プロフィール

2016年9月26日月曜日

幸田露伴

文豪・幸田露伴の『努力論』を
座右の書とし、自らの道を
切りひらいてこられた渡部昇一氏。

その氏が人生の中で生かしてきた
幸田露伴流・「福」を身につける道とは?

『致知』最新号よりお届けします♪

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「福や運を論ずるのは
 あまり高等ではないように
 思われるが、人が一所懸命
 努力したり苦労したりするのは
 福を得るためなのだから、
 福について考えるのは
 悪いことではない」


露伴はこう述べます。
悪いどころではありません。
福についてしっかりした
考えと態度を持つことは、
これこそ人生の要訣です。


露伴は福を身につける
三つの道を示します。

「惜福」「分福」「植福」です。


運が巡ってきて福に恵まれます。
そこでどうするか。

恵まれた福を使い切らず、
その福の一部を見えないところを
巡っている運にお返しするような
気持ちでとっておく。

その心掛けが惜福です。

露伴は母親に新しい着物を
作ってもらった兄弟を
例に述べます。

一人は古い着物はまだ着られるのに
行李の底に放り込んで黴だらけにし、
新しい着物を毎日着て
たちまち着崩してしまいます。

一人は古い着物は日常着とし、
新しい着物は改まった場で
着るようにします。

前者には惜福の工夫がなく、
後者の態度こそ福を
惜しむということだ、
と露伴は言っています。


「幸運は七度人に訪れる」
という諺があります。

その一方、自分は非運続き、
一度も運に恵まれなかった、
と嘆く人がいます。

本当にそうでしょうか。

七度訪れるかどうかは別にして、
仔細に見れば、運と全く無縁の人など
いるはずがありません。

問題は、微かにでも巡ってきた運を
感じ取り、有り難く受け止めることが
できるかどうかです。

どのようなものであれ、
自分に巡ってきた運を感じ取り、
感謝する。

この心が惜福を心掛け、
惜福の工夫をする土台になります。

惜福は自分に来た福をどう扱うか、
言ってみれば自己一身の問題で、
どちらかと言えば福に対処する
消極的側面です。


しかし、これだけでは
十分ではありません。

自分に来た福を他に及ぼしていく
積極性がなければならない、
と露伴は述べます。

それが分福です。

自分に来た福を
自分で使い切らず、
いくらかは分けていく。

分福は特に人の上に立つ者にとっては
不可欠の心掛けだと言えましょう。


惜福と分福。
この二つは同じように心掛け、
工夫するものであって、
どちらか一方に偏しては
自分に来た福をさらに膨らまし、
永続させていくことはできません。

惜福分福は自分に来た
福への対処の問題です。

だが、福に対して受け身で
あるだけでは、万全とは
言えません。

いつになるかは分からない。
どこに行くのかも分からない。

だが、いつか誰かに巡っていく
福の種を蒔き、幼木を植えておく
心掛けと工夫があってこそ、
福は万全のものになる、
と言えましょう。





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