五木 宮本武蔵の有名な話があります。
京都の吉岡一門と果たし合いをするとき、
決闘の場所に行く途中に神社があった。
そこで武蔵は何気なく、社殿の前に進み出て
頭を下げ、勝負に勝たせてくださいと
祈ろうとした。
けれど、その瞬間、ハタと気づいて
祈るのをやめた。
なぜならば、神や仏に勝負を
お願いしているようでは
もう負けたも同然だと思ったからです。
自分の剣を信じて自力でがんばらねば。
それでお祈りをせずに勝負に行くわけですね。
むかし石原慎太郎さんと対談をしている時に
その話になったんです。
石原さんが、
「神仏に祈らずに勝ったわけだから、
やっぱり自力が大事じゃないか」
と言ったのだけれど、そのとき僕は
「いや、石原さんね、合掌しようとして
ハタと剣の道ひと筋に生きるべきだという
気持ちがひらめいたというのは他力の光だよ」
と言い返したんですよ。
石原さんは、
「五木さんも作家だから面白いことを言うねえ」
と笑っていましたけど(笑)。
セルフヘルプという外国語がありますけれど、
「ここは独力でがんばろう、なんとかしよう」
という気持ちになったときに、
後ろから他力が肩を押してくれるんですよ。
だから他力は自力の母だよと、
僕はそんな感じで考えているのです。
稲盛 必死で生きようと努力する人は、
こころを澄ませたときに
他力が受けられるんでしょうね。
・ ・ ・ ・ ・
学者でも、最後まで「おれがおれが」
という人もいますよ。
でも、そういう人は
大きな賞はもらっていない。
これは経営者も同じで、天地自然の
神さまへの感謝という気持ちがない人は
実業界では成功していませんよね。
五木 「おかげさまです」
「自然万物、世間の皆さま方のおかげで
何とか儲けさせてもらってます」
「ありがたいことです」
──こういうおかげさまでという気持ちを
大阪の商人は持っているという
話をしましたが、これはとても
大事なことを言っているんですね。
それは日本だけのことではなくて、
マックス・ウェーバーも
プロテスタントの信仰が
近代資本主義のバックボーンだと
言っていますから、万国共通の真理だと
いってもいいかもしれません。
かつての日本のビジネスマンには、
そういうなにか偉大なものを
敬う気持ちがあったのですね。
◆ソウルメイトの二人が語り合う──
『何のために生きるのか』
(稲盛和夫、五木寛之・著)
致知出版社様メルマガよりシェアさせていただきました。
押忍!
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