【「素朴愚拙」の魅力】
行徳哲男師の心に響く言葉より…
私は、人間の特に男の魅力というのは「素」「朴」「愚」「拙」の四つの言葉で表わすことができると思うんです。
「素」のよさは何も身につけていないことです。
カーライルが『衣装哲学』という本で述べていますが、いまの人間はいろいろと着込みすぎですよ。
枝葉をつけすぎている。
枝葉をつけた木は見栄えはいいけれど、滋養は枝や葉が吸ってしまい、幹や根が弱ってしまいます。
逆に枯れ木は見栄えはしませんが、力強さを持っている。
これが「素」の魅力ですよね。
「朴」とは泥臭さのことでしょう。
泥臭さがなければ本当の指導者にはなれないし、時代の救世主にはなれないんですよ。
作家の柴田錬三郎さんがシベリアに抑留されていたときに、極寒の中でしばしば靴下を盗まれたそうです。
そういう盗人はインテリや育ちのいい人間であったと書いています。
それに対して「俺の靴下を履けよ」と情けを示してくれたのは魚屋のおやじさんやヤクザ者だったそうです。
そういう限界状況で情を示せる人間というのは、どこか朴訥な田舎っぽいところがあったというんですね。
こういう朴訥(ぼくとつ)さをいまの指導者たちは失っています。
同時に「愚」がなさすぎる。
「大賢は大愚を見せるにあり」と言いますが、 大きな賢さというものは大きな馬鹿を見せることです。
「愚」の魅力とは阿呆になれる、馬鹿になれること。
そういう人物のもとには、「この人のために」 とたくさんの人が集まってくる。
それが本当の利口というものでしょう。
そういう「ど阿呆」が日本にはいなくなりましたね。
吉田松陰が一番好きだった言葉にこうあります。
「狂愚まことに愛すべし、才良まことに虞(おそ)るべし」
頭がいいだけの人間は恐ろしいですよ。
また、松陰はこうも言っています。
「狂は常に進取に鋭く、愚は常に避趨(ひすう)に疎(うと)し。才は機変の士多く、良は郷原(きょうげん)の徒多し」
愚の人は計算しません。
要領が悪い。
だからこそ、新しいことに挑(いど)めるわけでしょう。
でも、才良の士は郷原(きょうげん)の輩になってしまう。
すなわち、うわべだけ取り繕って人にこびたり、人を陥れたり、人を利用したりする。
いまはそんな人間が多すぎます。
馬鹿力と言いますが、馬鹿こそ力なんですよ。
最後の「拙」は下手くそのことです。
下手くそな人間は魅力的ですよ。
いまは上手に生きようとする人間、要領のいい人間があまりに多い。
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「気に入らぬ 風もあろうに 柳かな」
という江戸時代の臨済宗の僧侶、仙崖(せんがい)和尚の歌がある。
世の中には理不尽なことが多くある。
批判や、揶揄(やゆ)、嘲笑という風。
ときには大風が吹くときもある。
気に入らぬことも多いが、柳に風と受け流す。
受け流すことができる人は…
「素朴愚拙」の人だ。
また、「素朴愚拙」の人は、「深沈厚重(しんちんこうじゅう)」の人でもある。
中国明代の儒学者である呂新吾(ろしんご)が 名著『呻吟語』で「人物」について語っている。
深沈厚重(しんちんこうじゅう) 是第一等素質
磊落豪遊(らいらくごうゆう) 是第二等素質
聡明才弁(そうめいさいべん) 是第三等素質
第一等の人物は、深沈厚重の人で、どっしりと落ち着いて深みのある人物。
細事にこだわらない豪放な人物は第二等。
頭が切れて弁の立つ人物は第三等である。
「深沈厚重」であり…
「素朴愚拙」の人を目指したい。
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