十年、二十年、三十年、同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられるのが才能だと思う
――将棋棋士・羽生善治(致知出版社)
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私の武道人生は小学1年生の時に少林寺拳法へ入門、
小学5年生の時、父の仕事の関係で引っ越し先の浜松市で極真空手道場に出会い入門させて頂いた所から本格的に始まりました。
武道歴としたらかれこれ40年以上となります。
(この間、高校卒業と同時に極真会館 総本部 若獅子寮に入寮させて頂き、憧れの大山倍達総裁の内弟子を3年間修行させて頂きました。)
今振り返りますとずっと師匠には恵まれ、
大変素晴らしい御指導をいただく事ができました。
それぞれの師匠より一貫して「武道」という概念、
「道」という概念を徹底的に叩き込んでいただけたからであります。
私自身決して偉そうな事は言えませんが、
(特に20代後半〜30代後半は持ち前の我、エゴ、事業欲などが前面に出てしまい、
またそこに至り精神薬害の被害にも合い、
周りの皆様には大変なご迷惑をお掛けしてしまいました。その節は大変申し訳御座いませんでした。)
私の経験上から、
何か(極真空手)を志して入門〜3年、5年、8年位までは、誰でも情熱を持って稽古する事が出来ると思います。
いや、10年〜15年くらいまでは始めた時と同じ情熱を持って稽古出来るのかもしれません。
しかし、これが、
20年、30年、40年、、、
と同じ情熱を持って稽古を継続していく事になると、正に至難の業であると実感致します。
勿論、人間ですから人それぞれに色々な時期があります。
稽古から足が遠のき遊びにふける時期、
他の熱中出来るモノに情熱を傾ける時期があっても当然良いと思います。
その怠惰な時期や他に情熱を傾ける時期があるからこそ様々な気付きを得られることが出来るものだと思います。
「武道」「空手道」「極真空手道」
「道」という概念さえしっかりと理解しておれば、
途中で道を踏み外してもまた戻れば良いだけですので何の問題もないのだと思います。
また、
「道」という概念さえしっかりと意識、理解されておれば、一旦無くなった「情熱」は必ず戻って参ります。
あたかも消えかけた火が再度燃え上がってくるようにです。
一番いけないのは「情熱」という火を完全に消してしまい「道」から完全にフェイドアウトしてしまう事であると思います。
「十年、二十年、三十年、同じ姿勢で、同じ情熱を傾けられるのが才能だと思う 」 羽生善治
将棋棋士の羽生さんが言われる様に、
10年、20年、30年、同じ姿勢で、同じ情熱を持ち続ける事が出来る人は本当の意味で大天才であると思います。
何の才能もない私にとって、
「極真空手道」「空手道」「武道」という「道」は果てしなく遠いです、遠過ぎます。
しかしながら、
いつ「死」というお迎えが来ても良い様に日々の「道」を歩き続けていきたいと思います。
「道」に到着点、完成は無いと思います。
死を迎えた時に「道」の上を歩いていたら、
それが到着点、完成であるのかもしれません、、
凡人の私には何も分かりませんが、
一生分からないまま死んでいけたら本望であります、、、
最後までお付き合いを頂きまして誠にありがとうございました。
今後とも何卒宜しくお願い申し上げます。
押忍 石黒康之
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