いろいろな人たちが、憲法の制定を願った。
それを天皇は広い寛容の心で
積極的に受け容れられた。
かくあればこそ、国民歓呼の中、
われわれはこの憲法を
わがものにすることができた。
その間、多くの志士たちは命を懸けた。
獄につながれた者もいれば、
内戦で死んでいった者もいた。
それを思えば、誰が皇恩の在り難さに、
そして志士たちの辛苦に
感謝しないでいられよう。
◆私たちが忘れてはいけない大切な視点
『明治憲法の真実』(伊藤哲夫・著)
致知出版社様メルマガより、
* * * * *
戦争が終わった翌年の
昭和21年10月5日。
帝国議会では、この年の春から
提出されていた帝国憲法改正案を
承認するかどうか、
審議は最終段階を迎えておりました。
この日、その帝国議会貴族院の
壇上に立ったのは一人の憲法学者でした。
その名は佐々木惣一博士。
当時の日本を代表する最高の憲法学者
(京都帝大名誉教授)であり、
同時に戦前は学問の自由のために、
軍部の圧力に敢然と抵抗したことでも
知られる信念の学者でもありました。
博士はマッカーサーの命令下、
帝国議会に上程されていた
帝国憲法改正案に対し、
それを「不可」とする反対演説を
することとなっていたのです。
占領政策の厳しかった当時、
マッカーサー監視下の貴族院で
そのような演説をすることは
真に勇気のいることでした。
むろん、そのことでどのような圧迫を
受けることになるか、予測はつきません。
しかし、たとえ死刑になっても、
憲法学者としてこの改正案に賛成はできない、
というのが博士の信念でありました。
「私は帝国憲法改正案反対の意見を
有する者であります。
此の意見を我が貴族院の
壇上に於て述べますことは、
私に取って実に言い難い苦痛であります。
今日帝国憲法を改正することを考えること
そのことは、私も政府と
まったく同じ考えでありまするが、
唯、今回提案の如くに改正することは、
私の賛成せざる所であります。
(まず)冒頭私が帝国憲法改正案に
対しまして賛否を決するにあたって、
いかなる点に標準を置くか
ということについて一言致します」
博士はこう前置きをした上で、
まず憲法を考えるに当たっての
自らの基本的視点を提示し、
つづけて十項目にわたり、
憲法改正案がいかに
不適切なものであるかを述べたのです。
まさにそれは博士のみがなし得る
根本的な問題点の指摘でもありましたが、
しかし博士がそれを超えて
何よりも訴えたかったのは、要は
「憲法改正案は国体の否定に
結びつく改正案に他ならない」
という一点でした。
その演説は実に一時間以上におよびました。
演説は次のように結ばれました。
「帝国憲法は皆さんご存知の通り、
明治天皇が長年月にわたり
我が国の歴史に照らし、
外国の制度の理想と実際とを
調査せしめ給い、その結果につき、
ご裁定になったものであります。
その根本は政治を民意と合致して行い、
また国民の自由を尊重して
政治を行うという原理に
立っているのであります。
(中略)
かくのごとく上に聖天子あり、
下に愛国先覚の国民あり、
また事務的に精励の当局あり、
かくのごとく上下一致して
長年月の努力の結果、ようやくにして
成立しましたところの帝国憲法が、
その発布以来今日にいたるまで幾十年、
これがいかに大いにわが国の
国家の発展、わが社会の進歩に
役立ったかは、ここに喋々するまでも
ありません。
その憲法がいま一朝にして
匆々の間に消滅の運命に
さらされているのであります。
実に感慨無量であるのであります」
博士の演説が終わると、
議場には嵐のような拍手が
巻き起こりました。
しかしながら、憲法改正案の承認は
変更することの許されぬ
占領軍の既定方針でもありました。
いかに反対を表明しようが、
貴族院全体が反対に決することは
あり得なかったのです。
翌日の6日、貴族院で
改正案が可決されたとき、
議場は一瞬静まり返り、
その後、議員たちの嗚咽の声が
議場をおおったといいます。
ちなみに、以下は博士の代表的著書
『日本憲法要論』の中の
「帝国憲法の由来」と題された部分の
一節です。
「知るべし、我国が立憲制度を
有するに至りたるは、
全く先覚国民熱心の願望あり。
而して我が天皇の仁慈なる、
夙に之を聴容したまいたるに由ることを。
……聖天子上に在り、
早く国民の願望を明察したまい、
挙国歓呼の裡憲法の成るを見たり。
是れ実に立憲制度の歴史に於て
彼我差異ある重大の一事とす。
嗚呼、誰か皇恩の
鴻大なるに感激せざらん。
又誰か当年志士の辛苦に感謝せざらん」
──いろいろな人たちが、
憲法の制定を願った。
それを天皇は広い寛容の心で
積極的に受け容れられた。
かくあればこそ、国民歓呼の中、
われわれはこの憲法を
わがものにすることができた。
その間、多くの志士たちは命を懸けた。
獄につながれた者もいれば、
内戦で死んでいった者もいた。
それを思えば、誰が皇恩の在り難さに、
そして志士たちの辛苦に
感謝しないでいられよう。
「帝国憲法の由来を尋ぬるの時、
自ら憲法尊重の念
湧き来るを覚ゆるなり」
この一語にも窺えるように、
博士にとって明治憲法とは
まさに魂を込めて尊重し、
守り抜くべき対象だったのです。
◆私たちが忘れてはいけない大切な視点
『明治憲法の真実』(伊藤哲夫・著)
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