塩沼 亮潤 (慈眼寺住職)
※『致知』2018年4月号
※特集「本気・本腰・本物」P32
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千日回峰行を満行した者は、10年目に、9日間飲まず、食べず、寝ず、
横にならずという修行に入ります。これを「四無行」と言います。
行に入ると9日間ずっと辛いか最悪かのどちらかです。
しかし、そこで気持ちが負けていたのでは衰弱するばかり。
攻めの気持ちで行じなければなりません。
「四無」の中で一番きついのは水を飲まないことです。
喉の渇きは口から水分を入れてやらなければ癒えません。
一日一リットルずつ体から水分が抜けていくので
血液がドロドロになっているのでしょう。
座っているだけで脈が90から100、120と上がります。
吐き気がして心臓が飛び出てきそうです。どうやっても治まりません。
水分が人間にとっていかに貴重なものかと改めて気づきました。
自分がここに存在しているだけでも「ありがとう」と、
すべてが感謝の世界に包まれているような9日間でした。
「普段私たちはいかに幸せでしょう。
ご飯も食べることができない人が世界にどれほどいるでしょう。
その苦しみ、痛みからみれば、私の苦しみなんて。
どんなに辛くとも苦しくとも取り乱さず、優しさと大らかさ、
そしてのびのびと清らかなる心で行じれば、必ず護られるのです。」
「たとえ時代が変わっても、お釈迦さまが示してくれた
お手本どおりに歩む道こそ御仏に仕える者の定め。
だから行に始まりも終わりもない。ただ無の心」
お釈迦様は2,500年前、波斯匿王というインドの王様に
「人間の生き方は四種類しかない。一つは光から光へ生きていく人間、
次は光から闇へ生きていく人間、三つ目は闇から闇へ生きていく人間、
四つ目は闇を転じて光ある世界へ生きていく人間だ」と言いました。
光と闇は私たちの心がつくるものです。生きていれば、イラっとしたり、
ムッとすることもあるでしょう。けれども、昼があって夜があるように、
この世はすべて陰と陽、よいことも悪いことも半分半分です。
よいことが続くと永遠に続いてほしいと思いますけれども、
辛いこと苦しいことも自分の心を磨く砥石なんだと思えば、
闇を転じて光ある世界に生きていくこともできるのです。
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍!
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