プロフィール

2023年7月27日木曜日

「高倉健の最敬礼」

野地秩嘉氏の心に響く言葉より…

今年の春、ある上場企業の経営者と私は近所の喫茶店に入った。

彼は、しゃべり始めた。

「撮影現場にいたんです、僕は」

…大学時代、RKB毎日で木村班というのに入れられて、ADのバイトをやっていたんです。

若い頃、勉強が面白くなくて、大学をやめました。

毎日、テレビ局で働きながら、将来はどうしようかと悩んでいたわけです。

番組のロケが始まった日のことです。

「おまえ、高倉さんをホテルまで迎えに行け」と木村さんから命令されました。

えっ、と思いました。

ひとりじゃ嫌だなあ、と。

周りにお付きの人がたくさんいるだろうし、無作法をして怒られたらどうしようと…。

ホテルに行って、1階のエレベーター前で待っていたんです。

そして、ドアが開いたら、あの大スターの高倉健がたったひとりでエレベーターに乗っていたんです。

呆然としていたら、私のそばに来て、

「高倉です。

よろしくお願いします」。

直角です。

90度の角度ですよ。

あわてて、私がごにょごにょ言いながら、なんとなく頭を下げたら、高倉さんは不動の姿勢で下を向いていました。

びっくりしました。

「こういう人が本当の大人だ」と感じました。

マネージャーも付き人もいなかった。

たったひとりで博多にやってきて、ホテルもひとり。

ロケの間もひとりで立っていました。

絶対に腰を下ろさない。

何の文句も言わない。

オレたちバイトには気を配って、飲み物とか食べ物をくれる…。

衝撃でしたねえ。

世の中には立派な大人がいるんだと思った。

だって、はたちかそこらの何もわからないガキに対して、最敬礼して、ちゃんと尊重してくれる。

そんな人いないです。

バイト仲間とはあの頃、「大人になったら高倉健みたいになりたい」と話しました。

いつの日か、立派な大人になるんだ、と。

…でも、すぐにはなれなかったなあ。

虚勢を張ってました。

自分に自信がなかったから、人に頭を下げることができなかった。

でも、ある日、ふと高倉さんの最敬礼を思い出して、「一からやり直そう」と決めたんです。

それから彼は変わった。

友人の父親がやっていた会社に入った。

年下の部下にこき使われながらも、一切、文句を言わなかった。

人に会ったときには最敬礼することにした。

年下のアルバイトやパートの従業員を大切にした。

態度のデカイ取引先にカッときたことはあったけれど、高倉健の我慢を思い出して、じっと耐えた。

そのうちに働きが認められ、社長から「関係会社の経営を立て直してくれ」と命令される。

私が会ったのはちょうどその頃だった。

初対面で彼は最敬礼した。

最敬礼し、なかなか頭を上げないから、「丁寧な人だな」と感じた。

そして、10年経って、彼は会社を公開させることができた。

「高倉さんにお目にかかることは一生ないでしょう。

でもあのお辞儀を見ていなかったら、自分はこうはならなかった。

高倉さんのおかげだと思う。

だから、作品はどんなものでも全部見ます」

◇『高倉健インタヴューズ』プレジデント社

高倉健は、1931年生まれ。

80歳を超えてもジョギングをし、声を出す訓練をやっていたという。

彼は私生活についてはほとんど語らない。

「映画以外のところでどんなに熱演してみせても何の意味もない」と思っているからだ。

映画で共演した、歌手の宇崎竜童氏は高倉健のことをこう語る。

「ささいなことですけど、高倉さんはしっかりと挨拶されますね。

打ち合わせで事務所に見えたとき、部屋に入るときは『おはようございます』。

うちのペーペーの新入社員がコーヒーを出したときにも、『ありがとう』。

食事をするときも『いただきます』…。

そのときの立ち居振る舞いはすごく美しく見えます」

(同書より)

高倉健は、撮影の間中、一度も座らないと言う。

自らを厳しく律しているからだ。

大スターでありながら、決して偉ぶらないし、驕(おご)らない。

真の大人は、多くの人に大きな影響を与えることのできる人だ。

※【人の心に灯をともす】より
https://www.facebook.com/hitonokokoro

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