齋藤孝氏の心に響く言葉より…
大人になると、知識やノウハウを身につけるにつれて感性を失ってしまう。
"色眼鏡"をどんどん濃くした結果、視界不良に陥るようなものである。
しかし、そういう大人ばかりではないことも事実だ。
例えばピカソは、老年になってから「絵をうまく描くことは子どもの頃からできたけれど、この歳になってようやく子どものように絵を描けるようになった」と述べている。
晩年のシンプルな作品は批判の対象にもなったが、子どもの絵のような力強さもある。
あのピカソが子どもの絵を一つの到達点としたのは、そこに素朴な表現力を感じ取っていたからだろう。
あるいはニーチェは、人生には三つの段階があるとして、それぞれの時期を「ラクダ」「獅子」そして「子ども」と命名している。
「ラクダ」の時期に義務を果たし、「獅子」の時期にさまざまなことに「ノー」と言って自由を獲得し、そしてやがて「子ども」の時期を迎え、おおいに遊び、自分で価値を創造していく。
人生で最終的に目指すのが「子ども」というわけだ。
いずれにせよ、好むと好まざるとにかかわらず背負ったものを降ろせるのが、「子ども」の魅力だろう。
ピカソのような才能はないとしても、少なくとも自分の中にある子どもの部分を忘れないようにすることはできる。
もっとも手っとりは早いのは、軽くジャンプすることだ。
可能なら、小学三年生時代を思い出してみていただきたい。
意味もなくピョンピョン飛び跳ねていたのではないだろうか。
それを見習うと、気分が軽くなってすべてが遊びに思えてくる。
つまりは、子どもの身体に戻すということだ。
身体が子どもになれば、大人の良識を持ちつつ、子どもの素直さも多少は取り戻せる。
『リーダーシップとは言葉の力である』日本経済新聞出版社
「すなほなる をさな心を いつとなく 忘れはつるが 惜しくもあるかな」 (明治天皇)
大人になると、素直な幼心(おさなこころ)を いつとはなしに忘れてしまうのは、本当に惜しいことだ。
幼心とは…
ワクワクドキドキする。
何をみても驚いたり、感動したりする。
冒険心や、好奇心あふれる。
無邪気に遊んだり、くったくなく笑ったりする。
大人になっても、子どもの心を忘れずにいたい。
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