以下は、本日、致知出版社様から頂いたメルマガの一部であります。
茶道の心得についてのモノであると思いますが、
これを、そのまま空手道と置き換えて解釈すると、
ワシが今現在、道場の現場で指導、また、自身の稽古に励む時、
この様な心構えで稽古、指導しているのか?
また、お弟子さん(門人)の皆様と道場で稽古する時は、
本来、この茶道の様に、一回、一回、
命を掛けて現場に立たないと、嘘になるのではないのか……?
と、反省させられてしまいました。
いや実は、本来、この茶道の精神は全ての日常生活に於いて、
持つべき心構えではないのか……?
、と深く考えさせられてしまいました。
是非とも御一読をお勧め致します。
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一期一会とはすなわち一生涯に一度会うことで、
風炉の前に主客が端座する時、
その時今生【こんじょう】において
これ限りかも知れぬ、
人命というものは朝露のごときものである、
朝あって夕を図ることができぬ、
ここで会えば復た会うことは人間として期することができぬ、
今生にこれを限りと思う気持ちになる。
そこで汲むと人間はふざけた心、
雑念というものが悉【ことごと】く脱落して真心が現れる。
その真心をいうのがあの一期一会の有名な精神であります。
こうなりますと、
茶を飲むということは物質的問題にあらずして、
深遠なる悟道【ごどう】の問題であります。
『安岡正篤活学一日一言』より(致知出版社刊)
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以上であります。
押忍 石黒康之
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