小林正観さんの心に響く言葉より…
「努力」という言葉があります。
日本人らしい美徳を感じられる言葉です。
私はこの「努力」という言葉について、ひとつの見解があります。
「努力」という言葉は見方を変えると、「己の能力しか信じない」という一面もあるのではないでしょうか。
もしあなたが、「己の人生をつくっているのは、自分の能力だ」と断言するのだとしたら、それは自惚(うぬぼ)れ、驕(おご)り、高ぶり、傲慢でしょう。
その「努力」とは「不満な自分」を穴埋めする「エゴイズム」のことです。
はたして人は、「努力」するために生まれてきたのでしょうか。
私はそうは思いません。
どうやら、人は「喜ばれる」ために生まれてきたらしい。
ひとりで生きているときは「人」ですが、「人の間」に生きる人のことを「人間」といいます。
人の間で生き、頼まれごとをやっていく。
それが「人間」として生きる本質です。
ここで少し考えてみましょう。
「努力」の反対語は何でしょうか。
学校教育では、その答えは「怠惰(たいだ)」と習い、教え込まれます。
ですが、それは天上界から見ると本質ではありません。
もうひとつ上の次元から見ると、「努力」の反対語は、「感謝」。
ここでいう「感謝」とは、「自分で自分の人生を成り立たせているわけではない。まわりの人によって生かされている」ということに気がつくことです。
「努力」とは、自分の力しか信じないこと。
すべてのことは自分の能力、自分の力で切り抜けられると信じていることをさします。
一方、「感謝」は、自分の力はどこにもないということを思い知ること、思い定めることを言うらしい。
自分の「努力」で世の中やまわりの環境が成り立っているわけではないと悟ることです。
水一杯飲むことですら、私たちはひとりの力では決してやれない。
容器をつくった人がいて、飲み水を用意してくれた人がいて初めて飲めるのです。
もっと言えば、水は大地からのいただきものです。
自分の力で成り立っているものは何ひとつないと悟ることができれば、「努力」の反対語は「感謝」だとわかります。
仮に、自分のことだけに一生懸命になって、己の能力を信じて「努力」を積み重ねる人の力量を「1」としましょう。
その一方で、100人に向かって「ありがとう」と手を合わせている人の力量はどうなるでしょうか。
100人に「ありがとう」を伝えた人には「ありがとう」を言われた人がすべて味方になってくれるので、その力量は「100」になるのです。
それが「宇宙の法則」です。
『努力ゼロの幸福論』大和書房
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小林正観さんは本書の中でこう述べている。
『「縁起(えんぎ)の法則」をご存じでしょうか。
「縁(よ)りて起こる」これはお釈迦様が最初に得た「悟り」といわれています。
自分の人生は、自分以外のすべてのおかげ、神仏やまわりのおかげで成り立っている。
それが「縁起」の意味です。
お釈迦様は次のように悟りました。
「私」の思いで成り立っているものは何ひとつない。
人は、自分の思いで未来を切り拓(ひら)き、人生が変わっていくと考えているために苦悩する。
苦悩の本質は「縁起」を認めないために起こる…。
この「悟り」を簡単にかみ砕くと、
「あなたの努力や才能によって人生が組み立てられていることはない」
「あなた以外のすべてがあなたの人生を決めている」
と思い定めるということです。
自分の生き方を、神仏やまわりが喜んでくれて、認めてくれる。
その結果、「私」を「私」たらしめてくれている。
どうやら、それが宇宙の構造らしいのです。』
人は、うまく行ったときなど自分の努力の成果が表れたからだ、と普通思う。
例えば、勉強を一生懸命して、自分の希望する高校や大学に入ったとする。
それは、すべて自分の努力の結果があらわれた、と思う人は傲慢だ。
なぜなら、確かに勉強は本人がしたかもしれない。
しかし、その勉強を支えてくれた家族や先生がいて、友人もいる。
あるいは、そういう勉強する場所も必要だ。
もし自分が、日本ではなく、海外の貧しい国に生まれたと思ったらそれが分かる。
だから、すべては「おかげさま」。
まわりのおかげでなりたっている。
「努力」の反対語は「感謝」という言葉を胸に刻みたい。
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