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2015年5月16日土曜日

今日の言葉2

本日、二つ目の今日の言葉となります。


宜しくお願い致します。



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私たちは誰もが無数のご先祖の繋がりの中で、
 この命を授かっています。

 脈々と続いてきたご先祖の歩みを知ること、
「家系分析」には私たちの想像を遙かに超える、
 不思議な、しかし確かな効果があります。

 経営だけでなく、人生をも好転させるきっかけとなる
「家系分析」の手法とはどのようなものなのでしょうか。

 公認会計士として家系分析を勧め、
 危機に瀕した数多くの企業を救ってきた天明茂先生に
 ご自身のご経験も交えてお話しいただきました。

(本記事は、遺伝子工学の世界的権威・村上和雄氏が
 ホストを務める人気対談連載「生命のメッセージ」に
 掲載されています)


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    『致知』2015年6月号 連載

「ご先祖を知れば、遺伝子のスイッチはオンになる」

   天明 茂(事業構想大学院大学教授)

    ×

   村上和雄(筑波大学名誉教授)



天明 初めて家系分析を行ったのは
   薄衣(佐吉)先生の事務所に入ってすぐの頃でした。

 戸籍謄本に基づいて4代前までの家系図を作った後、
 先生の指導で母親や親戚から
 祖父母の生き様を聞いてみました。


村上 ただ、家系図だけを見ても、
   その背景にあるものまでは
   なかなか分かりませんものね。


手明 私たち夫婦は両親と同居していたのですが、
   私の父と妻との間に確執がありました。

 しかし、調べていくと妻と父だけでなく、
 母と義理の祖母、祖母と義理の曾祖母、
 曾祖母とその上の高祖母の間にも
 似たような確執がありました。
 同じパターンが何代にもわたって
 繰り返されていたんです。

 このままいったら、今度は私たちが
 子供と争うことになる。

「うわぁ、これは何としても
 汚れた家系を正さなきゃ」と思って、
 さらに調査を進めたら、
 他にもいろいろなことが見えてきました。

 例えば、曾祖父母は粟餅(あわもち)屋をやっていた
 同じ名字の天明家に夫婦養子に入るのですが、
 養家先の両親との対立が激しくなって養子縁組を解消し、
 絶家していることが分かりました。

 粟餅屋の両親が「このままだと絶家してしまう」と
 泣いて頼むのを振り切って曾祖父母は家を出てしまう。

 その時、曾祖父母は

「勝手にしろ。その代わりおまえたちが死ぬ時は
 馬乗りになって絞め殺してやる」

 という捨て台詞を言われた、という話を
 母が祖父母から伝え聞いていたというんです。

 それを知った時には身の毛がよだちましたが、
 そう思って改めて家系を調べていくと、
 家系の中に首つり自殺をした人が何人もいたんです。

 私にはまるで「首を絞め殺してやるぞ」という
 怨念のようにしか思えませんでした。


村上 あまり知りたくはない現実ですね。


天明 でも、それを知ったことがかえってよかったです。

 粟餅屋をやっていた天明家の墓を探し出し供養してから、
 不思議とよいことが起こるようになりました。

 妻と父の確執も不思議なくらいなくなりました。
 というのも、確執の原因が家系分析によって
 分かってきたんですね。

 父親は無口で陰険な人だったと申しましたが、
 その背景を探ると、
 祖父が人の借金を肩代わりして返せなくなり、
 父と父の兄が人質として百姓奉公を
 させられていたことが分かりました。

 早朝から夜中まで働きづめの中で父は、
 祖父が借金をしてしまったために
 自分たちがこんな辛い思いをしなくてはいけないという
 惨めさをいやというほど味わうんですね。

 その頃から、人を信用してはいけない、
 お金は無駄に使っちゃいけない、
 贅沢はいけないという価値観が培われていったようです。


村上 そうでしたか。


天明 だから、父は妻がちょっと美味しいものを作ると
   箸をつけなかった。

 妻にしてみたら
「お父さんのために一所懸命料理をこしらえたのに、
 きょうも食べてくれない。
 きょうもこんな皮肉を言われた」
 と大変なストレスだったのですが、
 父は決して悪気があったわけではありませんでした。


村上 しかし、そういう背景が分かってくると、
   対立していた相手の立場というものが
   理解できるのではありませんか。


天明 おっしゃるとおりです。

 妻の場合も、
「そうか、お父さんは私を嫌って
 食べないわけじゃないんだ。
 贅沢ができないだけなんだ。
 だからお豆腐なら食べてくれるんだ」と。

 それ以来、父には豆腐や目刺しを出し、
 私たち夫婦はちょっと美味しいものを
 食べるようにしましたが(笑)、
 そういう工夫をする中で妻も父を恐れなくなって
 自分から話ができるようになったんです。

 私は5人きょうだいですが、父は晩年、
 きょうだいの連れ合いの中で私の妻を
「セツ子、セツ子」と一番可愛がってくれましたよ。


村上 相手を変えようと思ったら、まず自分が変わる。
   そうすれば家族が変わり、周囲も変わっていく、
   ということなのでしょうね。


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致知より



押忍 石黒康之

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