【腰が低い】
無能唱元氏の心に響く言葉より…
私は現在の仕事(人生哲学)を始めてから、幾人ものスーパー成功者に会う機会を得ましたが、彼らに一様に共通するのは、「腰が低い」という点でした。
これは昔からいわれている古いことわざ「実れば実るほど稲穂は頭をたれる」に示されるとおり、今更こと新しい教訓ではありません。
しかし、この古くて、よく知られた成功の原理を活用できないでいる人が驚くほど、この世には多いのです。
会社や役所でいえば、係長クラスにこれが多いのです。
彼らは威張りたがり、そのくせ上司には卑屈なまで低姿勢でもあります。
特に、役所にいて、何かの免許の認可などに携わっている職種に、よくこのタイプを見ます。
例えば、許可をとろうとすると、許可条件とは特別関係ない、店の名前の付け方にまでケチをつけたりして、許可をしぶったりします。
また、自動車の教習所の教員は、非常に横柄な態度の者が少なくありません。
彼らは、なぜこのようにして、他人の自己重要感を傷つけるのでしょうか?
その理由は、
「彼らの自己重要感がすでに病んでいるから」なのであります。
すなわち、彼らは自己劣等感に深く悩んでおり、その苦しみに耐えかねているのです。
そして、役職を利用して、意地悪をしたり、尊大な態度を示したりして、自己の優位を確認し、日頃の劣等感の苦しみを少しでも和らげようとするのです。
しかし、これらの事例が示す、彼らの否定的な心理は、必ずしもそのような地位にある者だけの特別なケースではありません。
実は世の中のほとんどの人が、このような劣等感の前駆的症状郡に悩んでいる患者たちなのです。
そして、前記した役所員や教員は、たまたまそういうポストにめぐりあわせたために、その症状が一気に噴き出したものに過ぎないのです。
私たちは、もし、自分の自己重要感をあらかじめうまく充足してなければ、決して、他人の自己重要感を充足することに手を貸してやれないでしょう。
なぜならば、自分のほうのそれを充足するために、他人の助力を必要とするからです。
その助力とは、相手に対し、尊大になったり、また自慢したりして、自分の優位を自他ともにおいて確認しようとする行為であります。
そして、このような助力を他人に請うことこそ、自分から魅力を失わせる最も効果的な方法であることに、ほとんどの人は気づいていないのです。
ですから、この世の中において、他人に抜きん出て、自分に魅力をつけるのは非常に容易だといえましょう。
何しろ、その競争率は恐ろしく低いのです。
世の中じゅうの人々は、自分の自己重要感を充足できないまま、飢え渇いているのですから…。
ごく一握りの成功者とは、まず自力をもって自己重要感を充足し、ついで、他人の自己重要感を満たしてあげることに惜しみなく力を与えた人たちなのです。
私の知り合いに、Tさんという大実業家がおります。
日本中各所にゴルフ場やホテルを所有し、十指に余る企業の社長や会長をしておられます。
ある時、私はこのTさんとラジオ対談をしたことがありますが、この時、女性アナウンサーが、Tさんに、
「失礼ですが、無能さんとTさんとは、どういう間柄(あいだがら)でいらっしゃいますか?」と尋ねました。
Tさんは、ちょっと考えて、
「無能さんは、私の人生の師であります」と答えられたのです。
私は一瞬、あっけに取られました。
私より十五以上も年上であり、大実業家であるTさんが、こともなげに、「人生の師」とは、ようも言うわ、と私ははなはだ驚いたのです。
しかし、このような言葉を、それは私の知る限り、最大の賞賛の言葉ですが、これを聞いた時、心の底から感激し、Tさんのためには、粉骨砕身しても働こう、この喜びに報いようとする人が大勢出ても、少しの不思議はない、とも私は思いました。
また、時折、私がTさんの会社を訪ね、Tさんと歓談した後、そこを辞す時、傍らにおつきの社員がいるにもかかわらず、Tさんはエレベーターに走り寄り、自らボタンを押すのです。
そして、エレベーターに乗った私に、最敬礼をして、エレベーターのドアが左右から閉まるまで、じっと頭を下げたままでいるのです。
『人蕩術奥儀』致知出版社
ときどき、飲食店や小売店などのお店で、店のスタッフを怒鳴り散らしている人を見かけることがある。
見ていて、本当に見苦しく、気分が悪くなる嫌なシーンだ。
反対に、行くところ行くところで、笑いや明るさを振りまく人もいる。
どちらの人に魅力があるのかは、一目瞭然(りょうぜん)だ。
自分に自己重要感が足りない人は、人にそれを与えることはできない。
自分の自己重要感を高める方法は、仕事や社会的な地位を高めるというより、人をどれだけ喜ばせてきたか、与えてきたか、感謝してきたか。
そして、その結果として、感謝される存在となる。
多くの人から認められたり、感謝されている人は、自己重要感が満たされている。
「他人の自己重要感を満たすことができる人」
どんなときも、腰が低い人でありたい。
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無能唱元氏の心に響く言葉より…
私は現在の仕事(人生哲学)を始めてから、幾人ものスーパー成功者に会う機会を得ましたが、彼らに一様に共通するのは、「腰が低い」という点でした。
これは昔からいわれている古いことわざ「実れば実るほど稲穂は頭をたれる」に示されるとおり、今更こと新しい教訓ではありません。
しかし、この古くて、よく知られた成功の原理を活用できないでいる人が驚くほど、この世には多いのです。
会社や役所でいえば、係長クラスにこれが多いのです。
彼らは威張りたがり、そのくせ上司には卑屈なまで低姿勢でもあります。
特に、役所にいて、何かの免許の認可などに携わっている職種に、よくこのタイプを見ます。
例えば、許可をとろうとすると、許可条件とは特別関係ない、店の名前の付け方にまでケチをつけたりして、許可をしぶったりします。
また、自動車の教習所の教員は、非常に横柄な態度の者が少なくありません。
彼らは、なぜこのようにして、他人の自己重要感を傷つけるのでしょうか?
