自分の置かれた環境の中で、
自分の意志で自由にならない範囲をしっかりと見極めるということです。
自分の意志で自由にならない範囲をしっかりと見極めるということです。
自分の意志の範囲にあるかどうか。
そこにすべてが、かかっているということです。
ただ、それがはっきりとわからないとだめです。
はっきりわかると、自分の意志の範囲の中にあるものは自分が考えて最善の手を打つ。
打ちたくなければ打たなくてもいいが、
すべては自分の意志の範囲にないもの、これはあきらめる。
はっきりわかると、自分の意志の範囲の中にあるものは自分が考えて最善の手を打つ。
打ちたくなければ打たなくてもいいが、
すべては自分の意志の範囲にないもの、これはあきらめる。
こういうものに対しては、絶対に心を動かさないということです。
外界のもの、地震とか天災とかは自分の意志の範囲にない。
友人や世の中の人が自分をどう思うかも、自分の自由にはならない。
こういう自由にならないものに、自由にならないといって、腹を立て、心の平静を失うのは愚かだということです。
こういう物に対しては絶対に自分の心を騒がせない。
例えば、ぼくが30年前に上智大学を一流大学と思ってもらいたい、やってることはいいんだからといったって他の人は認めないものはどうしようもない。
これは意志の範囲にはないんです。
ところが、教えられていることはついていくのが
苦しいくらい高級なものをびしびしやっている。
すると、これを十分に消化するために毎朝、
5時に起きて朝めしまで2時間勉強することから始めようというのは、それをやるかどうかはまったく、これは自分の意志の範囲です。
意志の範囲にあることはいいわけをしないで、自分でやる。
で、意志の範囲にないことは問題にもしない、心を動かさない。
まぁ、こういうのが、ヒルティから学んだことの一つでしょうね。
渡部昇一先生
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍
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