プロフィール

2017年6月22日木曜日

吉田松陰先生

吉田松陰


  幕末憂国の志士。名は寅次郎。禁を犯して海外渡航を企て、
  獄に下る。のち萩に松下村塾を開き、子弟を教育する。
  安政の大獄で刑死。
  (1830~59)


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 凡そ人一日この世にあれば、
 一日の食を喰らい、一日の衣を着、
 一日の家に居る。
 なんぞ一日の学問、一日の事業を励まざらんや
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安政元年3月28日、吉田松陰が牢番に呼びかけた。
その前夜、松陰は金子重輔と共に
伊豆下田に停泊していたアメリカの軍艦に乗り付け、
海外密航を企てた。

しかし、よく知られるように失敗して、
牢に入れられたのである。

「一つお願いがある。
それは他でもないが、
実は昨日、行李(こうり)が流されてしまった。
それで手元に読み物がない。
恐れ入るが、何かお手元の書物を
貸してもらえないだろうか」


牢番はびっくりした。


「あなた方は大それた密航を企み、
こうして捕まっているのだ。
何も檻の中で勉強しなくてもいいではないか。
どっちみち重いおしおきになるのだから」

すると松陰は、


「ごもっともです。
それは覚悟しているけれども、
自分がおしおきになるまでは
まだ時間が多少あるであろう。

それまではやはり一日の仕事をしなければならない。
人間というものは、一日この世に生きておれば、
一日の食物を食らい、一日の衣を着、
一日の家に住む。

それであるから、一日の学問、
一日の事業を励んで、天地万物への御恩を
報じなければならない。
この儀が納得できたら、是非本を貸してもらいたい」


この言葉に感心して、牢番は松陰に本を貸した。

すると松蔭は金子重輔と一緒に
これを読んでいたけれど、
そのゆったりとした様子は、
やがて処刑に赴くようには全然見えなかった。

松蔭は牢の中で重輔に向かってこういった。


「金子君、今日このときの読書こそ、
本当の学問であるぞ」


牢に入って刑に処せられる前になっても、
松蔭は自己修養、勉強を止めなかった。
無駄といえば無駄なのだが、
これは非常に重要なことだと思うのである。

人間はどうせ死ぬものである。
いくら成長しても、
最後には死んでしまうことに変わりはない。

この「どうせ死ぬのだ」という
わかりきった結論を前にして、
どう考えるのか。

松陰は、どうせ死ぬにしても
最後の一瞬まで最善を尽くそうとした。
それが立派な生き方として称えられているのである。


この松陰のような考え方は西洋の偉人にも見られる。
こういう話を読んだことがある。




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押忍!

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