皆さん、お気付きのことだとは思いますが、
ワシは敢えてこのブログ上も含めて、普段から、
会員さん、道場生さん、門下生さんのことを、
「お弟子さん」、と書いて(言って)おります。
ワシは思うのです、
武道に於けるところの、
いや、
日本に於けるところの、
「道」がつく文化は、
全て、
「師匠」と「弟子」の関係であると..............、
ここで、ワシが何を言いたいのか.......?、と言いますと、
師匠と弟子、
いわゆる、師弟関係であるということは、
お互いに信頼関係の上で成り立ったことを大前提に、
多少無茶苦茶な、理不尽な事でも受け入れなければ、
本当の師弟関係、或いは、
師匠から弟子への指導は絶対に出来ないということなのです。
確かに、ワシは大山総裁の内弟子という、
ある意味特殊な、現代社会とはかけ離れた、究極な師弟関係が成り立つ場所で修業し、
また、いま、現在でも、
極真会館という、
これまた、究極の師弟関係が存在する組織の中で、
活動させていただいております。
よく、極真の世界は一般社会とはかけ離れていると、
軽々しく仰る方々がいらっしゃいますが、
そもそも、その発言は認識不足以外にありません。
武道場、武士の世界をこの、
腑抜けになった日本で唯一、体現し、残している場所は、
極真会館以外にない!、とワシは断言し、確信しております。(もちろん、他にも沢山あるでしょうが、ここでは立場上(笑))
そして、その武士(もののふ)の世界を、戦後、アメリカに腑抜けにされたこの日本国に体現していくことが、
ワシ達の役目であるという事を、
わが師匠、大山総裁から3年間口を酸っぱく若獅子寮で指導されて来たのです。
先日、ある、浜松出身のアメリカや世界中を相手に活躍する実業家の方と、
食事をする機会があったのですが、
その時、その実業家の方はことあるごとに、
「海外から日本を見ていて、
今の日本を救える場所は極真の道場しかありませんよ。
極真の道場にしか武士道(もののふ)の教育は出来ませんよ!」
、としきりに仰っておられました。
少なくともワシは、
一回、一回の稽古指導(稽古)を命懸けでおこなっております。
指導するお弟子さんと刺し違える覚悟を持って指導しております。
空手着が白いのは、
死装束なのです。
一回、一回の稽古を死ぬ覚悟を持ってする為なのです。(この点、柔道のカラー道着はいただけませんね。)
と、いうことは、
指導するワシがその覚悟で挑んでいる訳ですから、
受けるお弟子さん達も、常にその覚悟を持って稽古に挑んでもらいたいものであります。
昔、こんな話を聞いた事があります。
ある有名な武道家の師匠が弟子の前で、
日本刀の手入れをしていたそうなのです。
その時、その弟子が、「師匠、良く切れそうな立派な日本刀ですね」、と....、
その質問に対して、
師匠が、
「うん、触れれば切れる名刀であるぞ!、なんぞ試し切りでもしたいものだなぁ〜」、と.....、
それに対して、弟子は、
「ならば、私めの右手を切ってみてくれませんか?」、と、
さあ大変、売り言葉に買い言葉で、お互いに引くに引けずに..........
、と、この話しはここまでとしておきます。
この話をどう捉えるかで、
その人間の日本人としての資質が問われることだとワシは思います。
話をもとに戻しますと、
要は、
道場でワシが理不尽だろうが、無茶苦茶だろうが、(ワシは自分自身で体験、経験してないことは絶対に言っておりません!)
ヤレと言ったことは、
ワシの体験上から決して出来ないことではなく、
そのお弟子さんに対して必ずプラスになると信じての、命懸けの指導なのです。
ヤレと言って、ヤル弟子がいる。
ヤレと言って、ヤラない弟子がいる。
皆さんがもし、
指導者であったのならどちらの弟子と、
一生涯の師弟関係を結ぶでしょうか.......?
もっと分かりやすくいえば、
自分の部下、社員を弟子と師匠の関係に捉えれば、皆さんの答えは明確なのではないでしょうか.........?
しかし、ここで注意しないといけないことは、
師匠が自分の都合の良いように、エゴだけで弟子を利用するようになると大変なことになってしまいます。(どこぞのカルト教団と同じ結果になってしまいます。)
師匠と呼ばれる、人間は弟子以上に稽古して、学問して、身を修めなければならないのはいうまでもありません!
そして、死ぬまで稽古、学問、修身、修養を怠ってはならないのです!
「修己治人」
「修身斎家治国平天下」
、でありますね!
押忍 石黒康之
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