その理由は、
「彼らの自己重要感がすでに病んでいるから」なのであります。
すなわち、彼らは自己劣等感に深く悩んでおり、その苦しみに耐えかねているのです。
そして、役職を利用して、意地悪をしたり、尊大な態度を示したりして、自己の優位を確認し、日頃の劣等感の苦しみを少しでも和らげようとするのです。
しかし、これらの事例が示す、彼らの否定的な心理は、必ずしもそのような地位にある者だけの特別なケースではありません。
実は世の中のほとんどの人が、このような劣等感の前駆的症状郡に悩んでいる患者たちなのです。
そして、前記した役所員や教員は、たまたまそういうポストにめぐりあわせたために、その症状が一気に噴き出したものに過ぎないのです。
私たちは、もし、自分の自己重要感をあらかじめうまく充足してなければ、決して、他人の自己重要感を充足することに手を貸してやれないでしょう。
なぜならば、自分のほうのそれを充足するために、他人の助力を必要とするからです。
その助力とは、相手に対し、尊大になったり、また自慢したりして、自分の優位を自他ともにおいて確認しようとする行為であります。
そして、このような助力を他人に請うことこそ、自分から魅力を失わせる最も効果的な方法であることに、ほとんどの人は気づいていないのです。
ですから、この世の中において、他人に抜きん出て、自分に魅力をつけるのは非常に容易だといえましょう。
何しろ、その競争率は恐ろしく低いのです。
世の中じゅうの人々は、自分の自己重要感を充足できないまま、飢え渇いているのですから…。
ごく一握りの成功者とは、まず自力をもって自己重要感を充足し、ついで、他人の自己重要感を満たしてあげることに惜しみなく力を与えた人たちなのです。
私の知り合いに、Tさんという大実業家がおります。
日本中各所にゴルフ場やホテルを所有し、十指に余る企業の社長や会長をしておられます。
ある時、私はこのTさんとラジオ対談をしたことがありますが、この時、女性アナウンサーが、Tさんに、
「失礼ですが、無能さんとTさんとは、どういう間柄(あいだがら)でいらっしゃいますか?」と尋ねました。
Tさんは、ちょっと考えて、
「無能さんは、私の人生の師であります」と答えられたのです。
私は一瞬、あっけに取られました。
私より十五以上も年上であり、大実業家であるTさんが、こともなげに、「人生の師」とは、ようも言うわ、と私ははなはだ驚いたのです。
しかし、このような言葉を、それは私の知る限り、最大の賞賛の言葉ですが、これを聞いた時、心の底から感激し、Tさんのためには、粉骨砕身しても働こう、この喜びに報いようとする人が大勢出ても、少しの不思議はない、とも私は思いました。
また、時折、私がTさんの会社を訪ね、Tさんと歓談した後、そこを辞す時、傍らにおつきの社員がいるにもかかわらず、Tさんはエレベーターに走り寄り、自らボタンを押すのです。
そして、エレベーターに乗った私に、最敬礼をして、エレベーターのドアが左右から閉まるまで、じっと頭を下げたままでいるのです。
『人蕩術奥儀』致知出版社
ときどき、飲食店や小売店などのお店で、店のスタッフを怒鳴り散らしている人を見かけることがある。
見ていて、本当に見苦しく、気分が悪くなる嫌なシーンだ。
反対に、行くところ行くところで、笑いや明るさを振りまく人もいる。
どちらの人に魅力があるのかは、一目瞭然(りょうぜん)だ。
自分に自己重要感が足りない人は、人にそれを与えることはできない。
自分の自己重要感を高める方法は、仕事や社会的な地位を高めるというより、人をどれだけ喜ばせてきたか、与えてきたか、感謝してきたか。
そして、その結果として、感謝される存在となる。
多くの人から認められたり、感謝されている人は、自己重要感が満たされている。
「他人の自己重要感を満たすことができる人」
どんなときも、腰が低い人でありたい。
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