小林正観さんの心に響く言葉より…
「頼まれやすい顔」のポイントとして、「日常生活」も重要です。
人間の顔の3分の2の筋肉は、「この前こんな嫌なことがあってね」「こんな嫌な人と会ってね」というような、あまり楽しくない話題を口にしたときに使われます。
3分の2の筋肉は、否定的な言葉、否定的な感情のときに動くのです。
筋肉というのは使えば使うほど発達しますし、使わなければ使わないほど退化します。
したがって、「この前こんな嫌なことがあってね」「こんな嫌な人と会ってね」という話題が多ければ多いほど、3分の2の筋肉ばかりが使われ、その結果、「嫌な感じの顔」になっていくのです。
逆に「この前こんな楽しいことがあってね」「こんな楽しい人に会ったんだけどね」「こんなおもしろい情報があるんだけどね」というような話をしているときは、顔の3分の1の筋肉を使います。
使った筋肉はどんどん発達し、使わない筋肉はどんどん退化しますから、楽しい話、おもしろい話、笑顔になりそうな話をたくさんしている人は、顔がどんどん「和(なご)やかな顔」になります。
そして、日常的にとても話しかけやすい、親しみを感じさせる顔が形成されていきます。
ある瞬間だけ「和(なご)やかな顔をつくろう」「頼まれやすい顔をつくろう」と思っても無理です。
日常的にそういう顔をつくり、筋肉を刺激しておかないと、和やかな顔、頼まれやすい顔にはなりません。
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小林正観さんは、良寛さんについてこう語る。
『江戸時代末期の僧侶・良寛和尚は、いつも「和顔(わがん・わげん)」ということを心がけていた人でした。
「和顔」という言葉はもともと「禅」の言葉なので、禅宗のひとつである曹洞宗のお坊さんとしては当然のことかもしれません。
しかし、それを何よりも誰よりも心がけていたのが良寛禅師だったのです。
良寛さんはいつも和(なご)やかな顔をしていました。
その顔に子どもたちはとても親しみを覚え、良寛さんの顔を見る度に寄ってきては、「良寛さん、良寛さん、遊ぼう」と言って声をかけたそうです。
さらにその「和顔」は村人たちをも動かします。
文字のかけない村人たちは良寛さんのところに行っては、「代わりに手紙を書いてほしい」「代わりに文字を書いてほしい」というようなお願いごとをしました。
良寛さんはそれを嫌がらずに次から次へと書いたのです。
なかには「掛け軸を書いてほしい」と言う人もいましたが、それも嫌がらずに書きました。
良寛さんは檀家(だんか)を持っていない僧侶だったのですが、そういった「頼まれごと」の対価として、米、味噌、醤油、食べ物をいただき生活が成り立っていました。
「頼まれごと」を嫌がらずにやっていった結果、十分な生活ができたのでした。』
若い頃から頼まれごとを断り続けてきた人には、頼まれごとはやってこない。
何かを頼んだら、嫌な顔をされたり、不機嫌そうな顔をされたり、不愉快な言葉を言われてしまう、と思うからだ。
また、普段から否定的な言葉ばかり言っている人は、不機嫌そうな顔になる。
それが、「不平不満」「グチ」「泣き言」「悪口」「文句」。
肯定的な言葉ばかり言っている人は、明るくて楽しそうな顔になる。
それが、「ツイてる」「うれしい」「楽しい」「感謝してます」「幸せ」「ありがとう」。
良寛さんの「和(なご)やかな顔」だ。
「和顔愛語」という言葉がある。
良寛さんが好んで使った言葉だ。
良寛さんは、自分の口から出てくる言葉を「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」だけにしたいと思っていたという。
その実践の結果が、「和顔」。
「和顔」という、頼まれやすい顔をめざしたい。
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押忍
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