【深沈厚重とは】
行徳哲男師の心に響く言葉より…
現代人は広さばかり求めている。
大事なのは広さじゃない、深さなの。
深みがないといけない。
カントという哲学者は生まれてから死ぬまで、自分の町から一歩も出ていない。
キリストが布教した範囲なんてたったの五マイル四方でしかない。
それでいながら、ああいう先哲の遺した教えはいまだに燦然(さんぜん)と生きているんだから。
呂新吾は『呻吟語』の中でこう説いている。
「深沈厚重(しんちんこうじゅう)なるは、これ第一等の資質。
磊落豪雄(らいらくごうゆう)なるは、これ第二等の資質。
聡明才弁(そうめいさいべん)なるは、これ第三等の資質」
(どっしり落ち着いて深みのある人物、これが第一等の資質である。
積極的で細事にこだわらない人物、これは第二等の資質である。
頭が切れて弁の立つ人物、これは第三等の資質にすぎない)
深さは淀(よど)みがないものをつくる。
今の世相は広さを求め過ぎて深みがない。
浅瀬にいるから水音が騒々しい。
また、厚みがない。
政治家たちを見とっても薄っぺらな人間ばかり。
そして重さがない。
だから言動が軽はずみ。
政治屋と言われるのもしかたがない。
深みがなければ沈みがない。
本当の人間というのは、なんとなく沈んだ淀みがある。
だから、「深沈厚重」というのは人間の真実を表していますよ。
現代人は頭がいいことを以て人間の評価をしているけれど、『呻吟語』で言えば頭のよさは最下位だ。
これが一位かなと私が思ったのは「豪放磊落」だけれど、それも二位なの。
一位は「深沈厚重」、 深さと沈みと厚さと重さ。
これが人間の第一等。
しかし、もともと日本民族というのは深みを持っている。
お茶なんか見ていても、潜り戸ひとつとってみても深い哲学がある。
ぐるぐる曲がるように配置してある庭園の飛び石だって哲学だもの。
『強いメンタルをつくる「人生の授業」』致知出版
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「深沈厚重」の人は、「素・朴・愚・拙(そ・ぼく・ぐ・せつ)」の人でもある。
「素・朴・愚・拙」の素とは、飾らない魅力。
朴とは、泥臭い朴訥とした魅力。
愚とは、自分を飾らずバカになれる魅力。
拙とは、不器用でヘタクソだが一途な魅力。
「素朴愚拙」の人は、ボーッとしていて、時に間抜けな愚か者のようにも見える。
本当に強い人は、戦いにあけくれる「豪放磊落」の剛(ごう)の人ではない。
また、「聡明才弁」の頭を磨き、弁舌さわやかな才の人でもない。
どんな非難や攻撃も、柳や雲のように受け流す、ときにボーッとした「素朴愚拙」の人。
「深沈厚重」という言葉を胸に刻みたい。
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