プロフィール

2015年2月7日土曜日

一経営者

☆印以下は、致知出版社様から頂いたメルマガの一部であります。

いつもありがとうございます。

感謝致します。



さて、

わしの仕事は言わずと知れた、


極真会館の一支部長、

いわゆる、

一町の空手道場の先生であります。


以前からこのブログ上にも書いておりますが、

その一町の空手道場の先生の日々やるべきことは、


***

「一、日々の「空手家」としての自身の稽古・学問。


一、日々の「指導者」としての道場での真心現場指導。


一、日々の「経営者」としての道場経営・運営業務。」

***


以上の三点が三位一体とならなければ、

すぐに空手道場経営で、

「飯を食えなくなる(いわゆる倒産する。)」、


と日々自覚し、日々努力精進しておる訳であります。


その中でも、

今回頂いた致知出版社様からのメルマガは、


一町道場経営・運営者としてのヒントが山積みでありました。


前置きが長くなってしまいましたが、

是非とも御一読の程をお勧めいたします。



押忍!



☆☆☆☆☆

横浜名物の「シウマイ」で知られる崎陽軒。


その創業は明治41年にまで遡り、
100年を超える歴史を持つ長寿企業です。


ところが、かつて業績が悪化し、
倒産の危機に立たされたことがありました。


見事に経営再建を果たした野並直文社長が
逆境の間、支えとしてきたある言葉とは。


さらに、野並社長が語った
「よき運命をひらく秘訣」——。


┌───────今日の注目の人─────────┐


     「白雲自ずから去来す」
         

     野並直文(崎陽軒社長)

     
     ※『致知』2015年2月号
      連載「私の座右銘」より
 

└───────────────────────┘

「あと1年したら、お前を社長にしようと思う。
 それまでに準備をしておくように」


いまは亡き先代の父・豊からそう告げられたのは
平成2年、私が40歳の時のことでした。


当社の創業はいまから107年前の明治41年にまで遡りますが、
会社組織になってからでは、先々代の茂吉、先代の豊に続いて、
私は3代目ということになります。


従来、崎陽軒には、シウマイ、弁当、レストランの
主に3つの事業の柱がありました。


しかし、私は自分が社長になったら、
それにレストラン、売店、宴会場などからなる
横浜駅前本店ビルの建設、そして、シウマイ以外の
点心(中華饅頭)の製造・販売という新たな事業を付け加えようと、
専務時代から着々と準備を進めていたのでした。


ところが翌年、社長に就任するとともにバブルが崩壊し、
4年目から目に見えて業績が悪化。


さらに、既に巨額の投資を行って計画を進めていた
本店ビルなどの借金も膨れあがっていくばかりで、
私は就任早々、


「へたをすれば、倒産してしまうかもしれない」


という危機的状況に追い込まれたのです。


高度成長期の頃は、いわば上りのエスカレーターに
乗っているようなもので、
行儀よく立っていれば自然に上っていけました。


しかし、バブル崩壊後は、立っているだけでは
どんどん落ちていくしかない下りのエスカレーターに
乗っているようなものです。


一所懸命駆け上がって、下るスピードと上るスピードの
どちらが早いかによって当社の運命が決まっていく。


これまでと同じことをしていてはいけない——。


そう心に期するものがあった私は、
さっそく人事制度を中心として、
社内改革に取り組むことを決めたのでした。


主には、社員のモチベーションを高めるために
年功序列的な給与制度を成果に基づく目標管理制度に変更。


また、工場や販売所などの現場で経験を積んだ従業員を
幹部として取り立てていく創業以来の人事方針を守りつつも、
会社としては初めて、本格的な大卒の採用に踏み切りました。


もちろん、現場経験も大切なのですが、
これからの時代、しっかりした学問的基礎に基づき、
長期的な経営課題に筋道を立てて取り組んでいける人材を
幹部にしていく必要があると考えたのです。


幸い表立った社内の反発はなかったものの、
「先代の時代はよかった……」と言って、
中間管理職を中心に多くの社員が当社を去っていきました。


随分辛い思いもしましたが、数々の改革が功を奏したのか、
97年頃から業績は徐々に回復し始め、
何とか危機を脱する目途をつけることができたのでした。


そのような中で、私が出逢ったのが
「白雲自ずから去来す」という言葉です。


これは90年代の終わり頃、
友人である禅僧で著名な庭園デザイナーの枡野俊明さんから、
「野並さんにはこの言葉が一番似合うと思う」と、
教えていただいたものです。


その意味を尋ねると、
彼はこのような話をしてくれました。


「例えば、炎天下の中で畑作業をしなければならないお百姓さんがいて、
 雲が来て涼しくならないかと待っていたとしましょう。

 ところが、いっこうに雲は現れません。
 しかし、『そうだ、これが俺の仕事なんだからやるしかないのだ』と、
 照りつける太陽のもと黙々と作業に取り組み始めると、
 不思議なことにどこからともなく白雲が現れ、
 太陽の日差しを遮ってくれていた。

 お金や人脈がないと嘆くより、
 まず汗を流すことが大事なのですよ」


どんな状況に直面しようと、与えられた目の前の役割を
自らの使命と受け止め、コツコツと打ち込んでいくことで
必ず善き運命が拓けていく——。


以来、私は事あるごとに、この言葉を心の支えに、
決して慢心することなく日々の経営課題に取り組んできたのでした。


先代から経営を引き継いでから、はや24年になりますが、
改めて私の経営者としての歩みを振り返って思うことは・・・

   * *

※この続きは『致知』2015年2月号 P70〜P71をご一読ください。

☆☆☆☆☆


以上であります。



押忍! 石黒康之

0 件のコメント:

コメントを投稿