鮫島純子氏の心に響く言葉より…
親子や夫婦、兄弟姉妹や祖父母、孫などは、愛を身につけるための深い縁があるのでしょう。
一期一会でお別れするような御縁と違って、家族の場合は切っても切れない関係だけに、「思いやり」の心を磨くために必要な相手といえます。
家族の間で、相手の立場を思いやり赦(ゆる)すことで、無償の愛のトレーニングをさせて貰えるのです。
楽しく幸せに暮らすためには必要不可欠な「相手の心を受け止める勉強」を、家族だからこそできましょう。
ところが、密着しすぎているせいか、他人様には「ありがとうございます」と感謝の気持ちを素直に伝えられるのに、長年同居している舅(しゅうと)や姑(しゅうとめ)、夫や子どもたちには、なぜか「ありがとう」と口から出ない傾向があります。
その心の奥には「嫁、妻、母として、私はこんなに一所懸命尽くしているのだから、あなたたちから感謝してもらって当然」という驕(おご)り、あるいは、「気恥ずかしい」、「言わなくても伝わっているはず」、「家族に言うなんて面倒」といった気持ちがあるのかもしれません。
そこをちょっと反省して、言葉に出してみましょう。
喧嘩をしたり、慰め合ったり、言いたいことを言い合い、時には依存し合い、甘え合いながらも、小社会の中で磨き合っていくのが家族。
そのために「ありがとう」は、潤滑油となります。
「とてもいい練習台になってくれて本当にありがとう」と思い直し暮らしていくと、感謝の言葉が自然に出て、家の中が温かい雰囲気に包まれてきます。
「ありがとう」は幸せを運ぶ魔法の言葉です。
『なにがあっても、ありがとう』あさ出版
鮫島純子氏は93歳。
渋沢栄一の孫として生まれ、使用人に囲まれて過ごし、「町の子とお遊びになってはいけません」と屋敷内に促(うなが)されるような環境で育ったという。
そして、敗戦後の180度違う環境になり、経済的にも苦労したが、結婚して39歳のときに、「肉体は期間限定、魂は何度も違う環境に生まれ変わり、学びながら成長していく」という、人生の真理ともいえる考え方に出会った。
魂は何度も生まれ変わるという輪廻(りんね)の考え方からすれば、今人生に起きていることは、どんな些細なことであろうと、そこには意味がある。
一見すると不幸なできごとであっても、それは自分の魂を磨く砥石(といし)。
特に、家族や毎日会うような関係の人とのご縁には意味がある。
それは、いい関係ばかりではなく、自分にとって苦手だったり、嫌で仕方がない人たちもいる。
しかしながら、そこにも意味があり、自分を成長させてくれる大切な磨き砂だと思えば、最後は「感謝」しかなくなる。
だからこそ、身近な関係の人たちに、いつもいつも、「ありがとう」と言いたい。
「ありがとう」は幸せを運ぶ魔法の言葉だ。
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押忍 石黒康之
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