは 、
あのお母さんは、
「手ぬぐいを持っているのに
何故口で鼻をすすったのか?」
後に、その母親に聞いたそうです。
すると母親は、
「手ぬぐいは商売道具。
手ぬぐいを使ったら、
他の姉さん方に失礼だ。」
と言ったそうです。
共に土方で働いている、
先輩の女性を気遣う気持ちに、
感慨無量になったそうです。
このエピソードを元に
『ヨイトマケの唄』が誕生しました。
シェアさせて頂きました。
2021年12月16日木曜日
蒲郡道場
2021年12月15日水曜日
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