櫻木健古氏の心に響く言葉より…
ユーモア精神を身につけよ、とは、必ずしも、ジョークをポンポン飛ばしたり、ユーモア・パフォーマンスをなしたり、といったことだけを指すのではない。
これらはむしろ二義的なこと、あえていえば、どうでもいいことである。
第一義的に大切なのは、「ユーモアに対する感性」を身につけよ、ということである。
「笑いがわかる人間になれ」ということである。
落語についていえば、これを鑑賞できる人間になりましょう、ということ。
それさえできるなら、落語的なユーモアへの感性は身についていることになる。
みずから落語を演じることは、必ずしも必要ではないのである。
ただし、やりたい人、その才のある人は、大いになさるとよいわけであるが…
駄ジャレ一つ飛ばすことができないなら、それはそれでけっこうである。
ただし、ユーモリストたちの言行を、「おもしろいな」と思える人にはなりなさい。
それが、ユーモアへの感性があるということ。
「くだらんこと言ってやがる」としか思えないなら、あなたは笑いがわからず、"あそび"ができない、味もそっけもないクソマジメ人間ということになる。
ある表現を用いれば、「笑わせ屋」になる必要は必ずしもないが、「笑い屋」にはなりなさい、ということ。
双方ともになれるなら、もちろん、それに越したことはないが…。
人が笑わせようとしたのに笑ってやらないのは、ヘソ曲がりに非ずば、笑いの感性に欠けているのであり、どちらにしても欠陥人間なのであって、そのような人の人間関係がうまくゆかないのは当然である。
『「笑い」の力が人生をひらく』PHP文庫
ユーモアのセンスを磨き、人前で当意即妙にジョークを言って笑わせたりすることは、かなり難度が高い。
しかし、自分を笑い飛ばすとか、自分の欠点をさらけ出したり、失敗をネタにする、というようなことは、比較的難度が低い。
ただし、プライドを捨て、恥をかく覚悟を決めなければならない。
「およそ恥ということを打ち捨てて、世の事は成るべし」(本書より)
と言ったのは坂本竜馬。
一緒にいて楽しい人は、よく笑う人だ。
ちょっとした話に、大げさに驚いたリ、笑い転げたりしたら、また会いたくなってしまう。
笑いの感性が高い人だ。
『「笑わせ屋」になる必要は必ずしもないが、「笑い屋」にはなりなさい 』
笑いがわかる人でありたい。
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押忍!
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