プロフィール

2022年9月19日月曜日

【遅咲きの人間学】

邑井操(むらいみさお)氏の心に響く言葉より…

かなり以前のことだが、その頃売れっ子だったテレビタレントが言った。

「おかげさまでひと月売れっ放しで、休むひまもありません。忙しくて忙しくて…」

得意満面の顔付きだった。

「それはおめでとう。よかったですね。しかし忙しくて休む暇もないのは良くない。一つは健康を損ねる危険があること。もう一つは次の飛躍への準備ができないということ」

「人間はひと月のうち、働くのはせいぜい20日か25日でいい。あとの五日なり一週間なりは、運動して身体を鍛えたり、読書して知識を注入したり、人と意見をかわしたり、ぶらりと旅に出て自然の風物に接したりして、何か新しい発想や発見に当てることですね」

「そんな時間はとれそうもないので…」

「自分で作ることですよ。考えるひまもなく働くのはどうかな。考えるのでも時には時間をさかなくては、昔からいう三上(さんじょう)がある。馬上、厠上(しじょう)、枕上(ちんじょう)です。厠上はトイレの中、枕上は眠りに入る前のひととき。馬上のかわりに車の中でもいいでしょう。」

「がむしゃらに働いて疲れ、バタンキューと寝るだけではすり切れるだけ。売れっ子になればギャラが高くなる。使いにくい。だからテレビは、後から出てくる別個の才能を持った新人を起用して売り出させる。ギャラは安くてすむ。ギャラの高くなった売れっ子は敬遠される。」

「そうならぬために自分をみつめ直し、次にアピールする新鮮な芸を生むためのユトリ、時間を持つことがぜひ必要でしょう。作家は出世作以上のものはなかなか書けないという。一つの芸を売り出したものは、それに勝る次の芸の用意がないと、人気は長つづきしないのではないですかね」

売れ盛りの彼にとって少しきついとは思ったが、敢えて発言したが、人は盛りの時には意見が耳に入らぬらしい。

忙しいと言いつづけているうちに、同種の若いタレントに座を譲り、そのタレントも変わった若手の出現で人気をうばわれてしまい、数年の後には忠告した彼の姿は完全にテレビから姿を消し、もはや人の記憶の外の人となってしまった。

早く開いて早く散る。

早咲き人間の悲劇である。

人気の持続を計るための根を張る時間に気づかぬためだった。

理想的生き方は、物心共に年と共に充実向上していくことである。

かのタレントの如く二十、三十代で花々しい脚光を浴びても、四十代、五十代に姿を消すのでは悲しかろう。

若き日の栄光を思い出だけにして、ぐちと舌うちの熟年を迎えるのは愚かである。

誰でも人は、二十より三十、三十より四十、四十より五十、五十より六十、六十より七十と、年を重ねるに従って、いよいよ生彩する活動家であるべきなのだ。

たとい三十代で花は咲かずともよい。

五十代で豪華な開花を見ればよく、以後咲きつづければいい。

それが遅咲きの人間であり大器晩成の楽しみなのだ。

戦国時代開幕期の英雄、北条早雲が同志を誘って活動を開始したのは、四十三、四の頃だ。

彼が箱根を越え小田原城を落としたのは六十四だ。

以後八十八で死ぬまでに北條五代の基礎を確立したのだった。

まさしく遅咲き人間の典型であり、大器晩成の見本だろう。

世間一般依然として早咲きを目ざして息を切らしている。

時代が多忙さを人に人に強いるために、人は心の余裕を失い、ただあくせくと日を送る。

去年と今年と、どれだけの進歩向上の自己充実感があるかどうか。

辻褄(つじつま)をあわせボロを出さぬだけの小器、小才子の群れの一人であっては消耗品的価値しかなく、粗大ゴミ扱いにされる。

何のための人生なのか。

目先だけに追われ、人生をトータルで掴む配慮と思索と洞察力がなければ、先細りの生涯に留まるしかない。

末広がりの人生を送るためには、自己充実と確立が大切であり、そうなるためには当然時間がかかる。

知識と知恵とを車の両輪の如く回転させるには、体験の裏打ちが必要となる。

大器は片々たる早咲き小才の及ぶところではない。

焦ることはない。

腰を据えて遅咲き人間を目ざし、大器晩成の壮大な夢の描く人にこそ祝福あれ、世はまさにそういう人物を待望しているのである。

『遅咲きの人間学』PHP文庫

世界で売上NO1レストランはマクドナルド全世界に3万を越える店舗がある。

その創業者はレイクロックという。

彼は高校を中退し52歳までミルクセーキミキサーのセールスマンだった。

最新の機械におされ、ミキサーの売上は減る一方。

しかしそんな時、一挙に8台の注文のあった店があった。

超繁盛のハンバーガーの店「マクドナルド」だ。

行列につぐ行列、店を実際に見たレイクロックは直感した。

「これは絶対にビッグビジネスになる!」

そして、マクドナルド兄弟から苦労してその商標を譲り受け、マクドナルドの展開を始めた。

「私にとっては生きるか死ぬかの選択だった。

この事業で失敗すれば、私にはもう行く先がなかった」と言ったレイクロック。

実に、彼が59歳の挑戦だった。

一羽いくらのビジネスから始まったケンタッキーフライドチキン(KFC)は全世界に13000店を数える創業者はカーネルサンダース。

いくつもの事業の失敗を乗り越え、ガソリンスタンドを利用する人たちのために、物置を改造して6席だけの小さなレストラン「サンダース・カフェ」をつくったのはカーネルサンダースが40歳の時だった。

その後、片腕だった息子さんの死や、高速道路ができ売上が激減したりと数々の試練がおこり、やがて営業を続けられなくなり、店を手放した。

彼に残っている財産は今や美味しいフライドチキンの製造方法だけ。

しかし、不屈のカーネルはそれを教える代わりに、一羽につき5セントをもらうというFCビジネスを始めた。

「簡単な道のほうが効果的で早く成功できるかもしれない。しかし、私は道のりも長くすさまじい努力が必要な険しい道を選ぶ」と言ったカーネルサンダース。

実に65歳の再出発だった。

今や、ITやAI全盛の時代。

Z世代と呼ばれる才能あふれる若い世代が大きな事業を成功させている世の中だ。

しかし、そんな時代だとしても、遅くから始めて成功する「遅咲き」の人もいる。

いや、むしろ多くの凡人は「遅咲き」を目指すしかない。

人生100年と言われる今…

あえて、遅咲きの道をゆっくりと歩みたい。

■【人の心に灯をともす】のブログより

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