『論語』を学び続けて九十余年──。
101歳の今なお学び続けているのが
論語普及会学監の伊與田覺氏です。
伊與田氏が語る、
人間的魅力の磨き方とは?
『致知』最新号よりご紹介します。
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人間の魅力というのは
実に不思議なもので、
決して意図して
つくられるものではありません。
しかし、その人の心掛けによって
内面が充実してくると、
自ずと外に滲み出てくる
ものでもあるようです。
魅力は顔や動作にも表れますが、
最も端的に表れるのが背中です。
後ろというのは意識外のものです。
いくらお化粧をして
自分を取り繕っても、背中だけは
誤魔化すわけにはいきません。
後ろ姿のよい人、
それこそが本物といえましょう。
それを形に表したのが、
お寺に祀られている
仏像の光背です。
後ろから発する光によって、
ひと言も発しなくとも、
そこへやってくる人に
影響を及ぼします。
人間には、何遍会っても
顔も思い出せないような人が
いる一方で、ことさらに
言葉や動作を弄することがなくても、
その人がそこにいるだけで
ちゃんと周囲が立派に
治まっていくような人があります。
孔子という人は、
そういう人間的魅力が
横溢していた人であったようです。
孔子がいかにしてそうした
人間的魅力を涵養したのか
ということについては、
その言葉から窺うことができます。
「子曰わく、賢を見ては
斉しからんことを思い、
不賢を見ては内に自ら省みるなり」
(先師が言われた。
知徳兼備の優れた人を見たら、
自分もそのようになりたいと思い、
つまらない人を見たら、
自分はどうかと内省する)
孔子は、相手が賢人であっても、
愚か者であっても、
すべてを我が師として
学んでいったのです。
偉い先生に高い月謝を
払って学ばなくても、
本人さえその気になれば、
すべての人が自分を導いてくれる
先生になり得ることを示唆しています。
孔子は、これと相通ずることを
次のようにも述べています……
致知出版社様メルマガよりシェアさせて頂きました。
押忍!
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