本日、二つ目の今日の言葉となります。(☆印以下となります。)
極真空手はあくまで武道空手であります。
いわゆる、巷に溢れかえるスポーツ空手や格闘技空手、ショー空手、
競技(大会、試合)空手などとは訳が違うのであります。
(この事は歴然たる事実で、内弟子時代に極真空手創始者である大山総裁より日々、口酸っぱく御指導を受け、
また、現極真会館館長である松井館長より日々厳しく指導を頂いております。)
また、わしの日々の活動拠点である極真会館支部道場。
その道場も決して、巷に溢れかえるスポーツジム、格闘技ジム、習い事教室とは、
全く異質のものであり、日本古来の武道場であると未熟で僭越ではありますが、
強く認識させて頂いております。
そんな認識を確認された上で、本日二つ目の今日の言葉を読んで頂けたら、
何かしら心に響くものがあるものと確信致します。
ある意味、わしは個人的にではありますが、
高校を卒業し、総本部内弟子、大山倍達門下に許しを得させて頂ける時、
極真会館、極真空手道という世界に出家する覚悟で総本部内弟子若獅子寮に入寮させて頂いております。
いわゆる、
現在も在家ではなく、極真に出家している覚悟があります。
出家僧と同じ覚悟を持って極真会館一支部長を務めさせて頂いている訳で御座います。
(この事は年齢を重ねる毎に日増しに強く強くなっております。
特にわしの場合、30代の約10年を怠惰に過ごしてしまった為に、その分を取り返そうと現在必死であります。)
「在家でウロウロしているのとは訳が違う」
と、日々、己自身を叱咤激励し、
日々精進している訳であります。
話が横道にそれてしまいましたが、本日の今日の言葉2、
是非とも御一読の程をお勧め致します。
☆☆☆☆☆
中国の古い昔、法遠という坊さんが
師匠に弟子入りを願い出た。
禅門は簡単に入門を許さない。
玄関で待っていると師匠が現れ、いきなり桶の水をバサッとかけた。
他の志願者は皆腹を立て帰っていったが
法遠だけは残り続け、入門を許された。
弟子になって間もないある日、師匠が外出した。
法遠は蔵に入り、普段は食べられないご馳走をつくって
皆に振る舞った。
ところが、思いがけず予定より早く師匠が戻ってきた。
師匠は激怒し、法遠を寺から追い出したばかりか、
ご馳走した分を町で托鉢してお金で返せ、と要求した。
法遠は風雨の日も厭わず托鉢を続け、ようやくお金を返した。
すると師匠は
「おまえが托鉢している間野宿をしていたのは
寺の土地だから家賃を払え」
と迫った。法遠はその言葉に従い、また黙々と托鉢を続けた。
その様子をじっと見ていた師匠は弟子を集め、
自分の後継者が決まった、と宣言し、法遠を皆に紹介した 。
弊社主催の徳望塾で円覚寺の横田南嶺管長が述べられた話である。
これに続いて、横田管長はご自分のことを話された。
横田管長は四十五歳で円覚寺の管長に選ばれたが、
なぜ自分が選ばれたのか分からない。
ただ一つ、これかなと思うものがある。
それは「ここを離れない」という一事。
どんなことがあってもここから離れない。
ここを見限らない。ここに踏みとどまる。
自分が貫き得たのはこの一つ。
それを師匠は見てくれていたのではないか、
と横田管長は話されていた。
ここを離れない——長の一念はここに始まり
ここに尽きるのではないだろうか。
国であれ会社であれ家庭であれ、
あらゆる組織はそこにいる長が
どういう一念を持っているかで決まる。
それがすべてといっていい。
『致知』三十五年、様々な分野の長にお会いしてきたが、
すぐれた長には共通して二つの条件があることを強く感じる。
『長の十訓』 藤尾秀昭・著/金澤翔子・書
致知より
☆☆☆☆☆
以上であります。
押忍 石黒康之
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