斎藤一人さんの心に響く言葉より…
「自分の人生、つまんないな」「オレって、ついてないな」といってた人でも、人を喜ばす人生を歩きだすと、展開がすごい違ってきちゃう。
人生が急に輝きだす、っていうのかな。
たとえば、前に、若い男の子で「自分と仲よくしてくれる人がどこにもいないし、世の中、つまんない」っていう人がいたんです。
ところが、人を喜ばすことをやりはじめたら、会社やなんかで、仲よくしてくれる人が出て来て、毎日「楽しい、楽しい」っていいだしたの、その子。
しばらくしたら、仲のいい人と一緒にサークルに出かけるようにもなって、そこでも人に喜ばれてて「自分は幸せだ」って。
もっと驚いたのは、最近やけに顔がイキイキ輝いて、カッコよくなってきたから「なんか、いいことあったのかい?」って聞いたら、「サークルで知り合いになった女性に告白されて、今、つきあっているんです」って。
その子のことを見てて、私、思うんだけど。
よくね、定年退職だとかで、ずぅーっと家にいて、テレビを見て一日すごしてるような人に、周りが「こいいうサークルがあるから、行ってみれば」とかっていうんだけど。
サークルに出かけたとしても、結局、行かなくなっちゃうと思うんです。
だって、出かけていっても、そこで、自分がなにをしていいのかがわからない。
そうすると、そこもやっぱり、楽しくないんだよ。
だから、そういうサークルに行く前に、ふだんの生活のなかで、なにか一つ、人を喜ばせることをしてみると、いいかもわかんない。
それで、人を喜ばすって、みんなが思っているほど、難しいことじゃないんだ。
たとえば、女性に「いつも、キレイだね~」って、いってあげたっていいし。
外で食事をしたとき、お店の人に「おいしかったよ」というのもいい。
友だちやなんかと会ったら、「あなたと会えて、うれしいよ」とか。
会社に行ったら、上司や社長に「この会社で働けて、私はついてます。感謝してます」とか。
そういう言葉をいっても喜ばせることができるし、字を書いても喜ばせられる。
なおかつ、それをやっている自分自身が、スゴく楽しいんだよね。
だから、「人を喜ばせるんだ」ってことを、自分の趣味かなんかにしちゃうと、いいかもわかんない。
私自身は、人を喜ばせる以上の楽しみは「ない」と確信しているんです。
実際に自分がやってみての感想だよ。
神がくれた、本当の楽しみ。
だと、私は思ってます。
『斎藤一人 愛される人生』KKロングセラーズ
「人を喜ばせる人生」の反対は、「人を悲しませる人生」又は「人をがっかりさせる人生」。
行くところ行くところで、人を悲しませたり、がっかりさせる人がいたとしたら、いつか誰からもお呼びがかからなくなる。
ところが、行くところ行くところで、人を喜ばせてきた人は、あっちこっちから引っ張りだこの人気者となる。
お釈迦さまの教えに「無財の七施」というものがある。
お金がなくてもできる七つのほどこしだ。
一、眼施(がんせ)
優しいまなざしで人に接すること。
二、和顔施(わがんせ)
おだやかな笑顔で人に対すること。
三、言辞施(ごんじせ)
やさしい言葉で人に接すること。
四、身施(しんせ)
人のいやがる仕事など、自分の体でできることで奉仕すること。
五、心施(しんせ)
人に心を配ること。ともに喜び、ともに悲しんであげること。
六、床座施(しょうざせ)
席を譲(ゆず)ること。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
自分の家を提供すること。
人を喜ばす人生でありたい。
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「自分の人生、つまんないな」「オレって、ついてないな」といってた人でも、人を喜ばす人生を歩きだすと、展開がすごい違ってきちゃう。
人生が急に輝きだす、っていうのかな。
たとえば、前に、若い男の子で「自分と仲よくしてくれる人がどこにもいないし、世の中、つまんない」っていう人がいたんです。
ところが、人を喜ばすことをやりはじめたら、会社やなんかで、仲よくしてくれる人が出て来て、毎日「楽しい、楽しい」っていいだしたの、その子。
しばらくしたら、仲のいい人と一緒にサークルに出かけるようにもなって、そこでも人に喜ばれてて「自分は幸せだ」って。
もっと驚いたのは、最近やけに顔がイキイキ輝いて、カッコよくなってきたから「なんか、いいことあったのかい?」って聞いたら、「サークルで知り合いになった女性に告白されて、今、つきあっているんです」って。
その子のことを見てて、私、思うんだけど。
よくね、定年退職だとかで、ずぅーっと家にいて、テレビを見て一日すごしてるような人に、周りが「こいいうサークルがあるから、行ってみれば」とかっていうんだけど。
サークルに出かけたとしても、結局、行かなくなっちゃうと思うんです。
だって、出かけていっても、そこで、自分がなにをしていいのかがわからない。
そうすると、そこもやっぱり、楽しくないんだよ。
だから、そういうサークルに行く前に、ふだんの生活のなかで、なにか一つ、人を喜ばせることをしてみると、いいかもわかんない。
それで、人を喜ばすって、みんなが思っているほど、難しいことじゃないんだ。
たとえば、女性に「いつも、キレイだね~」って、いってあげたっていいし。
外で食事をしたとき、お店の人に「おいしかったよ」というのもいい。
友だちやなんかと会ったら、「あなたと会えて、うれしいよ」とか。
会社に行ったら、上司や社長に「この会社で働けて、私はついてます。感謝してます」とか。
そういう言葉をいっても喜ばせることができるし、字を書いても喜ばせられる。
なおかつ、それをやっている自分自身が、スゴく楽しいんだよね。
だから、「人を喜ばせるんだ」ってことを、自分の趣味かなんかにしちゃうと、いいかもわかんない。
私自身は、人を喜ばせる以上の楽しみは「ない」と確信しているんです。
実際に自分がやってみての感想だよ。
神がくれた、本当の楽しみ。
だと、私は思ってます。
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「人を喜ばせる人生」の反対は、「人を悲しませる人生」又は「人をがっかりさせる人生」。
行くところ行くところで、人を悲しませたり、がっかりさせる人がいたとしたら、いつか誰からもお呼びがかからなくなる。
ところが、行くところ行くところで、人を喜ばせてきた人は、あっちこっちから引っ張りだこの人気者となる。
お釈迦さまの教えに「無財の七施」というものがある。
お金がなくてもできる七つのほどこしだ。
一、眼施(がんせ)
優しいまなざしで人に接すること。
二、和顔施(わがんせ)
おだやかな笑顔で人に対すること。
三、言辞施(ごんじせ)
やさしい言葉で人に接すること。
四、身施(しんせ)
人のいやがる仕事など、自分の体でできることで奉仕すること。
五、心施(しんせ)
人に心を配ること。ともに喜び、ともに悲しんであげること。
六、床座施(しょうざせ)
席を譲(ゆず)ること。
七、房舎施(ぼうしゃせ)
自分の家を提供すること。
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