「愛語(あいご)」という言葉は、良寛和尚(りょうかんおしょう)が好んで使っていたと言われています。
良寛和尚の「愛語の心」とは、こういうものだと聞きました。
「自分は貧しいひとりの修行僧なので、人に与えるもの、あげるものが何もない。
だからせめて、心をあたたかくするような、心を安らげるような『言葉』をあげたい。
それならいくらでもあげることができるから」
良寛和尚は、自分の口から出てくる言葉を「あたたかい言葉」「やさしい言葉」「思いやりに満ちた言葉」にしたいと思っていたようです。
日本の神道には「言霊(ことだま)」という概念があります。
「言葉には神が宿っている」という考え方ですが、私たちは、普段、使っている言葉のひとつ一つに、相手に大きな影響を与える力(神)が宿っていることを忘れていたのかもしれません。
京都に、空也上人(くうやしょうにん)の木像があります。
木像の口から細い板が出ていて、その上に、小さな仏様が何人も立っています。
説明によると、「空也上人の口から発せられるひと言ひと言が、すべての人を救いに導く『仏』であった」というのです。
私はこれまで、「不平不満・愚痴・泣き言・悪口・文句」を言うことは、「悪臭を放つ花の種を蒔(ま)くこと」と同じだと考えていいましたが、一歩進んで、自分の口から発せられる言葉をすべて、「あたたかいもの」「勇気づけるもの」「安らげるもの」「幸せを感じさせるもの」「喜びを与えるもの」にできたらと思います。
そうすれば、「芳香(ほうこう)を放つ花の種を蒔く」ことにもなるでしょう。
「悪臭」の中で生きるか、それとも「芳香」の中で生きるか…
芳香の中で生きるほうが、楽しそうです。
「言葉には『神』が宿っている」という考えは、「言葉には『気』が込められている」という考えでもあります。
だとすれば、人の心を明るくする気を込めたいものです。
人に対して「愛語」を考えるだけでも、生活が変わってくるような気がします。
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『大無量寿経』というお経の中に、「和顔愛語」(わげんあいご)という言葉がある。
このあとに、 「先意承問」(せんいじょうもん)という言葉が続く。
和顔愛語とは、和(なご)やかな笑顔と、愛のあるやさしい言葉のこと。
先意承問とは、相手の気持ちを先に察して、それを満たしてやること。
毛利元就という戦国武将の言葉がある。
「一年の計は春にあり
一月の計は朔(ついたち)にあり
一日の計は鶏鳴(けいめい)にあり」
新年を迎えることを「迎春」というが、志や計画を立てるなら、新年の始まりである元旦に立てる必要がある。
また、月の計画は、朔日(ついたち)に。
そして、今日の計画は、早朝に立てるべきである、と。
この佳(よ)き日、平成30年の元旦。
「和顔愛語」の実践を重ねたい。
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