石黒ブログを読んで頂けるご縁に感謝致します。
本日の今日の言葉、少し長いですがどうか読んでみて下さい。
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忘れられない詩がある。
15歳の脳性マヒの少年が、
その短い生涯の中でたった一篇、
命を絞るようにして書き残した詩である。
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ごめんなさいね おかあさん
ごめんなさいね おかあさん
ぼくが生まれて ごめんなさい
ぼくを背負う かあさんの
細いうなじに ぼくはいう
ぼくさえ 生まれなかったら
かあさんの しらがもなかったろうね
大きくなった このぼくを
背負って歩く 悲しさも
「かたわな子だね」とふりかえる
つめたい視線に 泣くことも
ぼくさえ 生まれなかったら
ありがとう おかあさん
ありがとう おかあさん
おかあさんが いるかぎり
ぼくは生きていくのです
脳性マヒを 生きていく
やさしさこそが 大切で
悲しさこそが 美しい
そんな 人の生き方を
教えてくれた おかあさん
おかあさん
あなたがそこに いるかぎり
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『致知』2002年9月号で
向野幾世(こうのいくよ)さんが紹介した詩である。
作者は山田康文くん。
生まれた時から全身が不自由、口も利けない。
通称やっちゃん。
そのやっちゃんを養護学校の先生であった
向野さんが抱きしめ、
彼の言葉を全身で聞く。
向野さんがいう言葉がやっちゃんのいいたい言葉だったら、
やっちゃんがウインクでイエスのサイン。
ノーの時は舌を出す。
気の遠くなるような作業を経て、
この詩は生まれた。
そしてその2か月後、少年は亡くなった。
自分を生み育ててくれた母親に報いたい。
その思いがこの少年の
人生のテーマだったといえる。
短い生涯ながら少年は見事にそのテーマを生ききり、
それを一篇の詩に結晶させて、逝った。
生前、ひと言も発し得なかった少年が、
生涯を懸けてうたいあげた命の絶唱。
この詩が私たちに突きつけてくるものは重い。
人は皆、一個の天真を宿して生まれてくる、という。
その一個の天真を掘り下げ、高め、
仕上げていくことこそ、
各人が果たすべき人生のテーマといえるのではないか。
「我行精進、忍終不悔(がぎょうしょうじん、にんじゅうふげ)」
──わが行は精進して忍んで終(つい)に悔いない。
『大無量壽経』の言葉である。
永遠の人生のテーマがここにある。
『小さな人生論2』(藤尾秀昭・著)より
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拳立て七十四回です。
今日一日、皆様が無事であることを神にお祈り致します。
押忍! 石黒康之
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